凍えたココロ

2006/11/09(木)20:33

東雲の頃、澄んだ空気を胸に。

平穏(67)

木曜日もゴミの日である。 段々眠るのが遅くなっている為、 外に出たら東の空が色付き始め、 とても不思議な色を呈していた。 オレンジ色からグラデーションで 私の真上に見える空の色は、 淡い淡いピンク色をしていた。 朝の空気を胸いっぱい吸い込みながら、 その綺麗な色に暫し見惚れた。 一寸した事でも、美しさを感じると 胸が満たされる。 過食と嘔吐の後で凄く疲れていたが、 一瞬それを忘れ、「綺麗だなぁ」と 空の色を讃えられたのである。 夜になった今でも、あの淡いピンク色の空は 脳裏に焼きついている。 久し振りに綺麗なものを見た。 その後はぼんやりとめ○ましテレビを 眺め、社会の情勢を知る。 こころが痛むニュースが多く、哀しい。 私は高校生の頃、程度の軽い苛虐に あったことがある。 馬鹿馬鹿しいので無視を通したが、 聞こえよがしに一挙手一投足に 難癖付けるのである。 当時腰の長さまで髪を伸ばしていて、 耳の上でウサギの様に2つに結んでいた。 それが揺れる事にもいちゃもんをつけられる。 聞こえよがしの悪口は非常に胸が悪くなる。 けれども、一定期間が過ぎると、 ターゲットは別の人になる。 そうして人の悪口しかいえない3人組の 女の子の事は、 「本当に可哀想な人達だ」 としか思えなかった。 そんな軽度の苛虐から、凄く酷い苛虐まで 多種多様にあるが、命を絶ちたくなる程の 嫌がらせ・苛虐を受けている人々は今も葛藤している。 苦しんでいる。打開策は余りにも少な過ぎて、 何も出来ないのが本当の所であろう。 いつだったか、ドラマで『人間・失●』という キンキ主演のドラマがあった。 私はそれを毎週観ていた。 その苛虐は物凄く残酷なものであった。 目を背けたくなる程であった。 でもその様な苛虐が、学校には蔓延しているので あろうと感じる。忌々しき事態である。 私が軽い苛虐を受けていた時も、 勿論摂食障害を患っていたし、 腕をカッターで傷付ける自傷も行なっていた。 その苦しみに比べたら、苛虐は一笑に付される ものであると感じられていた。 でも年々、苛虐の陰湿さは激化していると感じる。 なのに教師は平気で『苛められる側にも問題がある』 等と言うのは全てが虚しくなってしまう。 特に教師は大学を出た後、社会の波に揉まれる事なく ぬくぬくとやって来たのであるから、 『人のこころの苦しみを読み取る』なんて事は 出来ない人が多いのであろうと感じる。 閑話休題。 夜は摂食障害の症状が暴れ回っている。 止める力等何処にも無い。振り回される侭に こころは揺さぶられ、身体も苦しい状態に 陥るのである。 過食をしている時は無我夢中で、 自然の美しさを感じ取る感覚は 胸の奥底に仕舞われている。 本当に虚しい作業である。 しかし、 「苦しい!こんな事もう嫌だ!」 と胸の中で叫んでも、どうにもならない。 嘔吐が終わるまで、私の苦しみは続くのである。 最近は、1回目の過食嘔吐が終わった後 疲れ果てて横たわり、1時間弱うたた寝してしまう。 でもそれは悪い事ではなく、心身の疲れが 素直に表面に現れた為に、身体を休ませようと 脳が指令を下すのである。だから、うつらうつらと うたた寝をしている時が一番楽かも知れない。 眠ってさえいれば、お酒も飲まないで済むし、 ネガティヴな事を考えなくて済む。 TVの音を遠くに聞きながら、眠りに吸い込まれる 心地良いその瞬間が、幸せだと感じられる。 起きている間は、 『強迫観念』『強迫行為』 に振り回されている。辟易する程疲れてしまう。 精神が殺ぎ取られていく感じが否めない。 そうしてどんどん気分が堕ちていって、 自棄を起こしてしまいそうになる。 実際、過食嘔吐を1日7~8回 行なっていた大学生の頃は、自暴自棄であった。 強い眠剤を服用した後でも過食を始めてしまい、 トイレの前でぶっ倒れる事もあった。 その頃に比べたら、自制出来ているし、 心身共に若干楽にはなってきている。 そして大学生の頃は、毎日毎日 『死』『自殺』 を考えない事は無かった。 『死んでしまえたらどんなに楽であろうか。』 『もうこれ以上病気の苦しみに耐えないで済む』 等と楽になる方法ばかり考えていた。 けれども今は、甘んじて今の状況を受け容れ、 どんなに苦しくとも、私は病気が良くなる道を 踏みしめ軌道を固めているのだと想っている。 少しでも、自然の美しさを感じ取れる心が残っている と言う事に、私は希望を見出せている。 身体はボロボロであるが、こころは傷付きながらも 辛うじて生きているのである。 そして、そのこころが揺れ動くのをひしひしと感じながら、 必死になって毎日を過ごしている。 “普通に食事が出来る事”・・・これは夢のまた夢である。 今はまだその段階で無い事を痛感している。 栄養失調で死なないのは、過食嘔吐時に幾許かの栄養を 摂取できているからであろう。 世知辛いこの世の中である。苛虐を平気で行なうような 人が蔓延している世の中である。けれども 希望だけは捨ててはならないとやっと感じられるようになった。 今は無理を重ねない事だけが、私が出来るものなのであろう。 うたた寝をしたり、ぼんやりして身体を楽にする時間を 大切にしてやっていきたいものである。

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