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Eternal Flame of The Universe

よりよき音楽的表現を求めて

 最近つくづく考えさせられることが多いので、標題のことについて、私の感じる印象について述べたいと思う。
 第一に、音楽的表現方法や演奏者の技量といったものが軽視されていないだろうか?
 判断は各人に委ねるとしても、ちょっと???というモノが多い気がするがどうであろう。時代が変わったからと言い訳をするのは、研鑽をしないで金儲けに走る輩の言うことである。
 音楽は、本来Artの分野で入る訳であるが、時代を下るごとになし崩し的にだめになってしまった感がある。特に、1990年代に入ってからの凋落ぶりはもう耳を覆いたくなるモノばかりだ。
 血眼になって探せば、確かに良いものもあるのだ。CD Shopで大音量でかかっているものをもはやArtの分野に入れたいとは思わない。誤解のないように言っておくが、Classic MusicだけがArtでは決してない。どんな音楽でも内容さえ条件を満たせば入れて構わないのではないかな。
 例えて言えば、自分のお気に入りのMusicianなら気持ちの上でも良い音楽を作って欲しい。そして、それを聴きたい!という気持ちが強いはずだ。
 第二に、楽器は音楽を表現する手段に過ぎないということを理解していない人が多いということである。
 良い音と良い音楽の無理解と言っても過言ではないであろう。まず、個人の音楽性の欠如と情報の氾濫により知識のみが暴走している感が強いからである。自分の感性を信じて、それを表現するための楽器という構図が完全に逆転しているのである。本来なら、どんな楽器を使おうが、自分の音楽を演奏できるはずなのである。
 確かに、楽器のQuarityは大切である。自分の目指す音楽に不可欠ならば、必要なだけ作れば良いのである。情報に流されることなく自分らしさを表現できる楽器に出会うことが大切だ。それには、まず、自分に自信を持つことである。人の情報に左右されているうちは、自分の音楽などできないし、ましてや自分のToneなど出せるはずもないのである。
 古い音源を聴くことが多い。音質は、はっきり言って悪い。しかし、その向こうから聴こえて来る演奏のQuarityの高さはどうであろう。音質の悪さなどは、頭に浮かぶ生き生きとした演奏者たちの姿で帳消しである。
 多少音質が悪くとも、良い演奏の方に耳がいってしまうのだ。
 録音された音源でなくても、演奏とは良い音楽的な裏付けがなくてはおもしろく感じないのは私だけではないはずである。
 どこどこの会社の楽器の音が良いからCDを買おうとか、Liveを観に行こうとかは思わないはずである。
 まず、最初に楽器を奏でるArtistありきなのである。人間がそこにいて、次に楽器が来るべきではないだろうか?基本的なことだが、見過ごされてしまっている大切なことである。
 まずは、様々な経験を積み等身大の自分に出会う時、同じ楽器でもあなたしか出せないToneを自然と奏でるのだ。それは、苦労と辛抱のいることである。簡単には出すことはできない。
 しかし、音楽を愛する魂を失わず精進し、より良き音楽を目指そうではないか。




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