凍えたココロ

2006/10/23(月)23:02

ざわざわ胸騒ぎの理由。

抑うつ感(174)

断眠する事なく、夕方までぐっすりと 眠っていた。 色々な夢を見たが、 殆ど忘れてしまった。 ただ、小学生の頃の親友達と 何かを乗り越えようとしていた 事は覚えている。 何だか嬉しい夢であった。 夕方、陽が暮れ始めて 薄暗い中シャワーを浴びた。 ボディソープはたっぷり泡立て、 丹念に身体を清める。 とても心地の良い時間である。 今より元気だった頃は、 歌を口ずさめたのであるが、 今は髪を洗い、身体を洗う頃には 疲れ切ってしまって、 鼻歌さえも口ずさめない。 そしていつもの様に 時間になったら近所のスーパーへ 行ったのであるが、 何故かざわざわと胸騒ぎがした。 不安になり、動悸がして 「お薬はちゃんと飲んだのに何でだろう」 と不思議に想っていた。 買い物を終え、途中で合流した母と一緒に 家に帰った途端、母の携帯が鳴った。 弟からの着信であったが、 相手は救急隊員であった。 弟が、原付バイクに乗っていて転び、 救急車で運ばれたのである。 意識はあるから大丈夫だと 救急隊員はその時言っていたらしいが、 弟はフルフェイスのヘルメットではない為、 顔に怪我をしてしまったと聞いた。 兎に角頭を打っていたらどうしようと言う 不安を母と抱えつつ、病院へ向かった。 私はスーパーにいた時胸騒ぎがしていた事を 言うと、母も何だか胸が痛かったと言っていた。 母も私も少し勘が鋭い所があるので、 的中してしまったと言う訳である。 結局弟は、顎を酷く切っていて、 6針縫い、唇や手足に擦り傷があり、 顎を打った為に頭痛がしているようであった。 CTやレントゲンに因る検査では異常は無かった。 それを聴くまで生きた心地がしなかった。 救急隊員からは意識ははっきりしているから・・・と 伝え聞いていたが、CTを取り終えた後の弟は ぐったりしていたからである。 頭痛もあり少し朦朧としていた様であった。 弟は、家に到着する寸前の所で 後ろのブレーキが利きすぎてそのまま滑り、 転んだと言う。謂わば自損事故である。 そんな弟の状況を聴いた時、 心配で心配で 過食嘔吐の衝動なんて吹っ飛んでいた。 自分の病症なんて吹っ飛ばして、 母と一緒に病院へ向かったのである。 顎を強打していたので、多少脳震盪気味の所が 凄く心配である。その日は大丈夫でも、 2~3日経ってから脳内出血の症状が 出る事もあるからである。 その2~3日は家で様子を見たいと想ったが、 弟は父の家に帰ると行った。 色々と交友関係でそちらの方が都合が良いらしい。 そして凄く久し振りに父と会った。 父はかなり老け込んでいたが、 中身は全然変わっていなくて、 弟の心配をする前に、事故を起こした事に対し 文句をがやがやと捲くし立てた。 普通なら、先ず最初に症状はどうなのか、 怪我の具合はどうなのかと聞く筈であろう、 親であれば・・・。 そして母と私を格好の話し相手と見做したのか、 自分の不調を訴え始めた。 自分は病み上がりだとか、リンパ腺が腫れていたとか、 弟を差し置いて、自分の事ばかり話す。 「・・・本当にこの人は自分第一なんだな・・・」 と改めて落胆した。 その後は弟に対し、またガミガミと文句を 言い始めた。 普通、怪我人に対しては労いの言葉を掛けるのが 普通であろう。なのに叱り飛ばしているのである。 確かに弟も原付の運転に慣れている事で 油断していた点は否めない。 しかし痛々しい顔の傷を見れば、 心配して大事に接するべきであろう。 そんな自分本位な父を見て、 そして私はこの人の子どもなのだと感じると、 吐き気を催した。 話は変わって。 そんな状況であるのに、今になって 過食衝動の蟲はざわめき始めている。 これでは父と何も変わらないではないか。 結局は自分を抑えきれない、父と同じではないか。 そんな自分に凄く腹が立つ。 ただ、ずっとずっと弟に後遺症が出てきたり、 脳内出血が起こったりしない事を祈っている。 祈る事しか出来ない無力な自分を感じ、 胸が張り裂けそうである。 本当に弟が無事である事を願って止まない。 本当に凄く緊張した夜であった。 今も胸がドキドキしている。それ程、弟を始め 家族が怪我をしたり、病気などで救急車で運ばれる と言う出来事は哀しく辛い事であると痛感した。 なのに私は、やはり時間が来れば 過食を始めてしまうのであろう。 そんな自分の性が物凄く哀しい。 今は心がやっと落ち着いてきたが、 弟がすたすた自分で歩くのを見るまで 気が気でなかった。 明日、母が近くの外科へ連れて行くことに なっている。 今日は私も早めに 眠りに就く事にしよう・・・。

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