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凍えたココロ

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2008.04.20
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カテゴリ:日常

ふと想う。

幸せだなと感じている時や

楽しくて笑っている時。

そういうこころが温かい瞬間に

自分を終わらせる事はできないだろうかと。







子どもの頃から、私は臆病だ。

だけど、時に誰もが予想しないほどの

思い切った大胆な事をする、

おかしな人間である。

否、臆病であるが故に、

大胆である時の私は

“解離している状態”とも言える。

臆病で、怖がりだったら

自分の手首を傷つけて

そこから止め処なく流れ出る血を

ただただ見つめるという事なんて出来ないだろう。

自分の傷だから、受け容れられるのであって、

もしも大切な家族が手首から血を流していたら

目の前が真っ暗になるほど茫然自失となり

また慌てるだろう。

それは小学生の頃経験済みである。

20代前半の頃、手首の傷は絶えなかった。

毎日、右手首・左手首と順番に切っていた。

大学を卒業し、半年間派遣の仕事を勤め終えたら

私は生きる価値がないと感じた。

勉強もしていない。働いてもいない。

なのに過食と嘔吐でお金ばかり使っている。

こんな自分は生きている価値はない。


毎日死を望みながら、

それに充分な向精神薬が溜まるまでは

手首を傷つける事によって

己が生きているという汚らわしさを罰していた。

日に日に傷つける力が強くなり、

痕が消えない傷が多数残っている。

だけど私は後悔していない。

あの頃は、そうしなければ息を繋げなかったのだから。

もしも、自傷という手段を知らなかったら

私は生きていなかったかも知れない。







自分が生きている事に、違和感を覚える。

中学生の頃、漠然と

「私は15歳になったら死ぬんだ」

と想っていた。

現に、14歳で摂食障害を患い

生きているのが苦しくなった。

でも、私は生きていた。

大学の卒業が間近になった時。

もう卒業に必要な単位を取得し終えていたし

目標は“大学卒業”だったから

「もう自分には何もない」

と想った。

生きていても仕方がないと常々想っていた。

そして私は、向精神薬中毒で生死の境を彷徨い

栄養失調で2週間弱入院した。

でも、生きていた。

そこからずっと、だらだらと

何を生産する事もなく生きている。

否、生かされている。

それには感謝しなければならないが、

覆しがたい違和感

ずっとまとわりついている。







生かされている事への感謝の気持ちはある。

けれども、それに対して申し訳ない気持ちが大きい。

私なんかを生かしてくれているという事実が

重く、背中に圧し掛かる。

いつも、私は生きていても良いのだろうかと

答えのない自問を繰り返しているから。

産まれて来た限りは、死ぬまで生きるしかない。

どんなに病気の症状で苦しくても。

身体が固まって動かなくても。

いつか、こころだけでも成長できる事を

信じてみたいものである。






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Last updated  2008.04.20 21:00:08



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