凍えたココロ

2007/04/11(水)20:57

ざらざらとした弱音。

抑うつ感(174)

夜中、突然思い立って シャワーを浴びるついでに 浴室のタイルをピカピカに磨いた。 一度やり始めると止まらず、 隅々まで綺麗に仕上げた。 母も私も余裕が無いので、 思い立ちと勢いがないと 出来ない事であるが、 久し振りにすっきりとした。 母は、昨日から仕事上のトラブルに 巻き込まれている。 仕事にプライドを持っていて、 利用者さんの為を想い 一生懸命お仕事をしている母である。 しかし、今期のスケジュールは 上の人が滅茶苦茶に入れたもので、 母は明らかに困惑している。 今まで90歳女性の所で にこにこ楽しい会話をしながら お仕事をするのが好きであった母であるが、 元暴○団の方が勝手に都合を変えて、 それに逆らえない母の上司が おばあさんの所へ行くのを止めさせて そのお仕事を入れたのである。 またそのイレ○ミの入った人が、 何かと母の粗探しをしては 「お前は駄目なヘルパーだ」 とか、 「お前は仕事が遅くて苛々する」 など 酷い言葉をストレートにぶつけるのである。 母は、ヘルパーの仕事を始めて 何年にもなるベテランであるし、 ただ、立場がパートヘルパーであると言うだけで、 不当な扱いを受けているのである。 侮辱されながらも一生懸命 お仕事に没頭していたが、 些細な事でいちゃもんを付けられて 上の人からその報告を受け、 電話が終わった後、母は泣いていた。 どんなに努力しても、 期待に添えるよう頑張っても、 認められない現実がある。 こんな時こそ母の傍にいて 沢山話を聴きたいと願うのに、 私は駄目な人間で 弱くて情けない人間だから 動かない身体をお蒲団の上で 固まらせていた。 哀しかった。 そうやって自分の体調の悪さの 所為にしている自分が許せない。 夜中3時過ぎ、独りで外に飛び出した。 星が霞んで見えた。 泣きながら、コンビニまで歩いた。 1時半まで眠っていたから 食べるものが無かったのである。 外は静まり返っていて、 国道を行きかうトラックのランプが やけに派手であった。 頭の中はぐちゃぐちゃに混乱していて 一体自分は何をしているのだろうと 物凄い勢いで己を罵倒した。 全ては自業自得であり 病気を患ったのでさえ己の所為。 助けを求める事自体、 間違っているのではないかと 考えた。 改めて自分は汚く情けなく、下らない人間だと想った。 こんな自分、生きている価値なんて無いんだなと 改めて感じた。 ただ、母が生きているから生きている。 祖父母が存命しているから生きている。 彼らが亡くなったら私も後を追う。 これでいいやと想うと、 段々こころが落ち着いてきた。 タイムリミットは決まった。 祖父・祖母・母を喪った時、 自分の命も放棄する。 これで良い。 私は大切な人に見棄てられてきた 人生であったし、 最期はそうする事が自分にお似合いだと想う。 少し気分が楽になった。 どうして生きているのか分からない。 迷惑ばかり振り撒いている。 それでも、 この病気を患った事には意味がある と感じている。 治癒へ向かうには、 人それぞれのペースがある。 同じ病気でも、環境の違いなどで プロセスも変わってくる。 そのプロセスを辿り、 如何に生きていくかと言う事を鑑みて 治癒へ繋がるかを考えるべきであろう。 治す道も、たくさんある。 3食きちんと食事を摂るよう努力して 治癒へ向かった人もいれば、 一寸したきっかけが治る道へ歩んでいけるヒントを 得られる人もいる。 しかし、皆が皆、同じ療法で治る事なんて絶対にない。 大切なのは、どれだけ自分のこころや 人のこころを大切に出来るか という事ではないであろうか。 今の私は駄目である。 自分を蔑み、否定し、罵っている。 死んでしまえば良いとさえ想ってしまう。 これは一番避けるべき『逃げ』だと感じる。 けれども時々、その方向にしか 考えが及ばない事がある。 『うつ病』の症状が酷い時は 特にこんな情けない状態になる。 多分、疲れてしまっているのであろう。 もう少し睡眠をきちんと摂って 心身の疲れを癒したい。 一旦弱ってしまうと、思考も全て ネガティヴになる。 この気持ちは早目に切り換えたいものである。 ざらざらとした弱音ばかりが 身体中を駆け巡り、哀しい。 今、私は立ち止まっていて動けないでいる。 でも偶にはこうして弱音を、 弱い部分を吐き出さないと 胸の中に溜まりゆき、もっともっと辛い状況に 陥ってしまうであろう。 金曜日の診察時には、 この想いをそのまま告げて 新しい道を拓いていきたいと考える。 決して無理をしないように。 そして己を貶す悪い癖を手放す為にも。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る