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Dog Photography and Essay

洛陽・龍門石窟の旅2



「衝撃のあまり口に手を当てる」

「中国写真ライフ」では、
河南省の洛陽・龍門石窟の写真を公開しています。

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洛陽龍門石窟の石仏は悲惨な破壊をされてしまったが、
中でも、上の写真の石仏が一番悲惨な様相。
他の石仏への破壊は削り取ると言うより、
石を割って壊す感じであった。

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だが、一枚目の写真は、それらの破壊とは違い、
石材用の鋭いノミで、スパッと切られている。
誠に痛々しい光景に、中国人旅行者からも、
何というひどい事をと、衝撃のあまり、
口に手を当てる姿が目に焼きついた。

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「現地のホテルで申し込んだ」

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今回は上海から洛陽へ直行便で飛んできた。午後の便で、
来たので洛陽のホテルへ着いたのが夕方だった。
今回は上海の旅行社は間に合わず、洛陽のホテルで、
洛陽と少林寺ツアーを申し込んだ。翌朝8時半に、
旅行社よりのバスが来たが、平日でもあり、
旅行者はわずかに5人と少なかった。

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人数が少ない方が、ガイドにとっては有難いようだ。
だが、集合時間等には余裕がなく、大勢の方が撮影が中心の、
私にとってはありがたい。ガイドは私から離れずに困ったが、
中国人からも、ガイドがピッタリでは、ゆっくりと撮影も、
出来ませんねと笑われた。写真は龍門石窟の天井に、
描かれた文字と模様で、石窟の広さは30坪以上。

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「奥さんに手渡しホッとした」

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今回、洛陽へ来た別の目的が、運転手が一生懸命働き、
貯めた4000元(60000円)のお金を届けるためでもあり、
洛陽のホテルへは、約束してあった運転手の奥さんと、
娘が私の携帯へ連絡して来たので、ロビーで会った。
奥さんと娘には2度会っていたので笑顔で会釈をしてくれた。
そして私の前で、100元札を一枚一枚数えてバッグへしまった。

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ご主人より託されたお金を奥さんに手渡しホッとした。
奥さん達は夕食前と言う事で、外へ出て食事をした。
お勘定の時に、奥さんがお金を出そうとするので、
貴重なお金を使ってもらうと、御主人に申し訳ないと、
断り、勿論私が支払い、娘に小遣いを渡した。
写真は、相変わらず顔をノミで削られた石仏である。

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「破壊を免れた蓮の花」

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洛陽の龍門石窟の中でも知られている蓮華洞の天井。
北魏末期(500年頃)の石窟で天井には大きな蓮の花が、
彫られていることから名前がつけられたが、
本尊釈迦牟尼仏をはじめ殆どが無残に破壊された。

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天井の破壊を免れた見事な蓮の花と顔が破壊された飛天。
蓮の花を見上げる前に釈迦石仏の哀れさが目に飛び込み、
ガイドの上を見上げてという言葉で我に返る。
飛天の写真も撮影したが、ここでは公開していない。
北魏の雲崗石窟から龍門石窟への最高傑作石仏群が、
後世に残っておればと残念がるのは私だけではあるまい。

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「慈悲深い顔は破壊していない」

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龍門石窟の石仏のなかで最も大きいのが盧舎那大仏である。
盧舎那とは智慧と光明が全てに行き渡ったという意味で、
この石仏は、唐代(670年頃)に彫られている。
高さが17メートル以上あり、腕は破壊されているが、
慈悲深いその顔は、破壊から免れている。

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文化大革命での紅衛兵たちの破壊工作は、なぜ、
盧舎那大仏の顔を破壊しなかったのかが謎である。
17メートル以上と大きな石仏なので、破壊を途中で、
あきらめてしまったのか、または完全に破壊するまでに、
時間が来てしまったからなのか?誰にも分からない。
しかし、私は破壊途中で、あまりの慈悲深い顔に、
罪悪を感じ、破壊を中止してしまったと思いたい。

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「龍門石窟の盧舎那大仏」

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北魏の時代、山西省平城より洛陽へ遷都したが、
平城大同での雲崗洞窟より龍門石窟へ移り400年間、
何代にも渡り石窟を彫り続けた。写真の盧舎那大仏は、
唐代の女帝、則天武后をモデルにして造られた。
その伝説は、奉先寺大仏として世に知られる。

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また則天武后は自らの功徳を称えるため自分に、
似せて盧舎那大仏を造らせたとの伝説が残る。
則天武后は日本での呼び名だが、
中国では武則天と呼ぶ。

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則天武后は、龍門石窟で盧舎那大仏の掘り始める儀式にも、
参加し、莫大な寄進もしたと伝えられる。その寄進額は2万貫。
1貫で小判20枚分で、2万貫では40万枚である。
小判は現在5万円と言うから、一体幾らになるのか?
200億円にもなるが、そんなに寄進したのだろうか。

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「東大寺に大きな影響を与えた」

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龍門石窟の中で有名なのは奉先寺である。
その中で高さ17mの盧舎那仏が目を引く。
龍門石窟造営の絶頂期、675年に完成する。
盧舎那仏は釈迦の別名であり、その盧舎那仏の、
左右に、釈迦の弟子の迦葉像と文殊菩薩像と、
阿難像と普賢菩薩像が立つが頭は破壊されていた。

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写真の石像は見てそれと分かる人もいると思うが、
北壁と南壁に天王像と金剛力士像が彫られており、
奉先寺盧舎那大仏の完成より80年過ぎた745年に、
奈良の大仏の開眼供養会が行われているが、
奈良の大仏のモデルとなった。
それが龍門石窟奉先寺の盧舎那大仏だった。
写真の一番右に立つ金剛力士は、東大寺南大門に立つ。

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「後ろ髪を引かれる思い」

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私は洛陽へ来る前に、下調べはしてきた。
だが、ネットで調べた石仏の写真と実際の石仏とでは、
迫力の違いを感じ、圧倒されてしまった。
ガイドから時間が少なくなってきたという事で、
私の思いとは逆の方向へと歩いて行く事に、
後ろ髪を引かれる思いだった。

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私が、洛陽で行きたかった所は龍門石窟と、
其の前に流れる伊河を渡り、白居易の墓のある、
白園へ行きたかった。しかし、1.5キロ手前に見える、
白園を後にして、次の少林寺へ向かうため、
逆方向へガイドと4名の中国人とで歩いて行った。

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上の写真は、私の行けなかった白居易の墓である。
白居易は800年頃を生きた人で、詩人である。
平安時代以降の日本文学に大きな影響を及ぼし、
菅原道真の漢詩と比較されたり、源氏物語などにも、
大きく影響したが、有名な詩に「長恨歌」がある。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃の物語りを詩にしたものである。

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「出発時間が1時間ほど遅れる」

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洛陽・龍門石窟にて50分ほど時間を超過、
出発時間が1時間ほど遅れる事になった。
だが、私よりも後ろから走って来る女性二人の姿に、
ガイドからも、連絡した時間通り集合して下さいねと、
少し、いら立ち感が見え隠れ、それも私が撮影に、
時間を取られてしまったからだと反省した。

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旅行客は、私を入れて5人だが、65歳ほどのご夫妻と、
22歳ほどの女性二人の4人と私の5人だった。
朝出発した時点で、ガイドから今日は旅行者が、
少ないから、予定通りの時間でいけそうですと、
話していたが、バスの待つ駐車場まで歩く道のり、
笑顔が少なく、急ぎ足で向かっていた。
次からは「少林寺」の写真を公開する予定。

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