凍えたココロ

2007/05/31(木)21:29

夕陽が綺麗だから・・・。

摂食障害(128)

夜、いつも掛け蒲団なしで ぐったりと眠りについてしまう。 しかし、朝起きたら きちんと掛けられている。 それは母が夜中起きた時に 掛けてくれているのであろう。 そんな小さな心遣いが 凄く嬉しく想う。 いつもよりは早目に 目覚めた朝、 可燃ごみの日だったので ごみをまとめて 捨てに行ったら 部屋がすっきりした。 ちょっとしたお掃除をする 時間があって嬉しかった。 普通であれば、その後 朝食を食べたり コーヒーを飲んで一服したり するのであろうが 私はそれが出来ない。 例え 『規則正しくバランスの整った食事をした方が良い』 という事が分かっていても、食べられない。 胃の中に食べ物があるのが苦痛なのである。 この胃の中に入っている 食べ物が私を太らせる・・・。 頭の中では 『食べる=太る』 という式が出来上がっている。 無論、それは間違った考えだとは 分かっているのであるが、 どうしても食べ物を拒絶してしまう。 太りたくない。寧ろもっと痩せねばならない。 という観念が自身を雁字搦めに しているのである。 だからなのか、私は 今まで夜中にやっていた カクテル作りを朝に始める。 朝からお酒を飲んでいる。 何と言う体たらくであろうか。 こんな自分に辟易する。 だけどそうしないと 時間を潰せないのである。 これは愚劣な言い訳に過ぎないが、 起き抜けに過食と嘔吐を したくないのである。 早朝の新鮮な空気を、 窓から吹き込む心地良い風を 感じながら 暫しお蒲団の上で感じるのが 幸せなのである。 そんな気分でいる時に 苦しい事をしたくない。 私にとって楽しい事と言えば、 カクテル作りである。 徐に道具を取り出して 氷を入れたシェーカーの中に リキュール類を数種、 パインジュース、豆乳を 入れてシェイクする。 その時間は無心になっている。 朝のニュースを観ながら シェイクする事もある。 そしてグラスに注ぐ時、 ぴったりの量であったら 今日は何だか良い事がありそうだと 勝手に想っている。 そこら辺はおめでたいヤツだと 自分でも想う。 月末であり、カンファレンスがあった 母は、帰宅時間がいつもより 遅くなるので、1人での買い物になった。 スーパーへ行って 只管うろうろとしながら いつもと同じものをカゴに入れていく・・・ 携帯の電卓機能で計算しながら。 カゴの中身は殆どが半額商品である。 大量に買い込むので、 カゴに上手く入れていかないと 溢れてしまうので頭を使う。 精算をしている時、いつも挨拶を しているレジのおばちゃんに 「いつも上手に入れているね。」 と話しかけられ吃驚した。 大量に半額商品を買っているので 話しかけられるのは恥ずかしい。 だから、 「ええ、まあ・・・。」 と苦笑いを残して商品を詰める 所へとカゴを運んだ。 やはりどこか後ろめたい気持ちがある。 母が居れば、他愛の無いお喋りをして 楽しく買い物を終えられるが、 1人だと鬱々と考え込んでしまう。 毎日毎日食べ物だけにお金を使い込んで・・・。哀しい。 『普通に食事をする』 私はこの感覚を忘れてしまった。 摂食障害を患う前・・・ 子どもの頃はきっと普通に、 満腹感を得るまで食べていたであろう。 ただ、一般的な食事の風景ではなかった。 両親と共に食事をした事が無いのである。 母は、帰りの遅い父の晩酌に 付き合う為、一緒に食べなかった。 側にいて、私達兄弟が食事している 所を監視していたのである。 正座を崩してはならない等、 決まり事が沢山あった。 特に辛いのが、 食事を残してはならない事、 背筋をずっと伸ばしていなければならない事 であった。 食事は時に大量に出てくる 事もあった。 それは満腹を超える時もあり、 胃がぱんぱんになると 背筋を伸ばすのも苦しくなる。 でも母は容赦なかった。 少しでも背筋が曲がると 背中を叩かれて痛かったし、 食べるペースが落ちて 残しそうになったら強く叱られた。 だから、食事に関して良い想い出はない。 カウンセラーとの話し合いの時に この話が出ると この事も摂食障害を患った一因であるような 感じを覚える。 しかし、過去は過去。 けれども傷が深い過去。 私はどうしたら良いのか分からなくなって 途方に暮れる。 夕暮れの中、スーパーへの道々を 歩いていたら、柔らかな夕陽が 私を照らした。 昼間の太陽のように強くはなくて こころが和らいでいくのを感じた。 母の帰りが遅くなるという些細な事で 私は夕方、過食を始めてしまった。 『寂しさ』には未だにどう対処して良いのか 分からない。 否、対処するものではなく、 自然に受け容れたり受け止めたりする方が 良いのかも知れない。 摂食障害の症状も、病気だから苦しい事を 繰り返す羽目になる訳であり、 病症が出た自分を過剰に責める必要はない。 兎に角、ゆったりした気持ちでいられたら それで充分なのかも知れない。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る