一年で一番長い日 55、56「別の名前の死人なら、もっと簡単に見つかったらしいんだけどね。せめて名前くらいは、って夏子さんがその偉い人に頼んでくれたんだって」「同じ<芙蓉>の名を持つ死人、ってこと?」 「そう。別に名前が変わったって芙蓉は芙蓉なんだけど、<芙蓉>と<葵>、俺たちの母がつけてくれた名前だってこと、大切に思ってくれたらしいんだ。・・・会ってみたかったよ、夏子さんに」 寂しげに、葵はまた夏樹の髪を撫でた。 俺も会ってみたかったな。そう思った。芙蓉という一人の人間を、彼女は全力で愛したんだろう。 「その戸籍の本物の<芙蓉さん>の遺体は、ちゃんとその名前で墓を建ててあげたって。その人はほとんど身寄りのない状態だったから、無縁仏として葬られるよりは良かったかもしれない。毎年、夏子さんが亡くなってからも、<芙蓉さん>の墓にお参りしてるって芙蓉は言ってた」 俺は感心した。 「利用するだけじゃなくて、ちゃんと礼は尽くしてるんだ。それなら<芙蓉さん>も許してくれるんじゃないかって俺も思うな」 俺の言葉に、葵は目を伏せた。 「・・・芙蓉には、もちろん俺という双子の弟がいるわけだけど、会うことは禁じられたし、母は早くに亡くしてる。父には捨てられたわけでしょ? だから身寄りの無い<芙蓉さん>の境遇が他人事に思えなかったみたい。夏子さんは、やり方は大胆だけど人間としての情にあふれた人だったから、戸籍を借りた人の後のことは最初からちゃんとするつもりだったらしいんだ」 「そうか・・・」 「二人でいられたのは短い時間だったけど、芙蓉は夏子さんのお蔭で本当に救われたと思う。彼女がいなければ、芙蓉はどこかへ堕ちていってしまって、もう会えなかったんじゃないかって、そう思うんだ。だから、俺は彼女の息子である夏樹を幸せにしてやりたい。もちろん、芙蓉もね」 「その幸せに、あのマンボウ・ピアスが関係あるんじゃないか? 違う?」 俺の突然の問いに、葵は一瞬驚いたようだが、すぐ立ち直った。 「いきなりだね。もっと手順を踏んで欲しいな。あなた、そんなんじゃモテないよ?」 「いいんだよ、モテなくても! 俺には可愛い娘がいるんだから!」 「でも、寂しくない?」 からかうような声音に気づかず、俺はムキになって答えていた。 「ぜんっぜん寂しくない。元・妻の弟がまるでパソコンの電磁波みたいにしつこく絡んでくるから! そんなにしょっちゅう顔を見せるなっていうのに、へらへらしながら俺にかまいに来るんだ。今度玄関ドアの前に特大の電磁波吸収サボテンを置いてやろうかと思ってるくらいだ!」 俺の顔を観察していたらしい葵は、また大笑いした。 「あなたの元?おとうとさんの気持ち、分かるよ。あなたって、なんだか知らないけどからかいたくなるもの」 ------------------------------------------------ からかいたくなるって、俺は猫かい! 心密かに俺は毒づいた。自分が猫の耳に息を吹き掛けてからかって遊んでいるのはひとまず棚に上げる。 「あんなのの気持ちが分からなくていいよ! ったく、話を逸らせようと思ってるだろ?」 「あ、分かっちゃった?」 葵は、芝居がかって自分の頭をコツンと叩いてみせる。キレイな男は何をしても似合うもんだ。綺麗なお兄さんは好きですか? って、違うだろ、俺! 一人ボケツッコミは虚しいっていうのに、どうして何度もやってしまうのか。俺は何でも屋じゃなくてお笑いを目指すべきだったんだろうか。 いや、ダメだ。お笑い芸人は売れるまでは自分一人ですら食べるのが難しいという。俺にはののかがいるんだ。養育費を払わないと会わせてもらえないんだから、コツコツ堅実に稼がないと。 そう。お笑い芸人を目指すには、相方探しも難しいし、かといってピン芸人も大変だ。アメリカではスタンダップ・コメディというジャンルが確立されているが、頭もカンも相当良くないと務まらない。レニー・ブルースのような有名毒舌芸人もいるが、彼の最期はたしか寂しいものじゃなかったか? いやだから、はぐらかしに乗るな、俺。自分で勝手に妄想を膨らませてたんだけど。 「あのマンボウ・ピアスはどうして石の色が違うんだ?」 コホン、と咳払いをしてから俺は訊ねた。 「色違いのお揃いか、それとも、石だけ変えたか?」 それには答えず、葵は悪戯っぽく笑んでみせる。 「あの赤い石、なんていう名前だか知ってる?」 「え・・・? 赤いんだから、ルビーとかガーネットじゃないのか?」 赤い宝石とか貴石とかって、それくらいしかないんじゃないのか? 考え込む俺に、葵はゆっくりと首を振った。 「あれはね、サンストーンていうんだよ。ヘリオライト、つまり<太陽石>」 「・・・<太陽石>?」 無意識に俺は呟いていた。 『太陽の魚は、お日様が好きだと思う?』 彼女、いや、芙蓉の言葉が甦る。お日様、というのはこのサンストーンのことなのか? 混乱しつつ、さらに俺は訊ねた。 「石を、これに入れ換えたのか?」 葵は頷く。 「太陽の魚に、太陽の石をね」 あの色は、赤い芙蓉の花の色にも似てるよね。葵はそう言って微笑んだ。 次のページ 前のページ |