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Dog Photography and Essay

杭州郊外の旅4



「杭州郊外の旅1」

「中国写真ライフ」では、
浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。

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杭州の茶畑を通り過ぎると茶楼に着いた。
ガイドブックには茶摘み風景が見られるとの、
内容が書かれてあったが、時期外れの為に、
茶楼にてお茶の試飲と説明が行われた。

中国茶と言っても烏龍茶やプーアル茶とか、
ジャスミン茶、緑茶などが知られている。

写真は杭州付近で知られているのは龍井茶だ。
特に清明節前に摘まれた明前龍井と呼ばれる、
お茶が非常に高値で取引されている。

下の写真は、丸いお茶缶に龍井茶を軽く山盛りに、
入れて、お客にアピールしたあと、缶を小刻みに、
机の上で叩き、詰め込んでしまい好感を持たせた。

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杭州西湖のほとりから山間部に茶楼はある。
龍井茶の精錬方法などの説明を聞いていると、
お茶がたてられ、配られたので一口のみした。

透明な一口飲みグラスで飲むと、量も少ないせいか、
香ばしく甘みさえ感じるお茶を味わった。

写真の龍井茶は1缶100元(1400円)ほどだった。
一人で3缶を買う人もいたが、私は買わなかった。

この時点、上海のマンションには旅に出るたび、
お茶の葉を購入していたので、購入は控えた。

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「杭州郊外の旅2」

「中国写真ライフ」では、
浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。

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霊隱禅寺は西湖の西北の北高峰にあり、
別名「雲林禅寺」とも呼ばれている。

西湖湖畔に建てられた六和塔と同じく、
インドの僧であった彗理が東晋の時代、
326年に創建し、1674年以上の歴史がある。

霊隠寺駐車場から門をくぐり中へ入ると、
石畳の参道は工事中で石が乱雑に置かれていた。

まだ工事中の参道を歩いていくと、写真の、
理公塔が建っていた。1590年に建て直した。
風雨に晒され彫られた石仏群も古く感じる。

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霊隠寺を訪れた多くの観光客は飛来峰に、
彫られた石仏を眺めながらゆっくりと歩いた。

敦煌の石窟や洛陽の石窟よりも規模は小さいが、
中国禅宗十大古刹の一つだけあり、石窟群も、
時間があれば、見て回りたいものだと思った。

飛来峰の由来はインド天竺から来た慧理が、
インドから飛来してきたと語ったことから、
飛来峰と呼ぶ名が付けられたという。

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「杭州郊外の旅3」

「中国写真ライフ」では、
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杭州霊隠寺入り口ゲートを入り道なりに、
歩いて行くと参道に出るが、参道の敷石が、
取り壊され、工事中であり、皆歩き辛かった。

しばらく進むと、参道の左手に飛来峰の、
石窟造像群が見えてくるが、つい足を止めるほど。

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すでに霊隱寺観光(参拝)を終えた人達が、
帰って来る中でも、多くの人が足を止めて、
飛来峰に彫られた石窟や石仏を眺める姿が見える。

この山には、幻想的な洞穴が70以上ある。
その洞穴内には五代から宋、元代までに、
造られた石刻像が330体以上安置されている。

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宋代に造られた石像は、唐代以後中国北方の、
石窟芸術が衰えた後に造られており、
石窟群として貴重な資料と研究者には堪らない。

観光客も石窟をもっと近くで見ようと、
石窟の近くで記念写真を撮っている姿が目に付く。

私は時間が押し迫っており、望遠レンズで、
石仏や観光客を撮影するだけに留めた。

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「杭州郊外の旅4」

「中国写真ライフ」では、
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霊隠山の麓にある霊隠寺は、インドの僧慧理が、
東晋時代(326年)に建立し、仙霊が多く、
隠れ住んでいる所として霊隠寺と命名した。

五代の呉越の頃、最も栄えるが、その後何度も、
興亡を繰り返し、現存するのは19世紀の建築物。

東西に2つの山門があり、中央に天王殿が並ぶ。

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天王殿には南宋時代の楠木造りの韋駄天像が、
大雄宝殿には金箔を貼った釈迦如来像が、
安置されていた。中は撮影禁止であるが、
何とか撮影したので、後日貼り付けたい。

閉門時間が5時までだが、開門時間も、
5時までと勘違いすると、せっかく、
ここまで来て何も見ずに、飛来峰の石窟のみで、
終わってしまうので、4時までには入門したい。

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「杭州郊外の旅5」

「中国写真ライフ」では、
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霊隠寺は中国禅宗十大古刹の一つであり、
326年にインドの高僧・慧理によって建立。

その歴史は1684年以上で、最盛期の、
10世紀頃はは3000人以上の僧が居たという。

中国最大の木彫り釈迦弁尼の座像は圧巻である。
現在の寺院は19世紀後再建された建物である。

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境内を歩いて行くと多くの観光客がひしめく。

皆の手には、それぞれに太い線香があり、
その線香を額につけて、まっすぐ前方に伸ばし、
祈りを捧げる姿は実に豪快と言うよりオーバー。

祈りの方法もいろいろあり、お寺の周りを、
ぐるぐる回る方法もあるから驚く、それも、
中には靴を脱ぎ捨て素足で回っている人もいる。

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「杭州郊外の旅6」

「中国写真ライフ」では、
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杭州にある霊隱禅寺のスケールは大きく、
「東南第一禅院」と呼ばれ多くの人が訪れる。

寺の前に御碑亭が有り、清の皇帝の乾隆帝が、
6回訪れ、多くの詩を詠み御碑に刻んであった。

この天王殿の入り口の額には清の第4代皇帝の、
康煕帝によって「雲林禅寺」と書かれている。

大雄殿の入り口脇には、理公塔と同じような、
塔が置かれ、中には何体もの石仏が彫られていた。

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本殿の前には大きな香炉が置かれ、長い線香に、
観光客が火を点けるために来ているが、

次から次へと人が来ては、急がせるので、
線香に火が点いているのか何度も、
確認するためスムーズに、
火が点けられない人の姿もあった。

日本で使われる線香の太さとは違い、
中国では花火のように長い線香もあり、
長いものでは1mの線香もみられる。

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「杭州郊外の旅7」

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日本での禅寺に限らず他の寺院の、
参拝方法は、あまりよくは知らない。

私は中国へ来る前までは、中国仏教が、
これほどまでに盛んとは思ってもみなかった。

中国の仏教は200年前に衰退しており、
法輪講などが盛んであると聞いていた。

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だが実際に中国各地の寺院へ行ってみると、
写真のような若い人たちが祈りを捧げている。

若い人たちの中には、祈りの作法を先輩から、
いろいろと教わっている姿も見受けられた。

日本の祈りの作法から比べるとオーバーとも、
感じる作法には、一生懸命さが感じられ、
一体何を祈っているのかと思うほどである。

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「杭州郊外の旅8」

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霊隠寺は326年にインドの慧理により、
建立され、10世紀頃はは3000人以上の、
僧が修行に励んでいた。

唐の武帝の時代には仏教やキリスト教など、
外来宗教の国外追放がなされ徐々に衰退。

中国は元々道教の国であり、民間宗教に、
取り入れられ、仏教も民間から忘れ去られた。

歴代の皇帝は、仏教を別格扱いして、
民間から切り離していた時代を通り過ぎた。

200年前頃から中国での仏教は庶民の間からも、
忘れ去られ、文化大革命の始まりと同時に、
仏教寺院は風前の灯となってしまった。

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まだ40年ほど前の中国での出来事である。
だが、信教の自由となり規制されない。

霊隠寺も信仰深い信者たちにより改築され、
現在の寺に生まれ変わり、多くの信者を迎える。

写真の釈迦如来像や殿内は撮影禁止であり、
撮影すると寺の管理者から大きな声で注意をされる。

私は住職に何度もお願いをして200元のお布施をし、
やっと手書きの撮影許可証をもらい撮影したが、
やはり、カメラを向けると手で静止され、その度に、
手書きの撮影許可証を見せなければならず苦労した。

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「杭州郊外の旅9」

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杭州霊隠寺は、著名な五山の一であり、
古刹の多い杭州近辺でも目立つ存在である。

その霊隠寺の本堂の中の撮影には気を遣った。
本来なら、撮影すら許可されない本堂内である。

いくら住職の手書きの撮影許可証があっても、
ジーパンの後のポケットに入っており、
何もアピールしていなく外部から見た感じは、
やはり不審者が撮影していると映っただろう。

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写真を整理している時にも、同じショットが、
ランダムで出て来るので、撮影した本人が、
戸惑うほど、あちらこちらへ急ぎ足で動き、
僧侶たちの目を盗んで撮影していた事が窺える。

撮影にはフラッシュを用いないと内部は、
薄暗く困ってしまったものの、フラッシュは、
遠くからでも撮影をしていると分かってしまうため、
フラッシュを使わず、ISO感度を上げて撮影した。

内部には200人ほどの僧侶の大きなお経の声が、
耳に入ったが、私のレンズを見る僧侶は少なく、
寺の保安係が、私の肩を何度もたたいていた。

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「杭州郊外の旅10」

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杭州霊隱禅寺のスケールは大きく、
「東南第一禅院」と呼ばれている。

中国各地の禅寺を見て回ったが、
ほとんどが大音量のカセットテープで、
お経を流し続けているものだった。

私が訪問した時間帯が僧侶の読経時間とは、
違ったのか、法要の日ではなかったのか?

分らないが、ここ霊隱寺の本堂では、
僧侶たちが読経する声が響き渡り、
なんとも言い知れない雰囲気だった。

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私が撮影する後ろ側では、手に数珠を、
持った中国人信者たちが手を合わせているので、
シャッターを切るたびに、罪悪感さえ感じた。

荘厳な雰囲気の中で僧侶たちの読経は、
いつまでも続いており、写真を撮り終えては、
いなかったが、入口付近に立つ人たちを、
かき分けて外へ出て、大きく深呼吸した。

大きな香炉越しに線香を炊くことで、
願い事を叶えて貰おうと真剣な参拝客の、
姿を撮影したが、私は手一つ合わせていないので、
何となく悪くも感じたが日本でも手を、
合せた事がないと言い訳がましく思った。

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「杭州郊外の旅11」

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霊隠寺は霊隠山のふもとにある寺院。
秀麗な山々を仏教修行者の心霊の、
隠れ住む処と「霊隠寺」と名付けた。

10世紀の全盛期には、9階建ての宿舎が、
二棟あり1200室ほどに僧侶3千人いた。

現在の宿舎は清朝の頃に建て替えられた。
だが、時代と共に仏教は道教に押され、
僧侶の数も300人ほどになり、現在では、
250人ほどまでになっているが、それでも、
すごい人数の僧侶が修行している。

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霊隠寺の大仏殿の「大雄宝殿」は高さが、
34mほどあり、中に安置された金箔張りの、
釈迦如来像は高さ20mほどで、その高さは、
中国の各寺院の坐像としてはトップクラス。

「大雄宝殿」から「天王殿」へ向け歩き、
「天王殿」の中へ入ると、高さ8mほどある、
きれいな色で塗られた四天王像がある。

写真では、広目天と多聞天を撮影しており、
持国天と増長天の画像は貼り付けていない。

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「杭州郊外の旅12」

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杭州の霊隠寺は夕方5時には閉門になる。

もし、時間超過ですでに門が閉まった場合、
僧侶の詰所へ行き開けてもらうことは出来る。

私が、羅漢堂に造られた五百羅漢の中に、
入ったころには、すでに4時45分を回っていた。

観光客は、ほとんどいなかったので、
誰はばかる事なくシャッターを切っていた所、
後から低い声で「あまり撮らないように」と、
不意を突かれた僧侶の声に、かなり驚いた。

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私は咄嗟に「この中には何体の羅漢が・・」と、
意味不明な質問を僧侶にしていた。

僧侶は「五百羅漢と言うほどだから500体」と、
手には、いくつもの鍵が握られており、
早く見終わってくれないかなというような表情。

私は、見るより写真を撮りたいのですがと言うと、
早くして下さいよと許可されたと理解した。

五百羅漢のどれ一つとっても同じ顔がない。
何となく中国の友人にも似ている顔に、
レンズを向けシャッターを切っていた。

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「杭州郊外の旅13」

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霊隠寺の歴史は古く1680年あまり前に、
建立されたが、唐代(690年頃)には、
すでに僧侶の宿舎である大伽藍が存在した。

だが霊隠寺は何度も焼き打ちに遭っていた。
天王殿と羅漢堂を除いて、破壊された時代もある。

孫中山(孫文)の中華民国の初頭に再建。
だが毛沢東の新中国成立直後に大雄宝殿が倒壊。
中の仏像も壊されたが3年の歳月をかけて再建。

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現在の霊隠寺の仏閣殿は清朝以降に再建された。
写真の五百羅漢を安置する羅漢堂は壊されずに、
守られてきたが、1998年に新しく建てられた。

多くの大きな建物が新しく建立されたが、
大雄宝殿の脇に置かれた石塔などは、
1500年の歴史があり、また飛来峰には、
500年の間、掘られてきた石窟がある。

私は、僧侶にもう5時過ぎたからと催促され、
出口でもシャッターを切り、上の窓の扉が、
開いていますよと余計な事を言い時間を稼いだ。

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