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h-ymmt405
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【安易に感謝を求めると力勝負になります】 まさかキリスト教の法皇ではないと思いますが、「感謝しなくては」いけないと言った人がいます。普遍的に「感謝しなくてはいけない」などと言うことは神にしかできないことです。意味することは、特定人に第三者が確かな対象(不確かな対象も存在します)に「感謝しなさい」と云うこととすり替えてはいけません。普遍的な教えとすることはできないのです。又、あなたは、私に感謝しなくてはいけないと言われれば、宗教的立場からすれば注意してもよいのです。理由は感謝を他に要求する行為は貪りだからです。しかし、無暗に注意すると力勝負になります。理由は感謝と恩は別だからです。(徳性の貸借が介在する) 第三者には想念の領域や潜在意識まで掘り下げれば、自分以外の人達の相互関係の在りようなどは解らないのです。注意するなら「あなたは誰々にカクカクシカジカの様に行ないなさい」と具体例で示さなくてはいけません。但し、具体的行為に対して、その場で感謝を要求する場合は他の意味と併合しますので(例えば当人が行なうことを代わりに行なった等、良心のある人は、自ら想い行うことは、神の意思であるとも言えます)ので言えれば言ってもよいと思います。但し、力勝負になる可能性があります。親子間では親が子供に老後の面倒を診てもらえなくなります。感謝を求める言行に注意を行うことは自らに徳性がなくては困難です。 「一口メモ」私の宗教は神が存在しなくても形骸化はできません。宣教できないだけです。神が存在すれば、宣教もできます。但し、組織をもって宣教することは、私の宗教理念の形骸化になりますので、宣教は事務所程度の規模で行っていたなくてはなりません。岩倉神社(分殿)に私の宗教を奉納させてもらえば恰好の宣教になります。但し、私に奉納の権利があることを前提とします。本殿又は京都御所は、私を含めて宗教を奉納する権利の無い人の奉納はお断りしていただくことをお勧めします。あえて注文を付ければ岩倉神社には奉納は宗教理念て奉納していただき、宣教希望者(希望がある場合)には事務所規模で行っていただきと云うことです。尚、権利に関するヒントは、私が岩倉具視公の生まれ替わりと認められるか?どうか?です。 >>もっと読む