2007/05/30(水)21:22
お月様、丸くて優しい。
断眠も無く
昏々と眠り続けた。
身体が軽く感じた。
2ヵ月半振りに
カウンセラーと主治医に
対面した昨日。
きっと安堵感を覚えたのであろう。
そして外出した疲れもあり
ぐっすり眠れたのだと想う。
そして、処方薬が1種類
変更になった。
強いお薬は所持している分が
無くなるまでストップになった。
これは服薬しないので減らないであろう。
変更したのは、日中薬の1つである。
系統は同じ種類であるが、
最近出てきた新薬なので
先ず実験的に使用する事になった。
そのお薬は、主な効用の他に
気分を落ち着ける作用がある。
苛々や不安が鎮まっていく。
そして多少眠気がある。
その眠気は決して厭味な感じではなく
心地よいものである。
だからなのか、お昼も3時間ほど
眠っていた。
なのでお昼の過食と嘔吐は
行なわないで済んだ。
今辛いのは、今朝食べ物を食べていた時、
喉が切れてしまったことである。
最初は大きな血豆となって
唾液を飲み込む事さえ辛かった。
それは嘔吐の途中で破裂して
鮮血を少し多目に吐いた。
今も飲み物を飲むだけで痛む。
温かいものは凄く沁みる。
だけど私は今夜も食べて吐くのであろう。
一応、嗽薬で消毒はした。
久し振りにイ○ジンで嗽をしたが
あの独特な味が子どもの頃を想起させる。
私は良く風邪を引く子どもだったので
母から強制的にそのお薬を使って
嗽を促されたのである。
風邪を引いて熱が出る度、
心配されるのではなく
叱られた。怒られた。それが恐かった。
一度、38度位の熱を出した時も、
「あんたを病院に連れて行かないかんやんか。
何で風邪なんかひくんよ。こっちにも
都合があるんやけん、迷惑なんよ。」
(病院に連れて行かなきゃならないではないか。
何で風邪なんか引くのよ。こっちにも
都合があるんだから、迷惑なのよ。)
と言われた。歩いてもフラフラして
トイレへ行く事すら辛かったのに、
追い討ちをかけるように責められたので
哀しかった。
勿論、今の母は全く違う。
180度変わったと言っても過言ではない。
少し微熱があるだけで
凄く心配してくれるし、
具合が悪くなったら労わってくれる。
人間は変わるものである。
だから私もきっと今の泥沼状態から
抜け出せる日が来るかも知れないと
希望が持てるのである。
今朝は起きるのが比較的遅く
7時40分くらいであった。
今までは6時には目が覚めていた。
その前は4時半頃だった。
お薬をきちんと服用すれば、
今日のようにぐっすり眠れて
体の調子も良くなる。
お薬自体が病を治す訳では決してない。
しかし、脳と身体を休ませる為には
有効なものである。
病を患っていると、凄く不安定になるし
酷く落ち込む。それによって自分を責めて
悪循環に陥る事もあるだろう。
お薬はそれを和らげてくれる。
飽く迄も生きる上で補助的な作用を
もたらしているのである。
お薬の変更があったからなのか、
母に、
「今日はいつもより明るいよ。少しテンションが
高いって感じ。」
と言われた。
“テンションが高い”というのは
少し問題である。
気分が上がりすぎると、
その分堕ちるからである。
でも、物凄くテンションが高い訳ではなく
笑っている時間が長いといった感じである。
余り無理はしていない。
そして柔らかな眠気もある。
新しいお薬は私に合っているのかも知れない。
姪っ子はまだ少し微熱があるみたいで
妹はお仕事を休んだという。
そして、2人でKちゃんの
お墓参りに行ったらしい。
私は場所を知らないので、
今度妹に教えてもらって
母と共にお参りしたいと想っている。
毎日、桃の木の前で
Kちゃんに対する祈りを捧げているが、
彼女のお骨があるお墓の前で
手を合わせ、安らかに眠れる事を
願いたい。
生きている間、彼女は辛酸を嘗める事が
多かった。
だから、もう今は穏やかな魂で
いて欲しいと願う。
私は、ただ祈り願う事しかできない。
群青色の空に、濃い黄色の満月が
ふわりと浮かんでいた。
私はその月を母と見上げた。
そんな小さな“共に”という体験が
とても嬉しく感じる。
病を患っていると、生きるのがとても辛く苦しい。
何もしていなくても、
只管「疲れた」と零してしまう事もある。
それはきっと無意識の内に無理を重ねて
いるからであろう。
『こころを大切にする事。』
まずはこれから始めたいものである。