LOST IN GLASGOW

2012/04/06(金)14:03

さぁ、そろそろ出発です!

出発が延期されたので、読むつもりだった本の数々は結局読めず仕舞なまま、そろそろイギリスへの出発を目前に控えることとなった。 先日、関西学園(小学校と中学高校)にもどった。 懐かしい小学校のころの先生方と種々懇談した。 小さいころは、なんにもわからなかったが、こうして20歳を超えて、話してみると、本当に若々しくて、面白くて、すごい人たちやったんやんぁ、と思った。 中学高校に戻っても、懐かしい先生方と話した。 同じ大学出身の方々がほとんどやから、なんか先輩っぽくもみれて、面白かった。 先日卒業したばかりの大学の先輩がたも職員として事務所にいたりなんかして、「あぁ。自分もそんな年代になってきたんやなぁ」と、21歳という自分の年を意識してしまった。 最近よ悩む。 自分は人生どんなつもりでやっているんやろうかと。 こうして、先生でもあり、先輩でもあるような人たちと、現役の生徒時代とはまた違った角度で懇談したことは、いい刺激だった。 みんなそれぞれの思いを経て、今の時間を生きているんだな。 オレは、将来なにになるんやろうか。 何をしたいんやろうか。 甘い映画のような世界や空間に閉じこもっていたい気分になる。 そんな空間がリアルな世界だと感じてしまう。 その甘さに酔いしれる快感と、現実の姿と世界に引き戻される苦味が、どうも自分の感情を鬱陶しくさせる。この情けない感じ。 これが嫌だ。 芸術家は、人々にその瞬間の苦しみを抜いて、楽しみを与える、抜苦与楽が使命だと教えてくれた先輩がいた。 その分、自分が多くの苦しみを乗り越えるんだと。 本当に、人々のことを愛したことはありますか? 本当に、この人を支えたい、この人を助けたい、この人の力になりたい、と思ったことありますか? 心の底から。 恋人だけではなくて、両親や身の回りの人のこと。そして世界の人々のこと。 自分は、いつも偽善だった気がする。 無意識に形作ったイメージに、自分を当てはめている気がする。 そのイメージが無意識に自分から出てくるから、自分でもそのことに気づいていないような。そんか感じ。 結局、勇気がないんかな。 勇気があれば、本当の自分の気持ちに素直に生きれる。 底の部分で逃げ腰なのかも。 だから、枠の中で一生懸命がんばって、がんばってるけど流されているような感じになるんやろうなぁ。 性格はなかなか変わらないから、俺の場合、なんでも、最初は偽善から始まるのかもしれない。 でも、それでも、なんと言われても、勇気を出して前進していけば、正直に優しくなっているかも。 学問してて得れることとはなんだろうか? それは、自分を知るということかも。 社会を知るということかも。 歴史を知るということかも。 それは、自分のルーツと、君のルーツを知るということかも。 ほかの人にも掛かってる目隠しを、みんなで外していく努力。 目隠しの存在を知ってる人間が、目隠しのことを知らない人たちを振り回している。 目隠しのことを知ったら、そのことを叫びつづけないと。 大きな声で。 喉が枯れても。 そのためには、勉強し続けること。 自分の存在意義を見つけるから、生きることに張りが出てくる。 そういうこと。

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