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h-ymmt405
社会の谷間に埋もれた、とんでもない情報を紹介します
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【侵される可能性のある生道徳の対策について記す】 念のために「私の宗教に」は他人を利用したり、宗教を利用すれば最後には神をも利用しなくてはならなくことを教えとして付け加えさせてもらいます。私が生前に行った性道徳が気に入らなければ法律を改善していただければよいのです。以上は私の死後に関することです。当然のことながら「私の宗教は」どのように法律が変っても道徳は変える必要のないように出来ています。問題は細部の行いとその内容に関することだけです。そこは各自で規制してもらうより仕方ありません。いわんやこの宗教の道徳は、カクカクシガジカの道徳が犯される隙が在るから直さなくてはいけないとの指導を受け入れれば、現在の日本の社会では誰でも「私の宗教」を受け入れれば神の裁断を仰ぐことはできなくなります。(どのような性道徳に反することもできると云う意味)神の裁断を仰ぎたかったら警察官の性に関する犯罪は、国連に厳重に取り締まっていただかなくてはいけません。それからでないと性道徳の違反の裁断を神に仰ぐことはできません。勿論、性道徳に関しては具体的な行為を禁止事項として指導しなくてはいけない人もいます。 以上については組織を持つ宗教法人の可認可の条件にすればよいのです。私の宗教は組織を持っていないのだから賞罰は各個人がかみに委ねるより仕方ありません。以上に関して意見を述べてもらうことに異論は有りませんが想念上といえども他人の名前を騙って述べることは厳に慎んだもらわなくてはいけません。さらには宗教家と言えども生まれ替れば前生で主張した道徳を無視していきることは神の前では許されないと思いますので宗教法人の認可の際注意してください。警察官は犯罪を犯す可能性のあるものはこと前に取り締まる権利が在るかも知れません。しかし、道徳を犯す可能性のあるもごのをこと前に取り締まることは行ってもらいたいと云うことか?常識的にはあり得ないことでも禁止事項がなければ行ってもよいのです。いけないなら禁止事項をつけなくてはなりません。その場合厄介ごとが起きた場合は禁止した人の責任になります。私は他人の肩代わりをして厄介ごとの責任を負うことはできません。例え悪いことでも予想もしなかったことは起きてから禁止することはできないのです。禁止するとは実行を中止することではありません。