2009/10/31(土)00:07
神戸新聞に掲載されました。
いま神戸駅の近くの「SAORI神戸」で開催しているTSUNAMIクラフト展が、今朝の神戸新聞に掲載されました。
おかげで、たくさんの方に来ていただきました。
そして、すばらしい、つながりを共有できました。
ほんま、ありがたいです。
昼から予定外で、会場にいたのですが、いろんなつながりの方がいらっしゃいました。
阪神大震災の前、私は神戸市灘区の出版社に二年間勤めていたのですが、そこのご近所の方が見に来てくれました。
震災で無くなってしまった公設市場の話とか、よく行ったお好み焼き屋の話をして、すっごく懐かしくなりました。
震災後、このエリアの公園でも「はるかのひまわり」が植えられ、今でも毎年咲いているのだそうです。
そうやって復興していっている一方で、阪神大震災から15年たった今でも、いまだにところどころで街が歯抜けになったままとのことです。
実は、「はるかのひまわり」ってつい最近まで、知らなかったんです。
パンガーのタイ人が、神戸からもらった、ひまわりの種、ひまわりの種と言っていたので、なんのことかと思っていました。
「はるかのひまわり」とは、神戸市東灘区で阪神大震災で亡くなった当時11才の加藤はるかちゃんが、育てていたひまわりが、震災後に更地になったところで育っていたというもので、復興と鎮魂の象徴として多くの方に育てられています。
5年前にスマトラ島沖地震で被災したタイ南部に神戸からひまわりの種が送られたのですが。残念ながら塩害で育ちませんでした。
しかし、津波に被災し、未亡人となり、さをり織りに従事している女性たちは、そのひまわりをモチーフに、コースターとして製品化しました。これが、津波復興のための製品化第一号となりました。
それから、4年たった今でも、そのひまわりのことを大切にしており。つい最近、新製品のひまわりをモチーフにした人形の新型をつくりました。
そして、そのひまわりが神戸に帰ってきました。
私も、阪神大震災のあと、阪神地区から離れて、こちらの話題にうとくなっていて「はるかちゃんのひまわり」のことを知らなかったので。神戸からひまわりの種をもらったことも知っていたし、新製品だからということでもって帰ってきたということぐらいで、このちょっと風変わりな人形がそんな意味があるということを、神戸に戻ってきて始めて知りました。
いきなりの震災で、えらい目にあってばかりというのは、ほんまに損なだけなので。その経験を活かしたいなあって話をしました。
この「えらい目にあってばかり」というのは、事件、事故だとか、病気、怪我、障害なんかも同じだと思います。
起きてしまったことは、一生付き合って生きていかないといけないものでもあります。だからこそ、そのことをきっかけに、なんか、いいことも、うれしいこともあってもいいんやと思います。
そうそう、タイに住んでいたという方もいらっしゃいました。
私の撮った映像に、共通の知り合いがいてびっくり。
世間は狭いです。
以下【神戸新聞の記事】 http://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/0002479405.shtml
タイの津波被災者、織物で癒やし 神戸で作品展
スマトラ沖地震(2004年)の津波で被害にあったタイの被災者による織物の展示会「TSUNAMIクラフト展」が29日、神戸市中央区東川崎町1、ハウジングデザインセンター神戸内の「SAORI神戸」で始まった。災害で傷ついた心のケアとして現地で始まった取り組みの成果で、心のこもった約150点が並ぶ。
津波では、少なくとも世界で20万人、タイで5400人が亡くなったとされている。特に被害が大きかったタイ南部のナムケム村では人口の2割程度が犠牲となり、現在も村の完全な復興には至っていないという。
被災後、同村の住民は近くの避難キャンプで暮らしたが、自宅や家族を失って精神的不調を訴える人が続出。織物の作業を通して心のケアをしてもらおうと、タイの慈善団体などが、布や糸、手織り機を届け、現地で製作活動が根付いた。
これを知った映像作家東山高志さん(43)=東京都新宿区=がクラフト展を企画。特定非営利活動法人(NPO法人)「さをりひろば」(大阪市)の協力を得て全国8カ所を巡回し、「心の復興」の重要性を訴えている。
会場には、色鮮やかに織り上げられた小物入れや帽子、草木染が並ぶ。阪神・淡路大震災で犠牲になった女児をしのんで名付けられた「はるかのひまわり」をモチーフにした人形もあり、被災地同士の交流が作品に現れている。
「タイの人たちは、織物を通して元気になった。その復活の力を感じてほしい」と東山さん。作品は販売する。11月7日まで(水曜・祝日休み)。午前10~午後6時。SAORI神戸TEL078・360・5881
(安福直剛)
(2009/10/30 09:19)