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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

陜西省西岳華山2



「西岳華山の旅19」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山北峰から上天梯の石段に登る右側に、
三元洞という建物があり、岸壁にも、
三元洞と文字が彫られている。

三元洞には立ち入り禁止となっているが、
少し登って行き右方向を眺めると、
西峰の切り立った崖が目の前に見える。

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西峰の崖は、直角に近い角度はあろうかと、
思われる崖が、下の方まで延びている。

その崖でロッククライミングもできる。
崖は木で下の方までは見えないが、
裕に500mはあるのではないかと思う。

私は、登山をしていた頃、最終行き着いた先が、
ロッククライミングだったが、150mほど上の、
垂直岩場で3m落下し、それ以後登っていない。

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「西岳華山の旅20」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山には南に聳える落雁峰と、
東峰の朝陽峰、そして西峰の蓮花峰が、
有名であるが、今回運動不足により、
ふくらはぎに痙攣を起こしてしまった。

単独登山のために、仕方なく中峰の、
玉女峰まで行き、他は断念し下山した。

上の写真は西峰方面の崖である。
下の画像は、登山道脇に設けられた出店に、
売られていた飾り物類である。

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華山で一番高い峰は南峰の落雁峰で、
2160mあり、北アルプスの峰々に、
比べると1000mも低いが険しさは違う。

また中国の五岳の中で、一番高い山である。

とくに華山は、険しいことで世に知られ、
昔から多くの人々の心を引き付けてきた。

華山には名所旧跡も多く、山麓から頂上まで、
道教の廟や、自然の名所が見られるが、
体力をつけて、余裕をもって登りたい。

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「西岳華山の旅21」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山登山道の両サイドには鎖で、
登山する人の安全を確保している。

私は単独行だったが、他の中国人の、
ガイドがツアー客に、鎖が錆びていると、
手に刺さり易いので手袋を購入するように、
説明していたが、私もつられて買った。

だが、錆びている様子もなく手袋を、
使うこともなく石段を一歩ずつ登り、
途中で振り返り撮影した画像が上。

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登って行く道の脇の岩には、必ず文字が、
彫られていると言っても過言ではない。

中には、以前彫ってあった文字を削り取り、
その上へ新たに文字を彫った所もある。

写真の彫られた文字は「胆大」と、
中華民国時代に彫られたもの。

民国時代の登山道は現在のようには、
整備されておらず、危険な個所もあった。

大胆で、かつ細心を心がける。
つまりは、度胸は大きく持って登るが、
注意は細かく払うべきことを書いているのか。

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「西岳華山の旅22」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山は、道教の聖山として、
多くの神話が生み出してきた。

華山には、道教の廟も多く残り、
岩壁の彫られた石刻は到る所にある。

また華山は険しさのあまりに、
500年前まで登山道の開発はされなかった。

中国では、皇帝が即位すると、道教の、
名高い山に登って式典を行った。

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だが、華山だけは皇帝が登ったことはない。
清朝に入り、山麓に道教の廟を建立し、
その廟で、封禅の儀式を行った。

封禅とは皇帝が天と地に王の即位を知らせ、
天下が太平であることを感謝する儀式。

その昔に、道教の廟が高い所に無いのは、
現在のようにロープーウェイも無い時代、
華山険し過ぎ建立が困難だったのだろう。

険しい華山の上まで登ったのは、地元の、
村人が、少数の道士を案内して登った。

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「西岳華山の旅23」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山は、8千万年前の地質の活動により、
出来た山で、花崗岩でできている。

人間が自然と関わってきたのは、
わずか50万年で、実質歴史に残るのは、
5千年ほどであり、風雨による浸食は、
想像を絶する長きに渡り行われた。

華山は火山の噴火によりできたものではなく、
地殻変動により起こり巨大な一枚岩なため、
山頂までの道のり程が長く、険しい。

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また華山は断崖絶壁が多く、登頂は困難で、
昔から華山に登る道は一本しかないという。

最近になり、一枚岩に階段を作り、
セメントで固めたところも多く、
昔に比べれば、安全で登り易くなっている。

華山は、雨が多いと聞いていたが、天候に、
恵まれ、遠くの岩肌も霞まずに移っている。

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「西岳華山の旅24」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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険しく狭い登山道を登って行くと、
平地に出来た土産物屋に出くわす。

多くの人は、目もくれず先を急ぐ。

私は、土産物は買わないが、
写真だけ撮影するので、あまり歓迎されない。

中国人が日本の観光地に来て、
写真だけ撮って、何も買わないので、
土産物屋さんから苦情が出ているとのこと。

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私は、逆に中国の人から、あまり歓迎されず、
写真だけなら早く行って下さいくらいに、
思われているのかとも思った。

いろいろな土産物が売っているが、
華山登頂記念として買う人は、
ロープーウェイで下って、乗り場付近の、
売店で買う人が多いようである。

登覧華山の赤い布のタスキが売れているようで、
近くの登山道の安全を確保する柱や鎖に、
縛られてあったが、記念に持ち帰る人も多い。

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「西岳華山の旅25」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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急な登りの華山登山道を、ゆっくりと、
風景を撮影しながら登っていると、
下の方から甲高い男性の歌声が聞こえてきた。

右手に杖を持ち、一段一段を踏みしめながら、
ゆったりとした速度で登って行く人に出会い、
その人の後を追ったが、ゆっくりと、
登っているように見えても、置いて行かれた。

少し休むというので、私も横に座り休んだ。
5分ほどの時間であったが、色々質問した。

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私の質問に笑いながらも、嫌な顔せず、
丁寧に答えてくれたので20元を手渡した。

写真の左手に20元を持っているのが、
分るだろうか。この人も華山で担ぎ屋をして、
25年との事で、50歳くらいかと思ったら、
60歳とのことで、毎日、荷物を歌いながら、
運んでいるのが若さの秘訣とか。

大きな声で歌いながら登るのは、自分に、
元気付けのためと、リズムを取っているとの事。

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「西岳華山の旅26」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山金鎖関へ向かう途中に、
岩に彫られた文字が数多く見かけた。

いぜん彫られた文字を削り落し、
その上に新たな文字が彫られていた。

鴻と彫られているが、オオトリと読み、
オオトリの声というような意味だろうか。

華山は一枚岩で出来た山肌が多く、
その山肌に石段を彫り、その石段を登る。

危険が伴い、1年で120人が転落死している。

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その昔、北アルプス穂高岳を縦走していた時、
女子グループの一人が転落して死亡した。

私も手伝い遺体の収容までは順調に事が運んだ。

だが、まだ転落死したことを知らない遺族に、
山小屋から電話連絡しなければならなかった。

意を決して女の子が遺族に電話をしたが、
泣いてばかりで、亡くなった事が伝わらない。

結局、警官から事務的な連絡が行っただけだった。
山を簡単に理解し、浮き石を踏みつけ転落した。

華山は頑丈な岩なので、その点では危険は無い。

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「西岳華山の旅27」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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金鎖関の手前にある平安鎖区。
登山道の安全柵の柱には、
一生平安と書かれたタスキが、
巻かれていたが、1本10元する。

中国での平安の意味は、
「無事」と言うことの意味に使う。
他にも意味があるが、無事という、
意味が、一番無難な感じである。

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華山は険しい山として知られている。
登山道を登りながら、山の角度を見ると、
これぞ絶壁と呼ぶのかと思うほど角度がある。

登山道の中にも、上から下を見ると、
下の石段が見えない不安感から、
後ろ向きに、降りる人も見受けられる。

登るときは、意外と楽に登れるが、
自分の目線から石段が近くに見えるが、
降りるときには、自分の身長分の高さから、
下を見るので、恐怖感が先に立つ。

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「西岳華山の旅28」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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天下一の険しい山華山主峰は南峰で、
落雁峰と呼ばれているが、今回は、
西峰の蓮花峰を目的地として登った。

華山には東峰の朝陽峰と北峰、そして、
南峰と西峰、中峰からなっている。

中国北魏時代に書かれた地理書の、
「水経注」と呼ばれる書物の中には、
遠くから山を望めば花の形に見えると、
記載されており、花から華山になった。

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華山は中国五岳の山の一つとして、
道教の山と数えられており、
道教の道士の修行の場と知られる。

その昔は、仙人が住む山として伝わり、
仙人に一目逢いたいと人々は登った。

華山の中で危険な個所も多くある。
だが、一歩ずつ着実に登れば安全である。

足下を確認しないで、よそ見をして登ると、
転落する事も多い、あとから更新する写真の、
地点では年間に120人は転落死をする。

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「西岳華山の旅29」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山は古来より今も一本道しかない。

写真は北峰から登って来た金鎖関。
これより左へ行けば東峰へ辿り着き、
右折れすれば中峰へ着く。

中峰から左方向へ行けば南峰方向へ、
そして右斜め前へ向かえば西峰へ。

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1930年から1949年頃まで国民党の兵士や、
共産党の解放軍兵士たちが、この一本道を、
通り作戦を練っていた事も岩への文字で、
その当時の様子を伺うことができる。

まだロープーウェイがない1990年頃までは、
山麓の玉泉院から徒歩北峰を目指し登り、
金鎖関までの一本道を目指し歩き続けた。

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「西岳華山の旅30」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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どこの山でも初めは川沿いの緩やかな、
登山道であるが、次第に急な登りになる。

槍ヶ岳などでも松本側と高山側から登る。
高山側からの方が緩やかであるが、
最後の2時間はかなり急な登りになる。

華山の場合は、ロープーウェイが出来た分、
簡単に登れるため、登山者の危険意識に欠ける。

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昔の詩人は華山の尾根道で恐怖と死を、
覚悟して遺書を書いたと物語で伝えられる。

私は金鎖関から中峰・西峰の予定だったが、
東峰への登山道へと向かった。

だが途中で東峰を撮影だけ済ませたのち、
金鎖関へ引き返したが、来た登山道とは、
違うルートで中峰方向へ向かった。

この時点で両足にはかなりの負担を負わせ、
普段の運動不足が石段を一歩ずつ登る太腿に、
辛さを感じ、登るスピードもかなり落ちた。

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「西岳華山の旅31」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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華山金鎖関から東峰の中間あたりに、
中峰へ縦走出来る登山道があり、
その険しい登山道に入り少し後悔した。

一枚岩に造られた石段であるが、
鎖を持たなければ登れない角度であった。

カメラをバッグに収納しバッグを石段に、
擦れないように、背中の方へ回し登った。

面倒でも一度金鎖関まで戻り、回り道の、
安全な方法を取った方が良かったかも・・。

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中峰の玉女峰まで行くと足がガクガクした。
このままでは、先へ登れないだろうと思い、
自分で片方ずつの足をマッサージはじめた。

いつもなら、これほどの疲労感を感じないが、
今回の旅行前に体を作るための時間がなく、
着実に体の衰えが忍び寄っているにも拘らず、
いきなり飛行機で飛んで来てしまった。

中峰より左方向へ進めば南峰へ登るための、
長空桟道が見れるとのことでまた寄り道をする。

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「西岳華山の旅32」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山の中峰の高さは2042.5m。
中峰の別称玉女峰と呼ばれる。

海抜2042mは日本北アルプスの山々に、
比較すれば、相当低いイメージがする。

だが険しさという点を比べてみると、
勝るとも劣らないと豪語する人も多い。

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中峰が玉女峰と呼ばれる由縁は、
中国春秋時代に、秦の王女の弄玉が、
仙人である蕭史の吹く簫(笛)の音に、
すっかり感激、宮廷生活を放棄した。

そして、仙人の蕭史と風に乗って、
華山の中峰に飛ばされ住みついた。
この伝説の話が今に伝えられている。

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「西岳華山の旅33」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山で有名な「長空桟道」
絶壁に4・5枚の細長い板を鎹で、
つなぎ合わせた足場を、上のワイヤーに、
カラビナにつけた命綱を絡ませて、
渡って行くが、私は断念した。

断念した一番の原因は、両足の筋肉の、
疲労が限界に達していたことだった。

「長空桟道」は南峰へ向かうルートにあり、
一般の登山道から、20mほどロープを、
伝い降りたところにある。

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だが、ここでは転落事故も多く発生している。
天候の急変により、あたり一面霧だらけで、
ルートを見誤ったり、滑りやすくなった崖より、
転落事故を起こしてしまうケースも多い。

華山の険しい登山道やロッククライミングの、
ポイントでは1ヶ月平均10人ほどが転落死を、
遂げており、私は体力の限界を感じ、
引き返したことは言うまでもないし後悔もない。

転落事故の中には、経験豊富な人が多く、
初登山や不慣れな人の転落事故は少ない。

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「西岳華山の旅34」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山の単独登山は完全走破出来ずに、
中途半端なままで終わってしまった。

だが、東峰や南峰また、西峰へは、
あと少しの所で筋肉の不調により断念した。

強行突破して大きな怪我をしてしまっては、
仕事にまで影響してしまうと無理せず、
引き返してしまったが、若くはないゆえに、
断念して引き返す事も出来たのか・・?

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結局、登れたのは5つの峰のうち、2峰だけ。
北峰と中峰で、北峰を最初に行っておいて、
良かったと思うし、今回の不調な足では、
最後に北峰を残しておいては、結局何所にも、
登れずに山を降りなければならなかった。

ロープーウェイ降り場口までは、1時間40分ほど、
登りよりは早い時間で到着出来るかもと、
思ってはみたものの疲れ切った両足で、
更に衝撃の多い下りでは、十分に気をつけて、
降りなければなどと思いながら下った。

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「西岳華山の旅35」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳華山の登山道を下りながらも、
左右の景色を見ながら花を探した。

高山植物が咲いていないかと思ったが、
もともと一枚岩が多い華山でもあり、
松の木は多いものの花は見当たらなかった。

心の中では、危険な所を避けて、
目標地点を踏破出来なく充実感はなかった。

そんな中でも、岩が途切れたところに、
花の名前は分らないが高山植物に出会った。

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その昔、尾瀬や八ヶ岳、また、
中央アルプスや北アルプスへ行った時にも、
重たいカメラとレンズを背負って、
登ったものだが、崖の危ない所に、
一輪の花が咲いており、その花を撮るため、
かなり危ない思いをしながら撮影した。

昔はデジカメなどない時代で銀塩カメラに、
36枚撮りフイルムを入れ、1ショットに、
3枚ほどしかシャッターを切れなかったが、
デジカメの時代になった今、気軽に、
シャッターを押せる分、気合いが入っていない。

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「西岳華山の旅36」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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西岳西峰まで、8分ほどのところで、
両足の痙攣により不安を感じ登頂を、
断念し引き返したが、やはり少し後悔。

1時間40分の道のりだったが、下りは、
1時間20分でロープーウェイ乗り場へ着いた。
普段から運動していない事を後悔した。

だが、ロープーウェイ乗り場へ下る道を、
通り過ぎてしまい、北峰近くまで行き過ぎ、
引き返すという無駄をしてしまった。

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ロープウェイ乗り場へ着いたものの登山客は、
先に降りたのか誰も待っていなかった。

私一人で乗ったが、登りは6人で狭く感じ、
降りるときは1人のため、広く感じた。

一人で乗っていると、癒される思いと、
下を見て不安になる気持ちとが交錯していた。

そして、不安はこの先、西安までバスがあるか、
というような不安に変わっていた。

今回の旅は、体力の限界を感じて断念したが、
転んで怪我をしたりするよりは良かったのかも。

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「西岳華山の旅37(完)」

「中国写真ライフ」では、
陝西省西山華山の写真を公開しています。

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険しい華山登山もロープーウェイで、
降りる頃には、夕方近くになっており、
急ぎ荷物を預けてあるホテルへ行った。

ホテルで西安行きバスの時間を、
聞いていたところ、ホテルまで荷物を、
届けにきたトラックの運転手が話をしており、
フロントの人が「あんた西安へ帰るの」と、
聞いていたが、私の所へ来て「西安手前の、
長安区までなら乗せて行っても」と・・。

私は長安区と西安市中心と、どれ位の距離、
離れているか知る由もなかったが、
フロントに挨拶して2トントラックに乗った。

華山を出て暫く走ると高速道路に入った。
どれくらい走ったのか、私は疲れから熟睡し、
起きたところが何処かも分らなかった。

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もう直ぐ長安区に着くよと言われて時計を、
確認するとホテルを出て1時間40分ほど過ぎ、
私は何も気づかず寝入ってしまった事になる。

約束通り長安区まで乗せてもらったので、
100元を手渡そうとすると、要らないと断られた。

長安区で降り、旅行バッグを引きずりながら、
まずは腹ごしらえと肉料理を注文した。
少し、ビールも飲んだが清算時点65元だった。

タクシーに乗り西安空港まで15分程の範囲で、
ホテルを探してもらったが三ツ星ホテルだった。
翌日13時10分発のフライトで上海まで帰った。

次回の旅は「蘇州・周庄」を予定している。

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