凍えたココロ

2007/06/06(水)20:58

懐かしき太陽のにおい。

摂食障害(128)

まるで夏のように 抜けるような青い空の下 干したお蒲団は ふかふかになって心地良い。 いつも想う。 干してふかふかになった お蒲団のにおいは 懐かしいと。 5時間位太陽に晒された ふかふかお蒲団は まだ温かさが残っていて お昼寝をする時 少し暑かったが、 気持ち良かった。 子どもの頃の 良い想い出だけが、蘇った。 そんな心地良い お昼寝をした後でも、 一度「食べたい・・・。」と想ったら その後に続く行為を 止める事は出来ない。 例え病の症状に、 意志を以ってどうにかするなんて 出来ない事は分かっていても、 全てを終えた後の 虚脱感は心身が潰れるようである。 この頃、氷の消費量が 段々増えてきている。 アイスピックで砕くのも うんざりするが、 食べている間は何故かこころが 落ち着いているのである。 暑さの所為もあるのかも知れないが、 明らかに氷を食べ過ぎている。 製氷機で出来る氷だけでは 足りなくて、スーパーで購入する 1kgのロックアイスも 全て平らげているのである。 これは氷食症の症状で 多分貧血が進んでいるのであろう。 私が通っている精神科では 鉄剤を扱っていないので 内科に行かねばならない。 しかし、2週間に1度 カウンセリングを受ける為に 病院へ行くだけで 物凄く疲れてしまう今の状態では 他の病院へ行く気力も体力も無い。 母は今日、仕事の後カンファレンスが あった為、買い物は1人だった。 先にリカーショップで発泡酒を2本、 カロリーの低いカクテル缶1本を購入した。 顔馴染みになっているので レジのおばさんには 「今日は早い時間に来たんだね。」 と話しかけられた。 普段、余り話をしないので 突然話しかけられると 言葉に詰まってしまう。 その後、スーパーに入り カートを押しながら いつも購入している商品を 綺麗にカゴへ入れていった。 雑に入れてしまうと、 カゴから溢れてしまうのである。 無性に胡瓜が食べたくなったので 5本入り100円で売られているものを 購入した。 後、普段余り買わないものとして 『イカうにつぶつぶ』という 焼酎か日本酒に合いそうな 商品をカゴに入れた。 小さく刻まれたイカに 塩っ辛いオレンジ色の海胆が まぶされていたものである。 これは166円の2割引であった。 普段、私が買い物をしている途中に 母もやってきて 一緒に店の中を廻り 色々と会話を交わす。 今日は1人。 何だか味気ない買い物であった。 そして帰りも1人。 いつもは母と一緒に車で 帰っているので、購入した沢山の 商品の重さは余り感じないが、 今日は指に深く喰い込む 荷物の重さに苦いものを感じた。 飲み物の重さはあるけれども、 私は毎日この凄い重さの食べ物を 過食して嘔吐しているんだ・・・。 毎日、生産的な事もしないで 只管食べ物だけに覆われた1日を 過ごしているんだ・・・。 何の為に私は生きているのであろう・・・。 哀しかった。痛かった。 朝、シャワーを浴びながら考えた。 何故私は生きているのであろう。 どうして私は産まれてしまったのであろう。 この世に生まれ落ちたからには きっと何か為すべき事があるのかも知れない。 でも今は、それが何なのか 全く見当も付かない。 病気の症状に呑み込まれて 身動きが取れないでいる。 だけど、このままで良いとは想わない。 今のままでは、『唯、死んだように生きている』 といった虚しいものでしかない。 兎に角、生きよう。 病に侵されたまま死ぬなんて悔しい。 生きるしかない。 全身を綺麗に洗いあげて 最後に真水を浴びると、 気持ちがしゃきっとした。 産まれた限り、生きるしかないのである。 例え苦しくても、辛くても それがきっと 未来の自分の糧となる事を信じて 希望は捨てないでいたいものである。 夜、家に独りでいるのは やはり寂しい。母の帰りが待ち遠しい。 そしてお仕事で疲れて帰ってきた母を 笑顔で迎えたい。 私の出来る事はそれ位しかないのであるから。 摂食障害は『病気』であり、 生きていく事について 深く考えさせられるものである。 己を罵ったり貶めたり 傷つけたりしたくなる時もある。 生きている限り、辛苦は付き纏う。 その中で、如何に生きるか それを考えるだけでも 未来へ進んでいる事になるであろう。 焦って行動を起こしてしまうと 直ぐ元通りになってしまう。 これを念頭に置いて 明日を迎えたいものである。

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