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テーマ:ジャズは一生の宝物(14)
カテゴリ:音楽ネタ
今年、9月に亡くなった、ジャズボーカリスト笈田敏夫さん、そして、笈田さんの追悼コンサートとして「銀座ジャス」の企画に中心的に参画したにもかかわらず、11月1日にジャズドラマー・ジョージ川口さんが亡くなった。そして「銀座ジャズ」相次いで急逝した日本ジャズ界の巨星、の追悼コンサートてとなった。そんな「銀座ジャズ」は、一度はどうなるのかと思われた。しかし、スタッフの熱い思いと、ジョージ川口さんの意志を継いだジョージ川口さんの子息であるライジ川口さんの参加などで、紆余曲折を経ながらも、予定どおりの12月16日に銀座博品館劇場にて行われた。
私は、いろいろ縁があって、ネット上で、銀座ジャズを企画した西郷さんと出会った事を切っ掛けに、見に行く事となった。ジョージ川口さんとは、ジャズボーカリストのアンリ菅野さんの葬儀の時に、一度だけしかお会いしたことが無いが、間接的にではあるが、私に、アンリ菅野さんのホームページを作るきっかけを作った方でもあった事も、見に行くことにした理由の一つである。(関連記事、「ジョージ川口さんと、天国のジャズメン?たちを偲ぶ 」) さて、銀座ジャズの会場である、博品館劇場は、マッカーサー元帥も行った、といわれる「銀座天國」の北側に位置する。 笈田敏夫さんにしろ、ジョージ川口さんにしろ、進駐軍(昭和26年以降駐留軍)を相手に腕を磨いた、新進の若手ジャズメンで、日本のジャズブームを作った。 笈田敏夫さんは、昭和28年(1953年)NHK『紅白歌合戦』に出演し、それ以降、7回連続出演したというし、ジョージ川口さんのバンド「ビッグ4」も、文化放送の「トリス・ジャズ・ゲーム」にレギュラー出演する事で、人気を博した。そして、浅草国際劇場でのリサイタルも、1日3回公演で、1日7000人を動員するという人気ぶりだったそうだ。 今から50年前には、ジャズとマスメディアとレコード、そしてライブが一体化し、ジャズのブームを巻き起こしていたのである。 私が見に行った、昼の部は、ジョージ川口さんの次男である。ライジ川口ジャズコレクションの若いグループ皮切りに、菅野邦彦トリオ(このコンガ担当の小川庸一さんは、ほぼ毎月見に行っている、ボサノヴァのグループの一員でもある)の何が起こるかわからないけど美しい演奏、チャーリー半田の楽しいボーカル、ペギー葉山さんらの素晴らしい女性ボーカル、そして、ジョージ川口Jr. NEW Big 4と続いた。 最後の、ジョージ川口Jr.NEW Big 4は、ジョージ川口の次男である、ライジ川口が、ジョージ川口Jr.を名乗り、ジョージ川口のトレードマークであるツーベース・ドラムを踏襲し、迫力のあるサウンドを出そうというバンドだ。 この「NEW Big 4」の演奏の前に、ジョージ川口さんの「ビッグ4」が出来たいきさつの朗読が、会場に流れた。 この「ビッグ4」は、日本人のジャズメンで、グループを作ることをコンセプトにしてメンバーを集めた。なかなかピアニストが見つからず、あきらめて、外国人プレーヤーを雇おうと思ったが、そんなときに、若手の中村八大が見つかり、日本人だけのジャズバンドが出来上がった。全員小柄だったが、大きな音で演奏し、外国のプレーヤーに負けないよう「ビッグ4」と名づけたそうだ。そして、大きく羽ばたいた。 ジョージ川口Jr.NEW Big 4が始まった。小さな頃、テレビで見た「ビッグ4」の雰囲気がある。大きく違うのは、松本英彦の奏でていたテナーサックスが、トランペットに入れ替わっているという事だ。迫力のあるサウンドと、お客さんに対するサービス精神は、見る見る会場を熱くした。 今から50年前に出来たバンドだが、このビッグ4のコンセプトは古くないと感じた。たとえ、既にメンバーの何人かが亡くなり、違うメンバーが、演奏こそしているが、一つの公演で10万人を動員しただけのバンドだったと、なんとなくわかった。 今、ジャズ界、いや、J-POPで、ビッグ4のようなものを造る事は、可能だろうか? これは、なかなか難しいと思う。 もしかすると、このような成立プロセスで作られ、成功したのは、イエローマジックオーケストラぐらいかもしれない。 今のミュージシャンは、すごく演奏が上手い。バークリー音楽院も、日本人でいっぱいというぐらい、熱心にプレイの腕を磨いている。しかし、50年前の若手プレーヤーとは、スケールと言うか舞台から発するオーラが違う。 それは、進駐軍という、戦争という別の目的で日本に来て、ストレスを溜め、数少ないレジャーとして、ライブを見に行く。つまらない演奏だったら、何が起こるかわからない。音楽家としては、素人だが、音楽を楽しみたいという気持ちは、玄人のお客さんとの戦いである。 だから、お客さんである、彼らを、いかに満足させるかを追求し、熱い演奏、そして、エンターテイメントを身に着けたと考えられる。 これは、大阪の笑いの世界で、新世界にあった花月劇場、東京では、ストリップ小屋である、浅草のフランス座が、多くの若手芸人を育てた事ととても似ている。 それに対し、今の多くのミュージシャンは、自分が納得するためや、自分たちの仲間や、玄人に評価される演奏を目指しているように見える。そして、玄人に評価された頂点の人が何人か一つのコンセプトに基づいて集まっても、誰でも、なんとなくひきつけられるものがあるパワーやオーラを持っているバンドは成立しにくい。 同時に、自分が納得するためや、自分たちの仲間や、玄人に評価される演奏を目指しているプレーヤーが多いからこそ、お客さんが特定の人しか集まらず、結果としてライブハウスの運営が厳しくなるのではないかと思う。そうして、プレーヤーが育つ場所も無くなる。ある種の手触れスパイラル的なものを感じる。このあたりをどう打破するかが、ジャズをはじめとする、ミュージックシーンの課題だと思う。 「銀座ジャズ」は、来年も引き続き行われていくという。 今回は、観客も高齢の方が多かった。 追悼の意味も多く、しかも、笈田敏夫さんという、スタンダードな名曲を無数に歌った方を偲ぶ意味もあり、名曲のリクエストという企画が目玉の一つという事もあった事が原因かもしれない。 しかし、「銀座ジャズ」のコンセプトとしては、銀座をジャズのメッカとして定着させ、新しいジャズを銀座から作り上げ、広げることにあるそうだ。 神戸の地下街で、空き店舗でギャラリーを開いている女主人(関連記事)が、こんな事を言っていたのを思い出した。 「手離さないと、次が掴めない」 笈田敏夫さんの追悼コンサートのメインアクターだった、ジョージ川口さんを、相次いで失った。それは、自らの天命が尽きることで、ジャズ界の未来のために、手離してくれたのだろう。 今回の「銀座ジャズ」は、「手離すこと」ことを象徴するコンサートだったのかもしれない。 そして、次に、何かを掴む。 もしかして、掴んだ!? 答えは、時間が経つまで、わからない。 次回の「銀座ジャズ」、そして、ジョージ川口Jr.NEW Big 4に、さらに、新しいミュージックシーンに期待したい。 帰りがけに会場で買った「笈田敏夫/進駐軍時代のジャズ」を聞きながら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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素敵でしたね、行きたかったなぁ!
来年は見落とさないように気をつけよ!って気が早い? 50年のジャズメンで今もピアノを弾く関西の雄、永井裕人さんと5人のジャズメンのクリスマスコンサートが中延のボナペティで23日にあります。 サックスもベースもドラムスも歌手も各界で活躍のサラリーマン。ベニ-グッドマンスタイルのコンボは片手間にやってきたとは言いがたいほどの腕前ですよ。 チャージがリーズナブルなのも目玉です。 (2003.12.18 01:45:17)
50年のジャズメンで今もピアノを弾く関西の雄、永井裕人さんと5人のジャズメンのクリスマスコンサートが中延のボナペティで23日にあります。
------------------------------------------- おおっ。 今年は、年明け早々に、関西ジャズピアニストの大御所の大塚善章さんとお会いして、楽しいお話をしました。 そして、お盆には、原信男とシャープアンドフラッツを見る機会があり、なんらか、懐古趣味かと思われるような感じです。 しかし、いずれにしても、エンターテイメントとして、よく出来たステージです。 ほんま、脱帽です。 (2003.12.18 01:52:11) |
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