私を深くその世界に誘うもの、その強さ...
今日、キッチンの床掃除をしていてある出来事を思い出した。それは私がまだ日本にいて、新宿の英会話教室に通っている時の事だ。このHPを読んでくれた人は、気付いていると思うけど、私はここ10余年程、抑圧されている人たち、特にアメリカの黒人とその歴史にとても興味を持っている。当時の私はその英会話教室で、数少ない(30余人中2人)黒人の先生に、出来るだけ予約を入れるようにしていた。それは、そのうちの一人、カナダ生まれの黒人と白人のハーフ、ジェニファーの授業中の事。彼女は、ミルクティー色の肌の、背の高い美人だった。黒人、と言っても彼女の母親(黒人)もかなり白人と混ざっていたのだろう、彼女曰く、「私の母もそんなにダークスキンではなかったわ。まぁ尤も、アメリカでは1滴でも黒人の血が入っていれば「黒人」だから、私の事を「ハーフ」と思ってる人はいなかったけど。」と笑っていた。ラッキーな事にその授業は私の他にもう一人しかいなかったので、授業そっちのけで、人種差別について彼女に振ってみた。彼女は、「人種差別って言うか、、」と言って彼女の体験を話してくれた。彼女が高校生の頃、友達4人(自分以外はすべて白人)と、そのうちの一人の子の家に集まって、歴史プロジェクトをこなしていると、そのうちの一人が、「ねぇ、もし過去に生まれ変われるとしたら、いつが良い?」と言い出した。その言い出しっぺの子が、「私は19世紀頃が良いわ。普段着にドレス着を来て、ペチコートをいっぱい履いて、たまにダンスパーティーなんて優雅じゃない?」とジェニファーに微笑み掛け、「そう思わない?」と尋ねた。彼女はムッとして、「Hell, No.」(冗談じゃないわ。)「そんな時代に戻ったら、私はドレスどころか、裸同然で死ぬまでただ働きさせられるのよ。私は黒人なんだから。」と声を荒げた。それまで笑って話していた彼女たちが、ハッとして、御互いの顔を見合ったそうだ。その時の4人の反応を思い出しながら、「あの時の彼女たちの顔ったら、、、」っと、彼女は大笑いしながらデスクをバンバン叩いた。それを見て私は、強い人だなっと思ったのを覚えている。強くなければ『黒人』ではいられない。その証拠に、私はそれを笑う事は出来なかった。そんな事を考えながら床掃除をしていたら、もう一つ似たような(?)出来事を思い出した。それはのんきと出会って間も無い頃、私が彼に尋ねた事だ。「のんき、のんきがもし奴隷制の真っ只中に生まれてたら、どうする?」私の無神経な質問に、彼はこう言った。「I will be another Nat Turner. If I would be killed regardless of what I do I wouldn’t be able to let my life go on as a slave, without having dignity or integrity. I would rather take as many enemies as possible with me who put and keep me, and my people in the circumstance.」「僕はもう一人のナット・ターナーになってたよ。もし(一生懸命働こうが、逆らって暴れようが、)どっちにしても殺されるんであれば、人間としての尊厳や、真実を奪われた奴隷として、長らえる事に耐えられないよ。だったら、僕や、僕達黒人をこんな状況に陥れ、それを続けて行こうとする「敵」を、一人でも多く僕と一緒に(あの世)に連れて行くよ。」ナット・ターナーとは、1831年8月21日に4人の奴隷仲間とともに謀反を起こし、女子供を含む50人以上の白人を、斧や刀で殺した黒人奴隷である。彼は同年11月5日に絞首刑を執行され、その後皮を剥がされた。皮を、剥がされた。のんきらしい答えだと思った。強くなければ『黒人』ではいられない。肉体的に、ではなく、精神的と言うか、スピリチュアリーに、と言う意味で、、、ナット・ターナーについては今色々読んでいるので、そのうちコンテンツに纏めます。そういった宿題がてんこ盛りな私ですが、、、、(苦笑)自分のより良い理解の為にも、やらなきゃなぁ。。