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カテゴリ:旅
今回の旅は、例によって旬感旅行の「「壱岐島」の魚介づくしと「呼子河太郎」活イカ
料理二日間」という企画です。この企画が何で太閤の夢なんだと思われるでしょうが、 たいていの参加者は、魚介づくしと活イカ料理にひかれたようです。 ちなみに、今回の参加者は全部で17名、これに添乗員さんが一名加わって、まずは46人 乗りの大型バスで移動します。これが旬感旅行のいい所なんですけどね。 お昼に呼子(よぶこ)の河太郎に到着するように、虹の松原などで時間調整しながら 向かいます。 ![]() 虹の松原です。日本の三大松原と言われるようですが、泳いでいる家族がいますね。 さすがに、海の水は綺麗です。17世紀初めに時の藩主「寺沢 広高」が新田開発の防風林 として植樹させたようです。 ![]() 虹の松原から見た唐津城です。名護屋城の壊した石垣と建材を使って、作られていた ようですよ。当然ながら、現在見られる天守閣は、戦後に再建されたものですが。 ![]() 呼子の河太郎です。さすがに土曜日ですね、店内・天外にも順番待ちの人が並んでいます。 そこはツアーの強み、二階の個室に案内されます。 ![]() 河太郎さんのホームページから、活イカの刺身の絵をお借りしました。当然ながら透き 通っていて、一人にいっぱいづつ付いています。刺身を食べ終わると、塩焼きか天ぷら のどちらかにしてくださるのですが、てんぷらが最高ですね。 ![]() 一階客席の中央で、出番を待っているイカさんたちです。もうすぐ、網ですくわれて 包丁で刻まれるとは知らないんでしょうね。教えてあげようかな。 ![]() 呼子漁港でイカが干されていました。干し上がって、これから売られるようです。 土日には、朝市が立つようで、河太郎さんの向いにも、一件お店が出ていましたね。 ![]() 食後は、名護屋城祉を見学する組と、波戸岬を見学する組と分かれます。私は当然 名護屋城祉ですから、バスから降ろされてボランティアガイドさんの説明を聞きながら、 名護屋城祉を見学します。 秀吉さんが作らせたお城の跡ですから、名古屋城よりも大きかったようですよ。 もともと松浦党波多三河の守親の家臣名古屋越前の守経述の居城、垣添城であった所を 高い石垣を用いて大きく改造しているそうです。 ![]() 太閤は、加藤清正等に設計させ、各大名への分担で築いたもののようです。秀吉の死後 石垣や建材は他の城の築城に使われたようで、大手門は仙台・伊達氏の青葉城の大手門と して、移設して使われていたようで、国宝に指定されていたそうですが、昭和20年空襲 で焼失したそうです。 ![]() 本丸跡にて、ガイドさんの説明に耳を傾けるメンバーです。皆さんとても歴史にお詳しく とても時間が足らなくなってしまい、隣に佐賀県立の博物館があるのですが、国宝級の展示 がされているというのに、ほとんど見ることが出来ませんでした。 ![]() ![]() 天主台跡とその説明です。当然ながら、秀吉はここにいたわけではなく、三の丸で謁見 していたようです。なおガイドさんの説明では、秀吉は小田原ぜめと同じように、側室 なども連れてきていたそうで、御能の練習をよくしていたそうですよ。 実際に、この城に滞在したのは一年半だけだったようですが。 ![]() 遊撃丸跡です。先に触れているように秀吉が死去すると、講和をして退却するのですが あとの城の管理は、唐津藩に任されたので、主に石垣は唐津城に転用されたようです。 ただ、島原の乱に出兵した知恵伊豆こと松平伊豆の守は、島原城を二度と使えないように 石垣を崩したりしたのですが、その帰りにここにもより、石垣なども徹底的に埋めさせた ようです。 ![]() 海の手前に小高い山がありますが、このあたりに諸侯の陣屋があったようです。 誰がどこにとちゃんと記録が残っているのが、近世ですね。ちなみに、近くには自分の 子飼いの武士たち、徳川さんは池をはさんで、前の山の真ん中辺あたりだったようです。 * 追伸 とにかく、河太郎の活イカ料理と夜ビューホテル壱岐で出された料理はすごいですよ。 あと8月23日、30日、9月6日に予定されているようですから、興味のある方はJAL のホームページからツアーへ入り、旬感旅行のページを開けてみてください。 ちなみにWEBコードは139です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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