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b50【上位に着く下位に着くと云う概念を示す】
▲豊橋警察署前の事件(41年前)の事件がなければ、私は、警察を押さえ込む(警察の上位に着く)必要はなかったのです。この事件が在ったために私は不本意ながら警察の目上に位置せざるをえなくなったのです。人ごとのように受け止める人も、宗教を唱える者の想うことではないと批判する者は必ず罠にはまります。理由は、宗教を唱える者は政治に介入しなくてはならない義務はないからです。(介入してもしなくてもよい⇔自己責任)但し、政治に宗教を持ち出せば、余計な口出しになる可能性があります。(一般人として介入はできるだけ)仮に平松裕君や小野田江南さんが公安委員会にメンバーになればコングリマリットの一員とも言えるのです。コングリマリット(政官財利益複合体)に私がに融合されれば対立する必要はなかったのです。理由は、労務に関するノウハウのアイディアを提案していたからです。

但し、コングリマリット(特に見える形がある訳ではない)の中でトヨタと対立する可能性はありました。實君、勉君が連れだって事件に関するそれぞれの報告にきていれば、トヨタには勝てました。つづいて政府が謝罪すれば、(国民に謝罪するのではなく個人的な謝罪になります)政官財複合体の上位に位置することになると思います。上記概念は、私に限るものではなく一般的普遍的に通用するはずですが、現実はそのようにはなりません。理由は力が不足しているからです。何故、力が得られないか?を考察すれば、この世的な力の獲得に専念するからです。霊的に観れば、却ってマイナスになる行為が多々含まれているからです。但し、以上は神を含む霊存在が実在することを前提とした考え方です。前提とは信じることとは違います。霊存在は実在しなとする人ば、無神論者の意見を参考にしてもらうより他ありません。

対して霊的な概念を含む行為は、意図的に行うものとは違いますから、野心に類する良心の抵触は感じません。概念を含む行為とは、意味を考えた行為とは違います。意味を考えて行う行為は善悪どちらにも先取りすことができます。大川隆法は、上記考え方には抵功を感じるのではないか?と思います。理由は、彼の霊思想は絶対者(支配者)の存在を認めているからです。如何に「自分が神」と位置付けていた言及は方便であり、高橋佳子と対決する(思想の間違いを暴き出す)ためには止むを得ないことだったと主張しても、彼女に勝てば大川隆法に従う者は、必然的に神格を認めざるを得なくなります。(人格神は認めていませんでしたが、中身は人格神と同じ⇔欺瞞である)高橋佳子も絶対者即ち、人格神の存在を認めていたからです。人格神とは、私の示した宗教理念で説明すれば、神に象徴する高級心霊に相当します。

大川隆法と高橋佳子の対決の結果は、現在も着いてはいません。理由は両者とも神の定義が行われていないからです。さらには上位に着く下位に着くと云う概念も知らなかったと言えます。知っていたと主張されれば、支配することと勘違いしていただけだとヤリ返します。(事実が物語っている)尚、目下に位置していてもこの世的な親子関係は存在しますから、(仮に霊的には敵対者だとしても)目下に位置していると主張しても、子供が攻撃されれば反撃します。又、反対に親が目下に着いても子供が攻撃すれば敵対者とします。親は子供に加担するか?上位者に加担するか?二者選択一の判断を迫られることになります。以上は力勝負で上下関係が決められた場合ですが、力勝負を経ずしてなされた場合についてはケースバイケースになります。一つの例を示せば親の頭越しに説諭することもあり得ます。(2011/12/08)

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