6月の初旬に(その2)
で、車いすに乗せられた私。担当医W先生の一言目。「さすがにつらそうだねぇ。すぐ手術しましょう。あ、でもその前に検査させてね。」ちょこっとおなかをピンポイントで触診されたら「ひぇ~っ」飛び上るほど痛い。思わず声がでちゃいました。「ごめんね。痛いよね。今触ったのは卵巣。すぐ入院ね。予定では腹膜鏡の手術だったけど。開腹手術になっちゃうね。ごめんね。縦切りがいい?横切りがいい?」とW先生。先生は謝らなくていいんです、手術先延ばしにしてたの、わたしだし。。。(で、縦切りにしてもらいました。)そのあとは、検査各種(本来は手術前日に行う血液検査やレントゲン検査)を行い、合間に家や会社へ電話をし、病棟のベットへ移ると看護婦さんがわさわさやってきて、「書類代筆しますか?」「T字帯と血栓症予防ソックス、ひとっ走りして、かわりに買ってきますね。」等々、至れりつくせり。で、前日昼以降、固形物を食べていなかったことも幸いして浣腸することもなく、あっという間に手術の準備は整って、パパも手術前に到着し、15時には台の上。背中に硬膜外麻酔をセットし終わり、全身麻酔などの点滴も準備万端、吸入器をあてられ、ものの数秒で眠りに落ちました。眠りから覚めたのはたぶん18時過ぎ。パパとなんか話したような気がするが、何を話したのかは全く覚えておらず。うとうと状態のまま、多分21時ごろの消灯時に酸素を入れている鼻の管を抜いてもらい、酸素チェックの指サックはつけっぱなしの状態で就寝。夜中にしょっちゅう、酸素不足のアラームが鳴り、そのたびに深呼吸。6月5日(術後1日目)まだ、夢と現実をいったりきたり。目が覚めているときは、ひたすら起き上がる練習。最初はめまいがしたが、ちょっとづつベットの背もたれを起こしていき、午前中でなんとか起き上がれる状態にまでもっていく。午後は歩いて数歩のトイレまで自力でたどりつけるようになったので、尿の管をはずしてもらう。6月6日(術後2日目)朝からいきなりおかゆご飯。2口ぐらいしかたべられませーん。部屋の外の廊下を、点滴の支柱につかまって、そろーりそろーり歩いてみる。=>歩くと疲れるので、横になる。=>横になるとすぐ眠くなる。=>眠っていると物音で目が覚める。=>尿意がなくてもトイレに頻繁に行くようにいわれているのでトイレに行ってその後病棟を徘徊。=>歩くと疲れるので、横になる。(以下繰り返し)。夜間就寝時の点滴は終了。6月7日(術後3日目)普通食開始。少ししかたべられませーん。おかゆだって、たべられなかったのにぃ。硬膜外麻酔のせいで、左腰と左ふとももの感覚がヘンだったのが、この日麻酔の管をとってもらい感覚がもどる。それと引き換えに、左わき腹と左肩の痛みで、昨日より歩けず。特に食事(ったって、半分もまともにたべられないのだけれど)の後はおなかが痛くてしばらく起き上がれない。日中の点滴を行う際、点滴の針がずれたらしく、ちゃんと薬が落ちず、針をいれなおすことに。点滴の針もまともに打てない若い看護師さんがこの日は担当で、でもここは病院の指針として「医療人の育成」を重要課題として挙げているところなので、未来のベテラン看護師さんのために、なんども針にさされてあげることにする。でも、結局うまくはいらなくて、婦長さんが最後は差してくれて。。。頑張れ新人ナースちゃんっ!でも入院書類についての患者さんからの質問ぐらいは、ちゃんと答えられるようにしておこうね。(それも、婦長さんがかわりにこたえてくれた。。。婦長さん、ちょっと残念そうな顔してた。)夕方、夜勤の看護師さんにシフトしたところで、左わき腹の痛みでナースコール。上記理由で日勤の看護師さんはあてにならないと思い、夜勤看護師さんにかわるまで、我慢していたのだ。夜勤の看護師さんは少ない人数で回さなければいけないせいか、日勤の看護師さんより優秀なような気がする。で、この痛みは看護師さん曰く、おそらく「ガス(おなら)」がたまっているんじゃないかと。しかも「あら、おなかはっているじゃない。日中検診のときいわれなかった?」いや、だから、日勤の新人ナースちゃんには、そこまで判断できなかったんだってば。「どうする?あんまりつらかったら、肛門に管通して、ガス抜こうか?結構ガスがたまるとつらいのよね。」とまでいってくださる。でも、せっかく日々管がちょっとずつ少なくなっているのに、ここでまた管が増えるのはいやーーーっと思って「いや、頑張っておなかにのの字書いて、自力でガス出します。」とつい答えてしまいました。一晩かかって、おなかにのの字かきかき、ガスぬきしました。「のの字」もあなどれませんね。6月8日~10日(術後4日目~6日目)左わき腹はのの字作戦で日々ガス抜きに精進し、でもやっぱり胃痛は継続しておこるので、胃薬を処方してもらう。特に食後がつらい。昼寝は日に1~2回に減ってきて、動作も徐々に機敏になってくるのもこのころ。退院前日にうけた担当医W先生の診察でも問題なし。実はわたし、担当医W先生の最初の印象はなんかあんまりよくなかったのだけれど、あれは忙しさゆえであったことが入院中にわかった。忙殺されていないときは冗談ゆったり、看護師さんとのコミュニケーションなんかも円滑で、説明も丁寧だし、すごく人がイイ先生なんだということも判明。やっぱり、世間一般でいわれているように、産婦人科医は忙しすぎると思う。。。パパは毎日何気に顔を出しに病院にきてくれて、RYOU-chanも3回ぐらい?パパといっしょにお見舞いにきてくれました。RYOU-chanは退院後「ママはどこがわるかったの?」「いつ治るの?」「傷みせてー。傷はずっと残るの?」と質問責め。彼なりにとっても心配してくれていたようです。家族っていいよねぇ、としみじみ。SHUN-chanにはママの手術については伝えておらず「お仕事」ということにしておきました。ゆってもわからないだろうし。6月11日(術後7日目)退院! シャワーをあび、退院の事務処理を終え、11時にはタクシーで帰宅。家でたまったメールや留守電(仕事もパーソナルも)を処理してて思ったのは、「だいじょうぶ?無理しないで」の一言が、本当に心にしみるということ。あぁ、気にしてくれてるんだぁ、と思ったら、ちょっとだけこみ上げるものがあったりして。普段はあんまり「感謝」について、感じたり深く考えたりしないんだけどね。とりあえず、今回はここまで。予後についてはまた、折をみて書きたいと思います。