凍えたココロ

2007/07/04(水)21:42

雨上がりの、夜風。

抑うつ感(174)

朝から 降り続いた雨は、 汚れた空気を 一掃して 夕方には止んだ。 夜風が涼しくて とても心地好い。 その反面、 こころが泥沼に ずぶずぶと沈んでいく 感じが否めない。 昨日の電話診察で 主治医の仰った言葉が 頭の中を駆け巡っている 所為かも知れない。 確かに私には 直ぐむきになる所があり、 怒りをお腹の中に 溜める傾向にある。 小学生の頃は、 かなり活発な少女であったので よく男の子とも喧嘩した。 また、自分に高い目標を強いた。 印象的なのは、 学校で一番高い鉄棒で 逆上がりが出来ないと赦せない といった想いを抱いた為に 毎日毎日練習していた事である。 その頃の身長で、 飛び上がらねば手が届かない程の 高さがあった為、 助走を付けて飛び上がり、 逆上がりをする。 手が豆だらけになり、 水ぶくれが破れて 血まみれになっても、 何度も何度も続けた。 出来ない自分に 腹立ちを覚え、怒りも感じ、 1日に何度か成功しないと 気が済まなかった。 「自分が決めた事はやり遂げねばならない。」 といった強迫観念が その頃から染み付いていたのであろう。 難度の高い逆上がりが 出来たからといって、 親に褒めてもらえたり 友達が認めてくれたり する訳ではなかったが、 “自己満足” という点では 達成感がある 気持ちの良いものであった。 何度も1人で鉄棒に 立ち向かう少女は、 傍から見れば 「むきになっている。」 としか捉えられなかったであろう。 この性格があったから、 勉強も必死でやれたし 病気を抱えながら 大学在学中に2度入院しても 卒業できたのであろう。 それを、主治医は 頭から否定したので、 少しこころに引っかかって いるのかも知れない。 私は、諍いが等が 大嫌いなので 幾ら腹が立ったり 怒りを覚えたりしても 口には出さないようにしている。 お腹の中に溜めておく。 眠って夜が明ければ 忘れられる事が多いからである。 自分が口出しした為に その諍いが複雑化してしまうのが 恐いと感じる。 少女の頃に比べたら 随分大人しくなった。 でも主治医の言葉は、 暗にこの私の性格が “病的であり、病の原因である” という事を匂わせているので 落ち込むのであろう。 強迫神経症と摂食障害は切り離す事の 出来ないものであろう。 小さな頃からの性格が “強迫的”であった為に 摂食障害を患うのは 余り不思議な事では なかったのかも知れない。 なるべくしてなった様な感じも否めない。 「私は生きていても良いのであろうか・・・。」 夕方から、この考えばかりが こころを駆け巡っている。 私さえ居なければ 周りの人達がこんなに苦しむ事もないし 母は必死で働かなくても 良かったかも知れない。 この考えもまた、 「いつもそこに戻るね。今までの話し合いは  何だったのって感じになるよ。  “共に生きる”という事を  もっと大切にして欲しい。」 と主治医に指摘されるのである。 主治医の仰る“共に生きる”とは、 例えば寒い時に、 「寒いね。」と話しかけたら相手が 「寒いね。」と答えてくれる 温かさを共有するものらしい。 上記の例えは、俵万○という人の 『サラ○記念日』に出てくる 短歌から引用されていた。 私であれば、相手が「寒いね。」と 言ったなら 寒い場所に連れて来てしまって 申し訳ないから 「ごめんね。」と 言ってしまうであろう。 五感を共有できない事は 確かに寂しいかも知れない。 でも、子どもの頃から とても理不尽な事で母に打擲される度 「それでも私が悪いんだ。私が鈍臭いから悪いんだ。」 と自分を責める事しかしなかった。 その考え方が今も続いていて、 感じるものや気持ちを 共有する事が出来ない状態に なっているのかも知れない。 小さい頃、身に付いた考え方は 容易に拭い去れない。 難しいものである。 昼前、胃腸科に電話して 血液検査の結果を聞いた。 5~6分待たされた後、 何だか適当で邪険な感じの 言葉で検査結果を聞かされた。 肝機能が悪いらしい。 GOTとガンマGTPの 数値が、正常値の2倍、 3倍であった。 貧血に関する血液成分の数値は 「ああ、減りつつあるけれど  今すぐ貧血の治療が必要とか言う  問題はないですね。」 と言うだけなので、 Feや血清鉄の値を 詳しく聞くことは出来なかった。 まず、「減りつつある」という 言葉の意味を汲み取れず 戸惑ってしまったので、 あやふやなまま電話を 終えてしまった。 酷い貧血でないという事は 解った。だとしたら、 この眩暈や立ち眩みは やはり 「処方薬を処方通り服用していないから。」 なのであろう。 今日もスーパーで倒れそうなほど フラフラしていたので 気を付けたいものである。 自分が生きている事に、違和感を覚える。 今月下旬には楽しみが待っているのに それすら放棄してしまいたいほど 自分の存在を消してしまいたくなる。 自尊心は、全くない。そう感じる。 自分の命を余りにも軽く考えていて、 消しゴムで消し去ってしまえるのではないか というほど希薄なものに感じる。 こうして生かしてもらっている事だけでも 凄くありがたいことなのに、 私は、本当に駄目な人間だと感じる。 もう少し前向きに頑張ろうと 考えられないのが悔しい。 生きる事。生きていく事。 これらは悲喜交々であるが、 いつかはこころから 笑う事ができれば幸せだと想う。 笑顔。 辛くとも苦しくとも、 この生活の中で笑う事だけは 忘れないでいたい。

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