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h-ymmt405
社会の谷間に埋もれた、とんでもない情報を紹介します
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私は、自称養父に文書で葬式があっても知らせてくれなくても良いと返信しただけです。(この時点では純子に東京の大学、一ツ橋、早稲田への入学を断念させざるを得なくなっていた。当時の共通一次試験で判定する限り、楽勝で入っているのです。文学部英文科なら東大でも入ったかも知れないのです。私はとんでもない目に遭いました)如何なる人を通しても知らせてくれなくてもよいとも、葬式に出席しないとも言っていないのです。 目的は謝罪をさせるためだったのです。(はじめから、目的意識をもってはいなかったけれども結局は、そうなるだろうとは感性で予想できた。手順など考えてはいなかった)しかし、しかし角落ちだったのです。ここで初めて角落ち戦を認識させられたのです。何故、興信所に依頼して、事情聴取を行わなかったか?私は興信所の報告に対して「真実を報告するに不都合があれば、その旨を司法機関に報告しておいていただければ結構です」と回答した経験があります。 娘は外務省就職する予定だったが叶わなかった、かなり私のせいにされたようですが、今にして考えれば「幸福の科学会員であることが障害になっていたのかも知れない」「何故か?そのようなことに答える必要はない」「何、先手を打って尚子に毒を預けた?」 この世で、身体的な機能(言葉、文字)で遮断して封じ込めば、あの世に帰れば、その元凶が逆に霊魂を封じ込められるのだぞ!そうでなくては、因果応報の思想が成り立たなくなるのだ! 因果応報を説かずして宗教は説けないのだ! 想念の対話で、初王手が出てからほぼ、一年近くになり、一日に4,5,回く繰返された場合もあり、王手に戻って又、初王手に戻ったこともありますが、客観的に理解できるように、その内容を説明すべきである。その他の意味曖昧な言葉も明確にしておかなくてはいけません。(刑を確定?する前に、処刑する前に?刑務所に入ってしまてからでは遅いのだ!)後のこともあるのです。最後には、国民の皆様には、国のために観て見ぬふりをするのか、自分のために、観て見ぬ振りをするのか考えていただくことになるかも知れません。 「女の子が高校浪人をするだの、総理大臣になだのと分けの解らないことを言うから叱らざるを得なくなるのだ」 「変人と言わざるを得ないではないか?(当人を知る人はそう言う)多分未だ、国連の職員になる希望を捨ててはいないのかも知れない」「変人的な要素は、思春期になってはじめて出てきたのではないのです」「老後の面倒など観てもらえる人間ではないのです」 「明治生まれの人の発想では、はじめから駄目だったのです」「誰に老後の面倒を観る義務があるのか?」 事件を誘導した張本人であり、シャシャリ出てくる、「高橋佳子は収容所に収監してもらいたい」 神に謝るのは謝る人が無くなってからだ!ニッチモサッチもいかなくなってからなのだ!ずるいことを考えると反作用が起きるぞ!「私は副総裁を選びたいがために高橋佳子を阻害するのではないのです。どちらも消えてもらってもよいのです。秤に掛けるのはできるか?できないか?なのです」誤解をされては何事も成功しないのです。「家内は未だ66才なのだ、アクシデントがない限り私の方が先に死ぬだろう。今生のお別れといえども両者に面会する義務はない。押し付けは断る」 「私を信じてくれ!」は貪りなのです。信じて欲しかったら、公安1当局に神でなかったことを謝罪しなくてはいけないのです。 貪りを直すには実行しかないのです。貪りを抱いていない人などいないのです。貪りはないと思いこんでいる人はいます。代表的な人物も知っています。ムサボリとは、あれが欲しい、これが欲しい、ああして欲しい、こうして欲しいと云う想いのことです。 貪りを説く人は、貪りを抱いていないとは断定できないのです。いくら頭が良くても、自分のことが解らない人は解らないのです。 おわり
悪い本性を訂正するべきリハーサルです。 2009.08.27
霊能力にも個人差がありお互いの相互作用… 2009.07.24
カルト側が私が死ぬとする根拠 2009.07.23
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