木漏れ日の空間にようこそ !!
PR
フリーページ
キーワードサーチ
プロフィール
h-ymmt405
社会の谷間に埋もれた、とんでもない情報を紹介します
お気に入りブログ
コメント新着
< 新しい記事
新着記事一覧(全2776件)
過去の記事 >
【キリスト教はイエスを神とすることもできる】 繰り返し述べることになりますが、キリスト教は組織団体を庸している以上、自らが説く教説は自ら信者(キリスト教徒)に守らせなくてはいけません。(組織団体即ち教会と司祭、宣教師はキリスト教の教義を信者に実行させ教義に含まれる道徳を守らせなくてはいけないのです)自分自身で信者にで守らせなくても部下(法律と法律を司る者)に守らせればよいと主張していいることもできます。理由は各自で考えて下さい。゛上記主張が通用すれば法律が守らせなくてはならなくなりますす。部下が主の命令を放棄すれば、(為政者がキリスト教の教えを放棄すれば)政治の宗教に対する裏切行為になります。 現状では、実質的に部下(政治)の方が主人(キリスト教)より格上になります。力勝負で主人が部下に負けます。神が審議すればイエスは悪魔にヤラれたことになります。悪魔とは政治のことです。上記以上のことは各自考えて下さい。現在では政治が主人でキリスト教の方が部下であると考えている人も多数居ると思います。これはキリスト教の責任です。神が存在すれば滅びます。理由は宗教理念(宗教の考え方)がハッキリしていないからです。宗教を擬人化すれば、自分は何者か?が解かっていないからです。キリスト教が如何なる形にしろ神の存在を唱えていれば悪魔の教えになります。(自分の責任を他人に転嫁しています) 「一口メモ」宗教理念とは宗教の考え方であり、私の宗教理念と私の宗教は必然的に同じものになります。しかし、私の宗教理念で別の宗教もできます。私とは違う宗教理念もあり得ます。例えば教義内容は丸暗記して絶対服従を要請されるものもあります。しかし、私は、個人的な影響については関知しません。>>もっと読む