たそがれの写真家が書くあれやこれや

2017/11/28(火)09:10

現存する「備中松山城」と紅葉を愛でる

写真家として(842)

蒜山までの空の旅は、すでに報告していますが、二日目に休暇村が主催するツアーが行われ、旧吉岡坑道と弁柄の街と備前松山城に行ったんです。備前松山城についてwikipediaは 松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)である。別名、高梁城(たかはしじょう)。「備中松山城跡」として国の史跡に指定されている。日本100名城。四国の愛媛県松山市にあった松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶ。城跡が国の史跡、江戸時代に建造された天守や二重櫓などが重要文化財に指定されている。標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。 城のあった臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の御根小屋から約1,500m、1時間ほどの道のりの山道を経て至る。江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓に御根小屋という御殿を構え、そこで藩主の起居・藩の政務を行った。 現在は城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。御根小屋の跡地には岡山県立高梁高等学校がある。 盆地の中の山城であることから、最近は雲海に浮かぶ城として、人気が高まっており、まだ夜が明けぬ暗いうちから、備中松山城が見える高原の展望台には、三脚の放列が出来るそうです。この山城には、途中まで車の入れる道路もあるのですが、ふもとに駐車場が作られ、シャトルバスで中腹まで行き、そこから登山道を登る形をとる。 ちなみに私たちのバスは、山への通行許可をとってあり中腹の駐車場までバスで上がって、登山道を歩きました。 写真00270 posted by (C)たそがれの写真家 写真00272 posted by (C)たそがれの写真家 写真00286 posted by (C)たそがれの写真家 写真00294 posted by (C)たそがれの写真家 写真00297 posted by (C)たそがれの写真家 写真00304 posted by (C)たそがれの写真家 写真00313 posted by (C)たそがれの写真家 写真00316 posted by (C)たそがれの写真家 写真00320 posted by (C)たそがれの写真家 写真00326 posted by (C)たそがれの写真家 写真00329 posted by (C)たそがれの写真家 写真00331 posted by (C)たそがれの写真家 写真00338 posted by (C)たそがれの写真家 写真00347 posted by (C)たそがれの写真家 写真00356 posted by (C)たそがれの写真家 写真00360 posted by (C)たそがれの写真家 写真00360 posted by (C)たそがれの写真家 写真00367 posted by (C)たそがれの写真家 写真00370 posted by (C)たそがれの写真家 写真00377 posted by (C)たそがれの写真家 写真00377 posted by (C)たそがれの写真家 写真00384 posted by (C)たそがれの写真家 写真00388 posted by (C)たそがれの写真家 写真00405 posted by (C)たそがれの写真家 写真00408 posted by (C)たそがれの写真家 写真00410 posted by (C)たそがれの写真家 写真00414 posted by (C)たそがれの写真家 写真00418 posted by (C)たそがれの写真家 写真00422 posted by (C)たそがれの写真家 写真00426 posted by (C)たそがれの写真家 写真00431 posted by (C)たそがれの写真家 *この備中松山城がなぜ残ったのか、江戸時代殿様をはじめ侍たちは麓の御殿に出仕していましたので、山上のお城には四人ほどの留守番がいただけだったそうで、明治維新にはボロボロな状態だったそうです。それを地元の人たちが残念に思い立て直し修理をしたそうです。 ところでこの城ですが、最近テレビでっ追われているのですがご存知ですか? 備中松山城は、NHK大河ドラマ(2016)の「真田丸」のオープニングに登場していました。どのように使われていたかをご紹介します。真田氏には縁のない備中松山城ですが、NHKのディレクターの目にとまり、標高430mという高いところに天守が残っており、険しい岩山(臥牛山)の上に残る城郭が山深い真田氏の居城のイメージに近かったことからロケ地に選ばれたと聞いています。・・・高梁市hpから  、

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