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たそがれの写真家が書くあれやこれや

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2021年08月12日
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カテゴリ:追憶
あの日、実は8/2に父を心筋梗塞で亡くし、続けてお盆休みに入っていましたので、自宅で父にお別れに見える方々の接待をしていました。来客も絶え廊下で川風(父の建てた家は、狩川の川ソバにありました)に当たっている時でした。
日航機が行方を絶っているとのテレビの通報を聞いたのは。

操縦不能に陥った時のパイロットの心境たるや、とても言葉では表せないものだったでしょうね。今では一週間に3度は飛行機に乗っている勘定になるのですが、JALのクルーの皆さんに全幅の信頼を寄せ、安心して乗せていただいてはいるのですが、弟たちには墜落してそこで死ぬのが一番楽かななんて冗談にもならない冗談を言っていますが。

先日の三沢行で視界不良で羽田に引き返すとのアナウンスを聞き、素晴らしい判断だと思いけして腹立たしいものではありませんでした。自分一人が乗る機体だったら、エイやもあるかもしれませんが、小型機とは言え76名の乗客と2名のクルーの命がかかっているのですから、引き返すのもやむを得なかったと思いますし、それが正しかったのでしょう。

もっともその前、私が三沢で乗ろうとして、機が降りられず羽田に引き返し、私が乗るべき便も欠航となったのですが、なんとその一週間三沢空港へは一度も降りていないと聞き、そんな空港で良いのかと思ってしまったものです。三沢空港が、基本的には米軍の空軍管理でそこを航空自衛隊や日本航空が使用させていただいている現状では、着陸支援システムの設置なども無理なんでしょうね。


日航123便がラストフライトとなったJA8119

日航123便がラストフライトとなったJA8119


垂直尾翼を失ったまま飛行する123便

垂直尾翼を失ったまま飛行する123便

                  二枚ともhttp://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ja8119.htmから
当時は、私は名古屋に赴任していて、毎週実家に帰っていましたので、ストレスが溜まり自律神経失調を起こしてしまい、閉所恐怖症まで患ってしまいました。この頃から動脈硬化が進み、いわゆる成人病の世界に陥ってしまったものと思われます。

今でも、頭には脳梗塞の跡があるのですが、これはこの約8年後のことと思われます。そして同時に首の動脈のうち2本が詰まってしまい、頭への血流が常人の1/2と低下、しかも脳幹への動脈が2本しかないのに、糸のように細くいつ破裂してもおかしくない状況にあるとか、いろいろと毎年検査のたびに言われる障害を持つようになるのです。



                              2014年8月12日のブログから





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最終更新日  2021年08月12日 13時37分39秒
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