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カテゴリ:想い
何も考えたくない。
何もしたくない。 もう精一杯で 苦しくて哀しい。 それを招いたのは 自分だと分かっている。 朝、目覚めてから暫くは ぼんやりとしていた。 果てしない苦痛が ちりばめられた1日がまた始まる。 それも自分が招いた事である。 12年、摂食障害を患っていると ある意味色んな事に対する感覚が 麻痺してしまっている。 本当は過食して嘔吐をするなんて 普通ではないし、苦痛なものである。 しかし私は、それが当たり前になっている。 毎日お酒を飲む事だって、 当然のように行なっている。 食べ物は生きていく為に、必要不可欠であり、 栄養を摂らねば内臓にもダメージを与える。 でも、今の私にとっては 『食べる事=太る事』であり、 拒絶し、忌み嫌っている事なのである。 この様な考え方が、 奇異であるという事を 分かっているつもりではある。 でも、病気になって積み重ねた 間違った思考が『普通』という感覚を 抹殺してしまう。 『普通』を望んで生きていきたい 筈なのに、それを打ち消してしまう程 病の根は深い所に蔓延っている。 その根は錯雑に絡まり合って 容易に解けない。 きっと、毎日同じ行為をしている事や 自分自身を責めたり貶したりする事が 病を複雑にしているのであろう。 普通の人が当たり前に朝・昼・夕と 食事をするという行為の方が、 私には不可思議に感じる。 栄養のバランスを考えた食事を、 規則正しく摂取して、 適度な運動をすれば太らないであろう。 それも分かっている。 でも、うつ病の症状が 全てに於いてやる気を殺いで 何も出来ないでいるという 情けない状態である。 病気の根源を、今更過去を掘り起こして 探るという事に余り意味は 無いのかも知れないが、 必要な時もある。 どのような環境で育ち、 子どもながらに何を感じ 何を哀しみ、何を辛く想い 生きてきたのか。 考えてみると、私は暗い闇のような 余り幸せとは言えない状況の中に いたのだと感じる。 それは、主治医にも 『不幸な子ども時代』 と言われ、それを前提に話をしている 事からも分かる。 だけど、不幸な出来事ばかりではなかった。 妹が産まれる3歳まで、 私は幸せであった。 毎日、母は絵本の読み聞かせをしてくれたし アルバムの写真を見ても 母と共に無邪気に笑っている。 その笑顔に翳りが現れ始めたのは、 3歳以降の写真を見れば分かる。 常に孤独を感じていた。 特に、母は怒り始めたら 止まる事を知らず私を打ちのめした。 叩かれた痛みで恐怖を感じていた上に 玄関から裸足のまま追い出される事も しょっちゅうあった。 きっと、叱られる理由で私が何か 粗相をしたり母の言う事を聞けなかったり ぐずぐずしていたりしたのであろう。 私は何かと愚図だったし 不器用でもあった。 それに母はかなり苛々していたのを 覚えている。 以上のような事から、私は 神経症を患っていた。 でも、今は幸せである。 あの子どもの頃の出来事を考えると。 例え病気は苦しくても、 母と共に支え合って生きている事実。 これだけでも本当に幸せである。 特に妹達と別々に暮らすようになって 母は私の病に対して 理解を示してくれるようになった。 凄く凄く辛い時、泣きながら 母と話をすると、優しく抱き締めてくれる。 苦しい時、哀しい時、 言葉なんて要らない。 ぎゅっと抱き締めてくれるだけで とても安心するのである。 体重を母に預け、母の体温を感じる事。 そうすると、 “私はこの人から生まれてきたんだ・・・。” といった温かい気持ちになる。 こういった出来事があるからこそ、 病を患ってどれだけ苦痛でも 生きていこうと想えるのかも知れない。 相変わらず歪んだ考え方は直らないが、 それでも未来に希望を持てるのは、 狭いながらも母との関係に 身を委ねられるようになったからであろう。 昨日と打って変わって快晴の空。 吸い込まれたくなる空色。 私は朝、起き上がった後 開けた窓から空を飽く事無く見つめていた。 でも、昼間になれば暑くなり からからに乾いていった。 こころも、身体も。 暑いのは苦手であるが、氷を沢山食べて どうにか乗り切っている。 同じような毎日を繰り返している。 けれども、目に見えないほど少しずつ 変化はしていると想う。 そう信じたい。 未来に希望を持つ事は、 明るいものに信じる気持ちを抱く事が 大切なのかも知れない。 焦っていては駄目になる。 だから、自分のペースを掴んで 先ずは歪みを歪みとして認識する事から 始めたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.04 21:23:47
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