ああ、風が吹き荒んでいる。
今朝、どこからともなくウグイスの鳴き声が聞こえてきた。まだ、上手に鳴けていなくて、「ケキョ、ケーケキョ、ホーホーホケケキョ」という感じのたどたどしい声だった。けれどもそれは、とても澄んでいて聞いていて心地好かった。静かな住宅街の朝に、厳かに且可愛らしく響き渡り、鬱々としていた私のこころが少し和んだ。近所に、広い庭を持つ大きな家があり、その庭の半分は木が生い茂っているのでそこでウグイスは発声練習をしているのかも知れない。毎朝聞けると想ったら、嬉しくなった。日毎に抑うつ感が酷くなる。間違いなく、PMSの症状であると感じている。「消えてしまいたい」「いなくなってしまいたい」という気持ちがこころの底からぷくぷくとあぶくの様に現れる。そして、ぱちんと弾ける。弾けてもまた、ぷくぷく湧いてくるので私は途方に暮れる。只管その想いを宥めながら過ごすしか術はない。電話診察を受診する際、そのままの気持ちを主治医に伝えた。毎日、全て何もかもどうでもよく想えて消えてしまいたくなると告げた。しかしさらりとその話は流れ、私の抱く、【悔しい】という感情について話が及んだ。小さい頃から蔑まれ、見下され、罵声を浴びせられて私のプライドというか誇りはずたずたに傷つけられた。始めの頃こそ、「悔しい」と想っていたかもしれないが長期に渡って誇りが傷つけられる行為は続いた為、いつの間にか身構え、こころを凍りつかせる事によって何も感じないようにしてきた。そこから、常に身構えて生きる癖がついてしまったのであろう。主治医は仰った。「先ずは、“悔しい”という感情を認める事から 始まるんだよ」これは私にとって難題である。悔しいと想ったら、外には出さず手首を切りつけることによって解消してきたと想ってきたからである。それを告げると、「その手首に残っている傷の多さが、 悔しいと想ってきた事の証拠だし、 こころの傷なんだよ。 だから、それを感じたらいい。」と助言を与えてくださった。少し、取っ掛かりが見えてきた気がした。夜、母と過ごしている時間、ちょっとした事で言い合いになってしまった。母は酔っていて、絡み酒になっていた。私はうつ状態だったので、1つ1つの言葉に返答するのが辛かった。ぽろっと言ってしまった私の言葉が母の機嫌を損ねたらしく、段々険悪な雰囲気が漂い始めた。私はこの場にいられないと想い、テーブルの上を片付けてキッチンへ食器類を持って行き本格的に過食を始めた。ちょっとした齟齬が生んだ、母と私との些細な諍い。哀しくなったし、母は実際、涙声になっていた。明日、きちんと謝りたい。母を哀しませてしまった言葉。それは「私はどうせ病気でいつか死ぬんだから」という投げ遣りな言葉であろう。親に言うべき言葉ではないと凄く後悔している。何度、私は愚かな事を繰り返すのであろうと自責の念に身もこころも圧搾されている。これでは、診察を受診した意味が無い。明日の朝、母と顔を合わせたら何よりも先ず、必ず謝りたい。今朝吹いていた風は、酷く荒れていた。洗濯物のバスタオルが、激しく波打っていた。今の私のこころも、今朝の風のように荒れている。如何に自分が情けなくて駄目な人間かという事を思い知った。抑うつ感が酷いときは、どんなに辛くても1人でいる方がいいと今日、分かった。苦しい、辛いと母に言って負担をかけるより我慢する方が良策である。主治医が貸して下さった本は、返す期限は無期にしてくださった。とは言っても、読み終わったらきちんとお返しするつもりである。内容がトラウマの治療に関するものである為、それを実行に移すには過去のトラウマを掘り起こす作業である。なので時にフラッシュバックを起こす可能性がある。だから、自分の判断で本を閉じて休み休み読まねばならないものなのである。今日、電話診察を待つ間に30ページほど読んだ。やはり、少し恐怖感があった。でも、この本を読むという事は、内なる問題と向かい合い生きていこうとする積極的な意味を持っている。無理だけはしないようにやっていこうと想っている。