一年で一番長い日 57、58「芙蓉は父の罵るがままに黙って家を出て行ったけど、だからといっておとなしく言うことを聞くだけの子供じゃなかったんだよ」葵は言う。 「むしろ、俺よりずっと聡くて機転が利いた」 「どういうことだ?」 「保険を掛けたんだ。父の会社の表に出せない裏帳簿だのよからぬ関係先資料だの、そういう世間様に知られちゃ困るようなものを全部コピーしていったんだよ。特に何をしようというわけでもなかったらしいけど、念のため、後々何かあった時のためにね」 「そのこと、わらいかめ、いや、高山氏は知っているのか?」 俺の言葉に、くくっと葵は肩を揺らせた。 「<笑い仮面>でいいよ。そう言おうとしたんでしょ?」 「う、まあな・・・」 俺はきまり悪く目を逸らせた。 「<笑い仮面>なあの人は、全然気づかなかったらしいんだ、最初はね。芙蓉はコピーの痕跡も残さなかったし。同じこと、俺だったら出来ないよ」 「でも、今はそのコピーの存在を知ってるってこと?」 葵はうなずいた。 「なんで知ることになったんだ? 芙蓉くんが何かしたのか?」 俺の問いに、吐き捨てるように葵は答えた。 「何かしたのは、父の方。芙蓉はそれをやめさせるためにコピーの存在を明かして、脅したって言ってた」 「高山氏は一体何を?」 脅す、とは穏やかでない。<笑い仮面>は芙蓉くんを怒らせるどんな酷いことをやったんだ? 「汚い手で夏子さんの店の入ってるビルを手に入れようとしたらしいんだ。今は芙蓉が経営してる店はそのビルのテナントのひとつなんだけど、ビルのオーナーの資金の借り入れ先が、いつの間にか父の金融会社にされてしまっていたらしいんだよ。それで立ち退きを迫られるようになったって」 -------------------------------------------- 「まるで893みたいだな・・・」 俺の呟きに、葵が答える。 「みたい、と言うか、そのもの、かもね?」 からかうような目で俺を見ている。本当なのか冗談なのかは・・・今は聞かないでおこう。 「目当てのビルに、芙蓉くんの店が入ってるって、高山氏は知ってたのかな?」 「知らなかったと思うよ。五年前に家から追い出したもう一人の息子のことなんて、すっかり頭になかったみたい」 俺は葵の横ですやすや眠っている夏樹くんの顔を見て、切なくなった。 「こんな可愛い孫もいるのに・・・」 高山氏は、この子におじいちゃん、て呼ばれたくないんだろうか。 俺だったら呼ばれたいぞ。孫が出来たら。・・・ん? 孫が出来るってことは、ののかが嫁に行ってしまうってことか? くそ、どこのどいつだ、俺の可愛い娘をさらっていく奴は。許せん。ののか! お前の選んだ奴がお父さんの目に適うような男かどうか、見極めてやるからな! 「どうしたの、怖い顔して?」 「え・・・?」 まだまだ十一年以上は絶対先のことを考えて、つい険しい表情になっていたらしい。 いやいや、十六で結婚なんてダメだ! せめて大学を出てから、いや、何年かどこかへ勤めてから、それとも外国に留学でも・・・ 「いや。高山氏は孫の顔を見たくないのかと思って」 俺はにっこり、と笑ってみせた。が、顔は引きつっていたかもしれない。 危ない危ない。今まだ五歳の娘が、結婚したいと言う時が来たらどうしよう、などと男親バカ大全開な心配をしていたなんて知られたら、またからかわれてしまう。 そんな俺の気持ちをよそに、葵はつまらなさそうに首を振った。 「芙蓉にも、芙蓉の子にも、興味は無いと思うよ、あの人は。だって、あの人にとって芙蓉は恥ずべき<欠陥品>だから。<欠陥品>の子供を孫とは認めないだろうな」 「そんな・・・」 俺は絶句した。さっきまでの男親バカな妄想も吹き飛んだ。 「じ、自分の心の方が欠陥品なんじゃないのか?」 あんの<笑い仮面>め~! 許せん。怒りがふつふつと湧いてくる。葵の方は既に怒りが燃え尽きて、真っ白な灰にでもなったように無表情になっていた。 次のページ 前のページ ジャンル別一覧
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