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たそがれの写真家が書くあれやこれや

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2014年09月29日
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御岳さんで、31名の心肺停止者がいると報じられていました。うち4名が麓に運ばれ死亡が確認され、今日も心肺停止者から6名が亡くなられたとのことです。心肺停止と言っても、AEDが使われているわけではありませんし、人口呼吸もしようがないわけですから、とても気になる所です。しかもさらに心肺停止の方が見つかっているとか。

ところで支笏湖の帰り、洞爺湖に回り有珠山ロープウェーに乗って、昭和新山や有珠火山を見ていました。有珠山は唯一爆発が予測できる山と言われ、前回は予兆に基づき洞爺湖周辺に住まわれていた住民が避難して、犠牲者が出なかったと言われています。しかしながら洞爺湖温泉街のすぐ近くにも火口が新しくできたり、その影響はとても大きなものでした。

洞爺湖温泉は、昔神戸に赴任していた時、会社側の添乗員として同行していて、二人足らないので探しまわっていたら、その二人が帰ってきたとしてバスが発車してしまい、私が置き去りになったと言う今だに忘れられない記憶があるところでもあります。


写真00081 洞爺湖
写真00081 洞爺湖 posted by (C)たそがれの写真家


写真00082  1977年火山遺構公園
写真00082 1977年火山遺構公園 posted by (C)たそがれの写真家

1977年8月6日に前兆地震がはじまり、その翌日には有珠山山頂から噴火した。当時この場所には鉄筋コンクリート3階建ての三恵病院があり230人が入院していた。前兆地震と同時に緊急避難を開始したため人的被害はなかったが、火山の噴火に伴い洞爺湖湖岸は地盤が25mも移動し、断層上に建てられていた病院施設や集合住宅は地盤のズレによって倒壊した。

写真00084 病院跡
写真00084 病院跡 posted by (C)たそがれの写真家


写真00086 有珠山の火口パネル
写真00086 有珠山の火口パネル posted by (C)たそがれの写真家


写真00096  昭和新山
写真00096 昭和新山 posted by (C)たそがれの写真家

昭和新山は、1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームである。当時は第二次世界大戦の最中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。そのような状況下で、地元の郵便局長であった三松正夫は、新山が成長していく詳細な観察記録を作製していた。これは後年、「ミマツダイヤグラム」と名づけられて貴重な資料となり評価された。

また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地を買い取った。そのため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地にある火山となっている。1951年(昭和26年)、国の「天然記念物」に指定、1957年(昭和32年)には「特別天然記念物」に指定された。


写真00101 室蘭・地球岬
写真00101 室蘭・地球岬 posted by (C)たそがれの写真家


写真00104 有珠山から見た昭和新山
写真00104 有珠山から見た昭和新山 posted by (C)たそがれの写真家


写真00106 有珠山の影から羊蹄が
写真00106 有珠山の影から羊蹄が posted by (C)たそがれの写真家


写真00111 有珠山山頂
写真00111 有珠山山頂 posted by (C)たそがれの写真家


写真00120 有珠山の火口
写真00120 有珠山の火口の一つ posted by (C)たそがれの写真家


写真00121 伊達市・アルトリ岬
写真00121 伊達市・アルトリ岬 posted by (C)たそがれの写真家




2000年の噴火について、ウィキペディアでは
3月31日午後1時7分、国道230号のすぐ横の西山山麓からマグマ水蒸気爆発。噴煙は火口上3,500mに達し、周辺に噴石放出、北東側に降灰した。噴火直後より、内閣安全保障・危機管理室からの要請で札幌行の特急列車を長万部駅で運行を打ち切って洞爺駅へ回送させ、折り返し虻田・豊浦町民を長万部町へ移送する等の避難列車を仕立てた。

翌日には西山西麓、また温泉街に近い金比羅山でも新火口が開いた。西山・金毘羅とも付近に次々と新しい火口を形成した。火口に近い地域では噴石や地殻変動による家屋の破壊が多発した。同年8月になると深部からのマグマ供給が停止し、9月以降は空振や火山灰噴出の活動は衰えた。


長い間住民の避難が続いたわけですが、

国道230号は、噴火によって通行不能となり、後に溶岩の貫入による地盤の隆起により複数の断層が発生して破壊された。金比羅山火口からは熱水噴出により熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失した。また、広い範囲で地殻変動による道路の損壊が発生した。

なお、噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大した。JR北海道室蘭本線は一時期、跨線橋の落下などのため不通となり、長距離及び貨物列車の一部は函館本線経由で迂回運行された。3月29日から翌2001年(平成13年)6月30日までの間、道央自動車道の一部区間が路面損壊などのため通行止となった。熱泥流に襲われ校舎が損壊した洞爺湖温泉小学校は、敷地が砂防ダム用地になったことも合わせて再び移転改築を余儀なくされた。










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最終更新日  2014年09月29日 22時48分32秒
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