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Dog Photography and Essay

蘇州旅情1


 
「蘇州旅情2」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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蘇州駅では多くの人たちが降りた。
写真には、その人たちが写っていない。

私は蘇州で降りたもののプラットホームの、
写真を撮りたいためバッグからカメラを出し、
構図を考えている間に、殆どの人たちは、
出口方向へ行ってしまって写っていない。

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カメラをバッグに収納し階段を下り、
私も急ぎ出口へ向かったが、出口では、
二人の駅員がチケットを受け取っていたが、
蘇州で降りる人が多く、少し待った。

駅構内の壁には、蘇州の有名な観光地の、
スライド写真が、蛍光灯の光を受け、
綺麗に映し出されていた。

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「蘇州旅情3」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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今回の旅は4泊で計画した。
ホテルは安宿をネットで探した。

だが、あまりにも安過ぎる料金なので、
ホテルに着くまで心配だった。

中国の旅行社が使うホテルの平均料金は、
300元から350元(4500円前後)だが、
私が契約したのは100元(1400円)だった。

蘇州駅からはタクシーでホテルまで行った。
タクシーの運転手にホテル名を告げたが、
知らない様子に更に心配になってしまった。

私の携帯からホテルまで電話を入れると、
フロントが出たので運転手に携帯を渡した。

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運転手は一旦車道から歩道に車を停め、
蘇州弁で話していたが、すぐに分かったようで、
私に携帯を手渡すと、ギヤーをバックにし、
「あのホテルなら知ってるよ」と車を出した。

3分もしないうちにホテルの前に着いたようで、
スーパーの2階を指さしたが、外国人が、
泊まるなら、他にもっとホテルがあったろうにと、
タクシー代のおつりを数えながら言った。

案の定、チェックインする際に記入する用紙の、
外国人臨時住宿登録書類がなかった。

この意味は、パスポートも必要なく偽名でも良い。
つまりは、事件に巻き込まれた場合、ホテルも
私も罰金を科せられることになる。

写真はホテル前の広いスペースで、
野菜や果物、チベットの漢方薬を売っていた。

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「蘇州旅情4」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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ホテルのフロントでは、予約した私の名前を、
調べたものの見つからなかった。

安宿のフロントの女性は言葉遣いが悪かった。
予約料金は有り得ないと疑ぐられたが、念のために、
コピーアウトしておいたネット予約内容を手渡した。

女性は、どこかへ電話をし私の予約の事で、
話をしていたが、受話器を置き、ネットでの、
予約はしていないですけど今回は提示料金で、
OKが取れたと話すが、私は何とも不愉快に思った。

ネットで予約を受け付けていないので、
いくらネット上で予約が取れてもホテルで受信が、
出来ていないので今回のような事が発生した。

ネット上でホテル名の更新を削除するべきとも、
思ったが、口には出さず保証金を預けた。

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中国のホテルでは、チェックインする際に、
保証金を出さなければならない習慣がある。

宿泊料金プラス50%で、私の場合は、
(100元×4日)プラス50%で、600元だった。

私が予約したホテルは、割引しても160元で、
私の場合、ネット予約だったので100元ですんだ。
フロントに掲げた宿泊料金では、280元なので、
相当割安で宿泊出来たので良かった。

ホテルまでは、人民路×桃花塢大街交差点より、
徒歩で5分なので便利は良かったし交差点の傍に、
9階建ての北寺塔があり、計画どおり先に登った。

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「蘇州旅情5」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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団体ツアーの場合には、当然の事ながら、
自分でチケットを買う必要もない。

一人旅の場合は、その都度チケットを購入。
観光が終わると、バス停まで歩き次の、
目的地まで行くが、勿論タクシーを利用すれば、
探す必要もないのだが、面白みに欠ける。

写真はホテルから歩いて5分ほどの北寺塔だ。
別名を報恩寺と呼び、蘇州で最も古い寺。

日本でも知られる三国時代の孫権が、
母の恩に報いるため「通玄寺」を築造した。

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中国唐(618年-907年)の第6代皇帝の時代、
開元(713年-741年)年間に、全国各郡に、
年号と同名の寺を置くことが定められた。

その事により、通玄寺は開元寺と改名した。

唐第6代皇帝の時代は中国史上の政治の、
安定期の一つでもあり、唐は絶頂期を迎えた。

写真の中に、北塔報恩寺と掲げられており、
母の恩に報いるために建てられた事が分る。

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「蘇州旅情6」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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北寺塔は南北朝の梁時代の創建と伝えられる。
当時は十一重の塔だったが、戦で度々壊され、
北宋年間に九層の塔に再建された。

南北朝の梁時代は502年からの55年間をさす。
写真の塔の第一層から六層までは南宋時代に、
再建されたが、七層から九層までは明代に再建。

廂と欄干は清朝に入ってより再建された。
塔の高さは76mあり、幅広い階段を登れる。

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北宋時代に再建された塔の階段としては幅が広い。
階段の横幅は裕に1.5mあるので上り下りする人が、
避けなくとも十分に、すれ違う事が出来る。

だが、当然の如く上に行くに随って幅が、
狭くなっており、すれ違いなどはできなかった。

寺の敷地内の右側に清朝に入ってより、
造られた回廊があり、回廊の壁には、
三国時代の孫権を書いた情景や北宋時代の、
情景などが描かれた絵が額に入れられ飾られていた。

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「蘇州旅情7」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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北寺塔の入り口から少し歩くと弥勒仏の石像が、
見えてくるが、ここでの記念撮影がポピュラーだ。

撮影を商売にしている人もいて、写真を撮らないかと、
近寄って来る人もいるが、カメラは専門的ではない。

暫しの間、記念撮影している場面を見ていると、
デジカメで撮影し、すぐにパソコンへ取り込み、
日本製のプリンターでプリントアウトした。

更に、プリントアウトした写真をフィルムパック。
価格は、他の物価に比べて、かなり割高である。

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私は中国へ来たばかりの頃、弥勒菩薩は、
知っていたものの上の写真が弥勒菩薩とは、
思ってもみなかったが、中国人が「Mi2le4fo2」と、
話す発音を調べ「弥勒佛ミラフォ」と分かった。

だが、弥勒仏の意味が分からないまま過ぎ去った。
中国人は、なぜ、弥勒菩薩に一生懸命手を合わせ、
拝んでいるのかとの疑問に変わっていった。

最近になり、弥勒佛とは、仏教で言うところの、
未来佛というところまで分った。
三世の過去佛、現在佛、未来佛(弥勒佛)で、
未来の成仏した姿という所まで分ったような・・・。

下の写真は、仏教の守護神として帰化した韋駄天の神。
封神演義では、韋駄天は闡教の道士として登場する。

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「蘇州旅情8」

「中国写真ライフ」では、
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北寺塔の周りには、提灯が吊るされていた。
写真は吉祥如意と書かれた提灯をアップした。

吉祥如意とは、縁起が良いとの意味で、
万事めでたく順調に事が進むように希望の言葉。

西遊記で孫悟空が使っていた棒を如意棒と呼び、
如意棒を持つと、すべて意のままになった。
願い事は何でも思うままに叶えてくれる事に使う。

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上の写真は北寺塔へ登る入口であるが、
写真でも分るように、第一層の中は真っ暗。

北寺塔の中心には釈迦の座像が置かれているが、
真っ暗なため手ブレを起こしてしまう。

コンパクトデジカメで撮影すればオートで、
フラッシュを焚いてくれるがデジカメ一眼レフは、
フラッシュを別付けて撮影しなければならず、
旅にはフラッシュを持って来てなくISO調整と、
シャッタースピード調整で何とか絵になった。

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「蘇州旅情9」

「中国写真ライフ」では、
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北寺塔の中に入り、階段を探した。
塔は八角に造られており階段上り口は、
当然の如く八角の一箇所にしかない。

初めて訪れた者にとっては階段が、
たとえ自分の背中方向にあっても分らずに、
ぐるりと一周し階段上り口を探してしまっている。

また第一層から二層目に上がって行くと、
二層目にある階段は、反対側に造られている。
まるで螺旋階段を連想する感じである。

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塔の階段を上ると各層に回廊が設けられており、
階段を上がりきり、すぐに外側の回廊伝いに、
反対側の階段まで、ゆったりと蘇州の景色を、
眺めながら歩いて行くのも楽しい。

また一気に階段を第七層まで上ってしまうと、
額に汗がにじむどころか、ぼたぼた落ちてしまう。

さらに足の太腿あたりの筋肉が張ってしまい、
翌日には足が痛く観光どころではなくなる。

写真は、北寺塔入り口付近を上から撮影した。

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「蘇州旅情10」

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この時の旅行に持って行ったレンズは、
EF35mmF1.4L USM /EF85mmF1.2L USM
EF135mmF2L USM /EF100mmF2.8macro

上記の4本のレンズを持って行ったが、
頻繁に使ったのはEF35mmF1.4だった。
その他のレンズは、カメラバッグの中に、
入りっぱなしで、やたら重たいだけだった。

この時は、ズームレンズは持って行かなかった。
相当後悔もしたが、やはり旅行に持って行く、
レンズはズームレンズが便利とも感じた。

この時点上海の部屋に置いてきた広角ズームは、
EF17-40mmF4で、標準ズームはEF24-105mmF4。

望遠ズームレンズは旅行では殆ど使わないが、
劇場などの公演撮影には望遠ズームが重宝する。

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旅に出る前に友人のカメラマンよりはズームより、
単焦点レンズの方が撮影の勉強になると言われ、
バッグに詰め込んであったズームレンズを出し、
単焦点レンズと入れ替えて出発した。

だから、単焦点レンズばかりを持って行ったと、
言うわけでもないし、最終自分で決定したので、
他人のせいにするつもりも毛頭ない。

上海に帰ってより、中国人のカメラマンと、
レンズ談義をしたが、単焦点レンズ1本を持ち、
足で前後の感覚を理解し構図を決定と言われ、
私の理解力のなさを痛感。だが現在では、
単焦点とズームを持って行くが、ズームが便利で、
単焦点は、よほどでない限り使う機会がない。

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「蘇州旅情11」

「中国写真ライフ」では、
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北寺塔から下りたのち、同じ敷地内の、
報恩寺へ向かった。一人で行動しているので、
ガイド通りの進み方はできない。

報恩寺へ行く前に、古い建物の寺の焼香場へ、
迷い込んだように入って行ったところ、
親子で手を合わせている所に出会い、急ぎ、
シャッターを切ったのが上の写真である。

背景の太陽の光に露出が合ってしまい被写体は
暗くなったが、フラッシュがあれば人が、
浮き出たように撮影出来た。

それでも子供のどうしてよいか分からず、母と、
同じように手を合わせている姿に胸を打たれた。

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日本にいる頃には寺には、あまり行かなかったし、
神社にも、殆ど行かなかったので、寺の境内に、
どれくらいの大きさの線香があったか分からない。

中国へ来てより、各地の寺には何度も行ったが、
どこの寺へ行っても、線香は長くて太い。

参拝者が一度に長い線香に火を付けるときは、
異様に感じるほど火が立ちのぼる。

長いものは人の背丈ほどある線香もあるが、
このルーツは、竹ひごに香料粉末を練り付け、
乾燥させた竹芯香と呼ぶようで、太い線香の中に、
何本もの竹ひごが入っているようである。

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「蘇州旅情12」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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北寺塔の裏側にある報恩寺に、
安置された観音像を撮影した。

中には寺を管理する人たちが居たものの、
日本から来ましたが、撮影させて下さいと、
お願いしたところ、本当は撮影禁止だけど、
遠いところから来て下さったので、どうぞと、
撮影許可を下さったので急ぎ撮影した。

この日は、私が撮影している間中、観光客は、
誰一人として入っては来なかった。

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観光客はガイドの案内に従って直接、
本堂の方へ、行ったのかも知れないと、
思いながら、時間の制限など無い私にとって、
のんびりと、更に裏側の回廊へも行った。

故郷はフィンランドという子供達が、
話す中国語は相当流暢だった。

子供の脳は柔軟だから覚えるのも、
早いだろうなと思って聞き直すと、
男の子は中国で生まれたと語ってくれた。

写真は、1.5mの長い線香が供えられてるシーン。

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「蘇州旅情13」

「中国写真ライフ」では、
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広東省の禅寺で男女が、ひざまずき、
両手に線香を捧げ持ち真剣に祈る姿が、
今でも印象に残っている。

蘇州の寺での線香を持ち祈る方法は、
立ったまま東西南北を順に頭を下げる。

祈りの方法などは日本とは違うと思うが、
形式が違うだけであり、祈る心は同じだと思う。

中国では具体的な祈りが大切であると説く。

私は家族の健康と自身の背負った宿命を、
来世まで持って行きたくないので、今世で、
断ち切ってほしいと祈るが、漠然過ぎるようだ。

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上の写真は撮影に際しては、僧侶にお願いして、
観光客が立ち去るまで待って撮影した。

あとから来た中国人が、撮影してもイイの?と、
私の横に立つ僧侶に質問していたが、この方は、
ご供養を沢山頂きましたので許可致しましたと、
話すと、お金を支払ってまではイイですと去った。

私は撮影してから、仕方なくご供養をし名前を、
書いて、ひざまずき祈りを捧げたが、僧侶は私に、
手を合わせて、これから良い事がありますよと、
ニッコリ笑ったが、一本やられた感じだった。

写真は釈尊の過去世・現在世・未来世の仏像。
生まれ変わりとされるが、時間は那由他阿曾祇と、
とてつもない長い時間を掛けたと僧侶の話だった。

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「蘇州旅情14」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
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北寺塔報恩寺の裏出口から外に出て、
裏通りを歩いて、表入口まで行く途中、
塀越しに北寺塔を撮影した。

塀に描かれた「南無」から始まる文字も、
上手に撮影したかったが、南から無までの、
距離が離れ過ぎており、南だけはそれと分る。

「南無」とは帰依することであると言うが、
仏法僧の三宝に帰依することならば、僧侶に、
なることが一番の近道なのだろうか?

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報恩寺塔は、蘇州で最も古い寺とされる。
三国時代に孫権が母の恩に報いるために建立した。

三国時代は西暦250年前後で、今から1760年も、
前なので、一部風化現象が起こったとしても、
さほど驚くほどでもない。

建物自体幾度かの戦火に焼かれ、そのたび毎に、
建てかえられて今日に至っている。

各地の仏教寺院は地元の保存会の人たちにより、
守られているが、毎年悪くなる建物の補修費用が、
結構大変だという事も話していた。

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「蘇州旅情15」

「中国写真ライフ」では、
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北寺塔の裏門から出て表側に戻って来た。
私は蘇州庭園へ行こうと表通りに向かった。

振り返り北寺塔の方を再度見ると入る時に、
気付かなかった「北寺勝蹟」の門の文字に、
写真に残しておこうと戻り撮影した画像。

表通りに出て世界遺産の拙政園はどの方向か、
尋ねたところ、道なりに少し歩けば着くと、
言われ、バス停も見ずに歩いた。

途中、蘇州工芸美術博物館があったが、
蘇州市内には14か所に博物館がある。

工芸美術博物館に入ってすぐに目に入ったのが、
蘇州博物館に展示されていたものが、
展示されており、今回は中へ入らなかった。

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拙政園まであとどのくらいか?道行く人に、
聞いたものの、皆さんからは「すぐそこ」とか、
「もうすぐ」などと中国で道を尋ねると、
「すぐそこ」という言葉をよく耳にする。

中国は国土が広いので、何年も住むと、
車で2時間ほどの道のりでも、結構近いと思う。

日本で高速道路2時間と言えば、相当な距離だが、
中国では人の気持ちを、おおらかにするようだ。

だが、歩くとなると、また感じが違ってくる。
また初めて通る道は、目的地が近くにあっても、
遠くに感じるものであるから不思議である。

実際には北寺塔から1キロほどで苦にはならない。
獅子林も拙政園の近くなので交通機関は使わなかった。

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「蘇州旅情16」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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世界遺産の拙政園に着いた。
拙政園の前にパトカーが停まっていた。

日本人がパトカーを見るとドキッとする。
それは私だけなのかも知れないが、どうも、
道路を走行しているパトカーに似た車を、
見ると一歩下がってしまう。

写真の車は「城管執法」の車と書かれている。
「城」とは町を指し、「管」は管轄の事。

「執法」は法律を執行するとの意味で、
警察官が職務執行し犯罪者逮捕とは意味が違う。

この日は、江蘇省の幹部が拙政園に訪問すると、
言うことで、厳重に公安への管理が行われていた。

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拙政園へ入る正門からの入園はこの日は、
出来ずに、チケットを購入してとり、
右側の小さい門から墓へ入った。

写真の獅子の石像は一般の寺などの前に、
置かれている雄雌の獅子像と同じ意味。

写真の獅子像は雌獅子であるが、普通は、
子供獅子を前足の下で、あやしている。

だが、拙政園や上海の豫園の獅子像は、
リアルな子供獅子のあやし方である。

蘇州の庭園では、写真の獅子のように、
愛嬌がありリアルな獅子像が多い。

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「蘇州旅情17」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。

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太平天国忠王府と書かれた石碑に、
落書きがしてあり、それを消してあるが、
消し方が悪く、折角の石碑が勿体ない。

洪秀全は1851年初頭、天王を自称し、
蘇州を拠点に太平天国を建国した。
1852年に広西から湖南へと進出し、
1853年には南京を占拠した。

日本では、天草四郎の島原の乱があったが、
太平天国の乱は200年の時は離れている。

キリスト教の信仰組織太平天国によって、
起こされたが、内乱終結時には史上最も、
犠牲者の多い内乱として記録されている。

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太平天国の時代に蘇州を拠点にしてた、
李秀成が拙政園に心を惹かれ、
太平天国の忠王府を拙政園の中に、
置いていたが、乱が終息しても、
拙政園の隣に忠王府の記念館はある。

拙政園は蘇州四大名園の一つであり、
また、北京の?和園と並び、
中国の四大名園の一つにかぞえる。

拙政園は明代(1509年)に、
高級官僚だった王献臣が造成した。

蘇州園林博物館は拙政園お奥にあり、
この園林は蘇州の中でも一番広い。

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