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「こんにちはー」
俺は元気よく挨拶を返す。──昼の光の中のこの人は、整った顔立ちも相俟って爽やかにすら見えてしまう。そういうところが、やっぱ胡散臭いなぁ……。ま、いいけど。だってそれが真久部さんだし。 「ちょっと今、ひと仕事終えたところなんです。真久部さんは?」 ご近所とはいえ、こんな時間に外を歩いてるなんて珍しい。そう思い、たずねてみると、唇の両端をわざとらしくニッタリと吊り上げてみせる。 「何でも屋さんを迎えに来たんだよ」 「え?」 俺、今日、慈恩堂の店番請けてたっけ──? 昨日お客さんといっしょにカヤコの出るホラーなDVDを観たから、雰囲気のありすぎるあの店で、たった一人で過ごすのはちょっと……最近慣れてきちゃったような気もするけど、でも、二階への階段の暗がりから子供の白い顔が現れたりしそうで、怖……、などと混乱していると、真久部さんがくすっと笑う。 「冗談です。ちょっとそこの富貴亭まで、おにぎりを買いにね」 いつも出前してくれる若い衆がインフルエンザに罹ったらしくて、今日はいないというから散歩がてら出てきたんです、と言う。 「あ、そうか。富貴亭はこの喫茶店のすぐ向こうですもんね」 この辺りの地図を頭に浮かべて、納得した。今風高級料亭の富貴亭は、かまどで炊いた美味しいご飯で有名になりつつある。お昼限定でおにぎりも販売するようになり、板長に指導されながらかまど炊飯の修行をしている若い衆も、だいぶん上達しているようだと、ちょっと前にこの人から聞いた。 「つい十個も買ってしまって、自分でもどうしてだろうと思ってたんですが……そうか、ここで何でも屋さんに会うことになっていたからなんだねぇ」 謎の納得をしながら、真久部さんはひとりうなずいている。 「……」 俺は何だか危険を感じ、下りていた自転車にまたがり直した。 「じゃ、じゃあ、俺はこれで。お仕事のご用命がありましたら、また声をかけてくださいね!」 勢いをつけてペダルを踏み出そうとした、その時。 「あ痛っ!」 足が滑って、ペダルで思いっきり脛を打ってしまった。いだだ……。 「まあまあ、そう焦らずに」 大丈夫ですか、と言いながら、真久部さんがまた読めない笑みを浮かべている。 「この時間だから、これからお昼なんでしょ、何でも屋さん」 「え、まあ……」 「いま言ったとおり、おにぎりがたくさんあるので、|うち《慈恩堂》に来ませんか? すぐそこですし」 富貴亭のかまど炊きご飯は、やっぱり格別ですよ、と寄り道を唆してくる。 「いや、その──」 「実はね、今日はどうしてか、朝から大量の粕汁を作ってしまって……。いえ、粕汁というより、粕汁風味の豚汁、かなぁ? 豚肉をたっぷり、玉ねぎ、人参、大根、ささがきごぼうを入れて、細かく切ったサツマイモを入れるのがうちの味なんですが、いかがですか?」 「う……」 今日のような寒い日に、熱々具沢山汁物の誘惑なんて──。 ぐー……。 腹が勝手に返事を。やめろ! でも、一度鳴ったら止まらない。くっ! 今日は朝飯のあと、軽食を摂る暇がなかったんだよ。いつも早朝五時頃朝食だから、昼までのあいだに何か食べないと腹が保たない──。 「富貴亭のおにぎり、塩むすびも美味しいですけど、海苔もなかなかなんですよ。いい海苔を使っているようですから。中の具はすっきりした梅干しでねぇ」 美味しいご飯に、熱い粕汁。 「炊き上がりを握ってもらいましたけど、店に着くまでに冷めるから、軽くレンジでチンしてほかほかにすると美味しいですよね。さあさあ、行きましょう」 にーっこり。読めない笑みで、怪しく笑う真久部さん。怪しいんだけど、胡散臭いんだけど──。 俺は、温かいご飯と熱い粕汁の誘惑に負けた。 ぼーんぼーんぼーん…… チッぼーんチッぼーん…… ぼんぼんぼんチッぼんぼんぼんチッ…… 今日も慈恩堂の古時計たちは好き勝手に時を刻んでる。入ってすぐの棚にある見慣れた布袋様の腹を横目に、薄い煙を上げているように見える鯉の香炉をスルー。鯉こわい鯉こわい……なんて思ったらダメだ。眼をそらせたら、あっちは怪しい招き猫エリア……ん? 小判を見せつけてくるあいつはいるけど、水無瀬家から引き取ったという、元は呪いの招き猫が、いない……? …… …… いや、気にしちゃいけない。見ない見えない聞こえない。すべては気のせい気の迷い。うっかりここに来ちゃったからには、いつもの呪文、いや、心得を──。 「どうぞ、上がって待っててください。すぐ運んできますからね」 帳場のある畳エリア、その真ん中のちゃぶ台こたつを示すと、真久部さんは土間の方からさっと台所に入って行った。 「……」 何度も店番を務めて、勝手知ったる慈恩堂。俺は無言で座布団を二つ出してきて、いつも自分と真久部さんが座る場所に置く。こたつのスイッチを入れると、中はすぐに暖かくなる。慣れてしまったこの手順、俺はちょっと真久部さんに転がされすぎじゃないだろうか。 うっかりそんな疑問を浮かべてしまったけど、ほどなく畳側の引き戸から入ってきた店主の持つお盆の上に載ってる器から立つ濃い湯気に、どうでもよくなってしまった。 「おかわり沢山あるから、遠慮なく言ってください」 「ありがとうございます!」 だって、真久部さんの作るものって、美味しいんだ。ミネストローネスープとか、マフィンとか、パウンドケーキとか。栗入りのやつは美味かったなぁ──って、それよりも今は、粕汁粕汁。大きめの汁椀に、食欲をそそる味噌と酒粕のかぐわしい香り。ひと口啜ると、濃厚な味わいにもっともっととすきっ腹の胃が騒ぐ。 ほどよくとろけた玉ねぎに、千切りにした大根と人参の煮え具合は絶妙、たっぷりの豚肉は脂が多すぎず少なすぎず。ささがきごぼうのクセが具材と酒粕にいい感じに絡んで、細かく切ったサツマイモの甘さがいい舌休めになる。 あっというまに一杯食べてしまい、次のターゲットにかかる。かまど炊きご飯の塩むすびの、噛むほどに広がる甘みに感動し、大きな海苔で包まれたおにぎりの、上等な磯の香とすっきりした梅干の酸っぱさのコラボレーションを愉しむ。 気づけば、俺はおにぎりを五つ、粕汁を三杯も食べていた。いや、真久部さんがさっとおかわりを入れてくれるから……。 「ご、ごちそうさまでした……」 俺、ちょっとがっつきすぎだよなぁ。 「おそまつさまでした」 真久部さんがにっこり笑う。──この人も、いつの間にかおにぎりを四つ食べている。粕汁も俺と同じタイミングでおかわりしてたみたいだし……。 つづく……。 <俺>はいいなぁ……。管理人は昨日、お昼を食べはぐれましたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年02月24日 11時51分25秒
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