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木漏れ日の空間にようこそ !!

◎b-file51~60(リード&トラ)






【キリスト教に勝ってもイエスが間違ったとは断言できない】
キリスト教が間違っているとは断言できません。例えば「謝罪を受けたら許さなくてはいけない」と云う教えがイエスキリストの教えであると仮定すれば、自分のことを棚に上げてイエスの教えに反していると非難や処罰できる特権を持つ者が居るからその教えは間違いになるのです。特権を持つ者が居なければ教えは正しいのです。さらには、2000年前の古代にといたイエスの教えか?どうか?確かめる手段は現在は無いのです。一つの教えとして、即ち宗教として説かれていたのですから、後継者が居たことは否定できません。後継者がイエスの教えを間違いなく引き継いでいたか?どうか?は現在では確かめられません。

一見矛盾するようですが、イエスの教えとされている「謝罪を受けれたら許さなくてはいけない」とする教がイエスの真実教えであればイエスは正しいのです。但し、特権を持つ者がいなければ正しいと云う条件がつきます。後継者によって教えは無条件に変質されればイエイの間違いです。理由は条件付を付けなくてはいけない教えに条件をつけなかったとしか解釈できないからです。イエスが上記矛盾を知っていて「謝罪を受けたら許さなくてはいけない」と教説していのか?どうか?は私は知りません。しかし、知っていて説いたとしていたなら、次はイエスの政治と宗教の位置関係の認識に当否移ります。

例えば超能力の獲得により宗教が政治を支配できると想っていたのなら、現実に照らし合わせて間違いだったと断言せざるを得ません。しかし、数千年の年月をかけて成すべき課題であるとの認識を抱いていたとすれば、必ずしも間違いではありません。私が、現在只今をもって詮議すれば言い分けになります。他人の詮議結果は関知しません。以上により私の教えとする「結果は神のの回答である」と云う内容は現在只今の状態が神の回答であると補足させていただきます。従って厳密には神の回答は刻一刻と変化することになります。但し、将来の何処かの時点を結果として認識できる能力を持つ人の存在は否定しません。以上も限界があります。予言能力は否定しません。但し、無限の将来を予言することは欺瞞です。 

52当ページの記事が検察に答える内容になっています
53人間の手で地球環境を護ることは道理に適っている

51道理に従ってできるか?できないか?です
56自己責任は霊的背景から生じる責任である
54霊的掟と条件による拘束について
57宗教理念に関する責務の遂行です
50上位に着く下位に着くと云う概念を示す
58視座を変えて観ていたたきたいと思います 
55人間の手で地球環境を守ることは道理に従っています
59医療機関のミスも警察の殺人と区別がつかなくなる




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