2007/04/21(土)05:24
朝の香りと色変える空。
いつも通りのお薬を服用して
眠りに就いた。
眠気が強かった為、
本を数ページ読んだだけで
すうっと気持ち良く
眠りの世界へ誘われた。
それから延々と終わりの無い
夢を見ていた。
電話診察の日であったが、
携帯のアラームを止めた様子もなく、
昏々と眠り続けていたらしい。
そして買い物へ行く時間に
母に起こされた気がするが、
すぐにまた眠ってしまった。
一度、14時頃空腹感を覚えて
目が覚めた。
その時、
「食べたい・・・食べたい・・・。」
と衝動があったが、
「食べたらしんどいよ、辛いよ、苦しいよ。」
と言う自分の声に従い
取り敢えずインスタントの
お味噌汁を作った。
具を避けてそれを飲み、
暫く横になっていたら、
またいつの間にか眠っていた。
そしてきちんと目が覚めたのは
朝の4時過ぎであった。
18時間弱眠っていた事になる。
さすがに失笑してしまった。
幾らなんでも眠り過ぎだと。
しかし、これは過食と嘔吐の疲れと、
抑うつ状態からくる
『何もしたくない』と言う想い、
身体の重たさがそうさせたのであろう。
眠る事は悪くないが、
また1日何も生産的なことをせず
只管眠っていた事が、
何か勿体無いような気がしてならない。
4時過ぎに起きて、
ゆっくり支度をして
コンビニへ向かった。
もう空気は朝の匂いで、
深呼吸すると心地良かった。
空はまだ暗かったが、
星は綺麗に輝いていて
うっとりと見惚れた。
久し振りに空を仰ぎ、ゆっくり
星を眺めた気がする。
暫く歩くと、煮物や揚げ物の香りがした。
病院の傍を通った時である。
こんな早い時間から、
入院患者さんの為に
朝食作りが始められているのだと
想うと、調理の方たちの
大変さを感じた。
そして私が入院していた頃の事を
想い出した。
毎朝、同じ時間に配膳の方が
ベッドまで届けてくれる
朝食のプレート。
私は摂食障害なので、
一番カロリーが少ないメニューを
頼んでいた。
それでも結構、お野菜の煮物や
お粥、煮魚などは美味しかった。
けれども私は、それを2口か3口ずつしか
食べられなかった。
誰よりも早く、食べるのをやめて、
配膳車に戻していた。
今考えると、朝も早くから
一生懸命作ってくれたご飯を
少し啄ばむ程度で残してしまった事が
申し訳ないと感じる。
そして入院生活で
少し年上の、担当の看護師さんが
いつも優しく温かく接してくれていた事を
想い出した。
吸収してしまった少し多目のお薬を
身体から洗い流す為と、
栄養不足から、私は24時間点滴をしていた。
冬だったので、すぐ血管が痛み、
それは苦痛であった。
針は、長時間刺していてもずれないように
しなやかな素材で出来ていたが、
それでも痛かった。
そんな時、看護師さんが
「温めると楽になるよ。」と
ゲル状の温めると何度も使いまわせる
カイロをタオルに撒いて持ってきてくれた。
夜中だったのに、その気遣いが
とても嬉しくて、針が刺さっている
血管にあてると、痛みが和らいだ。
本当に人の優しさを直に感じられた。
そんな事を想起しながら
コンビニで買い物を済ませると、
帰り道ではもう空の色が
変わっていた。
夜のように真っ暗だったのに、
少しずつ濃い藍色に変わり、
やがて明けていくのであろう
空色に移行していた。
それを感じるのも心地良かった。
早朝、ウォーキングをする人たちの
気持ちが分かった。
とても清々しいのである。
1日の始めを知らせてくれる空色。
空気の香りも変わりゆく時間。
少し、朝と言う時間が好きになってきた。
4時過ぎに目覚めた後も、
まだ少し身体が重たかった。
だから、またお薬を服用して眠ろうかなと
想ったけれど、ブログを綴りたかったし、
食べるものも無いと言う不安から、
起きてしまった。
時計を傍に置いていなかったら、
また眠りに就いたであろう。
たっぷり眠れたので、心身のコンディションは
悪くなかった。このまま眠りの世界にいる時間が
長くなれば、昼夜逆転の生活も
終わりを告げるかも知れないが、
お昼、起きていて何をしたら良いのか分からないのである。
きっと、私は『過食と嘔吐』を繰り返してしまうであろう。
それが苦しいから、
昼も夜もずっと眠っていたいと想うのである。
ただ、ちゃんと診察を受けないのは
明らかに自分にとってマイナスなので
土曜日の昼まで起きていられて
調子も悪くなかったら病院に電話したい。
体調をよく鑑みて行動に移そうと想う。
そしてまた、今日もゆっくりと眠れる事を
願って止まない。