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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

アモイ旅情2


 
「アモイ旅情18」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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写真の像の鄭成功は長崎県平戸で生まれ7才まで平戸で過ごす。
1631年、7歳の時に父の故郷である福建に連れて来られる。

鄭成功は1661年に台湾を占拠したが、彼自身の目標だった、
清朝を倒し明朝を復興させる「反清復明」を果たす事無く死去。

彼の死後、福建省でも台湾からも民族的英雄として描かれる。
船は、コロンス島に建つ鄭成功像の近くを航行し金門島へ。

船の中では退屈そうにしている人や居眠りをしている人など、
何もない単調な海上では仕方がないが、私は甲板の上に立ち、
薄っすらと霞んで見える金門島を見ていた。

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間もなく金門島付近とのアナウンスがあり、私が甲板に上がり、
10分もしない内に、どんどん人が甲板に上がってきた。

船のエンジンが低速に落ちたと感じたとき、金門島へ着く手前、
300m付近でエンジンを停止させ、徐々に舵を切り方向転換。

カメラに望遠レンズを装着し素早くシャッターを連射したが、
300mの空間の霧で金門島は霞んで見えていた。

私は上の写真の「三民主義統一中国」のスローガンの撮影に必死で、
ふと他の人を見ると、霞んだ金門島をバックに記念撮影をしていた。

まだ30年ほど前まで、この海峡で大砲の打ち合いが続いていたとは、
想像していた光景とは違い、記念撮影場所に変わった台湾海峡に、
軍事衝突など起こりえない平和な台湾海峡を見る事が出来た。

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「アモイ旅情19」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ市内のホテルをネットで予約をしておいたが、
厦門旅行社の女性ガイドとメールのやり取りで、
決めてあったのは、8日間のスケジュールのみだった。

アモイへ着いて私の予約したホテルの部屋へ入ってより、
ガイドより携帯に連絡が入ったが、ホテルはどのように、
予約を取ったのかとの電話の内容であった。

ホテルの予約は、ネットで調べて予約を取ってあり、
ネット銀行よりは振り込んでいないことを告げた。

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さらに、ガイドより電話のあったホテルには2日分の、
ホテル宿泊料金を先に支払ってあることも告げたところ、
宿泊条件が良くないので、ガイドの方でホテルを、
用意するので暫く待ってくださいと電話は切れた。

10分ほど経ったころ、ガイドより連絡が入ったが、
フロントに代わって下さいと代わったが、福建の言葉で、
詳細な内容は分からないが、大きな声をあげていた。

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フロントの女性から、何か話があるそうよと携帯電話を、
渡され、聞いてみると、ホテルを換わるように言われた。

電話は切らずに、2日間分のホテルの前払い宿泊料金は、
返してもらえるかどうか聞いたところ、キャンセルは、
出来るが、宿泊料金は全額頂きますと言われた。

ガイドが慌てて用意したホテルも当然宿泊料金が発生し、
ダブルで払うような、お人よしではないので既に2日分、
支払ったホテルに宿泊することにしガイドにまた電話した。

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何ともドタバタ騒ぎで、ホテルのフロント嬢も気分悪そうな、
表情を浮かべていたが、何とも疲れてしまった状況だった。

ガイドと言っても、私を直接案内する女性ではなく、アモイの
旅行社の支店長補佐のような仕事をしていたが、このような、
状況に陥ってしまうとガイドに頼まずに、すべて自分の責任で、
手配した方が良かったとも思うが、何とも難しいところ。

写真は、ホテルの屋上からホテル付近の夜景を撮影した。
手持ちでスローシャッター撮影で画像は手ブレを起こしている。

写真に写っているフランス資本のスーパーカルフールへ、
買い物に行ったが、品数が多く何でも揃っていた。

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「アモイ旅情20」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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最近のニュースでは、ノーベル化学賞で、
鈴木章さんと根岸英一さんが受賞し、
気の毒に思えるほどのインタビュー漬けである。

ノーベル平和賞で、最有力候補だった中国の、
劉暁波さんが受賞したと発表があった。

劉暁波さんと言えば、1989年の天安門事件から、
「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望との
著書を発表寸前に逮捕される。

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2008年、08憲章発表の直前に逮捕され、
国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決を受けた。

それまでも、民主化運動で、何度も逮捕されている。

世界からみれば、共産党独裁政権にある中国に於いて、
投獄中でありながらも民主化運動を続けてきた、
劉暁波さんのノーベル平和賞受賞は喜ばしい事である。

だが、中国政府に取っては、首脳陣失脚をも、
連想させる壮絶な事柄になってしまった。

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ノーベル平和賞決定を報じたNHK海外テレビ放送の、
ニュース番組中、突然画面が真っ黒になった。

やはり、こんな事が中国国内の民主化活動家や、
国民が見れば、どのような事になるか恐れたのだろう。

天安門事件では、1万5千人?以上が射殺された・・。
中国人も南京大虐殺ほど多くは語らないが、
天安門事件も虐殺と同じではないかと思う。

写真はアモイ港近くの道路から街路樹や花を撮影した。

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「アモイ旅情21」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ港からフェリーに乗ってコロンス島へ向かった。
フェリーといっても立ったままで、押し競饅頭状態。

港では「執勤」の赤い腕章をした人民解放軍の警備員が、
誘導しても誰も指示に従わないので困った様子だった。

中国語で「執勤」とは職務を執行するとか当直の意味。
フェリーは5分に1回のローテーションで出港していた。

アモイ港からコロンス島までは500mほどの距離しかなく、
通勤ラッシュほどの混みあいだったが、5分ほどで着いた。

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フェリーの中では、すし詰め状態だったものの私が、
乗ったのは最初であり、窓越しに撮影が出来た。

フェリーより早い高速船やモーターボートが追い抜き、
次から次へとフェリーのすぐ近くを走り抜けて行った。

また海の深さを示すゲージの目盛りは4mを差していた。
軍艦などあまり大きな船は入って来れないのかも知れない。

コロンス島についての説明は次ページでしていきたい。
下の写真のバックに見える洋館造りの建物は、数十台の、
オルガンが展示されており、パイプオルガンもある。

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「アモイ旅情22」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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8時にホテルを出てアモイ港へ着いたのが、
8時45分だったので、45分ほど掛かった計算。

アモイ港からコロンス島へはフェリーで5分間。
ホテルからアモイ港まで車で15分。所要時間は、
20分ほどで残りの25分は待ち時間ということになる。

朝8時という時間も手伝い思いの外、早く着いた。
写真は、コロンス島の港付近の高台より撮影。

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下の写真は、コロンス島のコロンスの中国語で、
「鼓浪?(gu3lang4yu3)」読み方はグランユイ。

楽天ブログでは、中国語の簡体字は文字化けする。
ゆえに写真の港のビルに掲げた中国語違う。

鼓浪?の?の文字であるが、写真とは違う。
簡体字では文字化けするので、実際に書くと、
?(yu3)だが、文字化けというより「?」マーク。

鼓浪?の?の意味は、小さい島という意味である。

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「アモイ旅情23」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ港から500mほど離れた所にあるコロンス島。
ガイドブックには、コロンス島は1.7平方キロと、
島を一周しても、6キロから7キロほどの広さでしかない。

またコロンス島では、ガソリン車やディーゼル車などの、
車の走行は禁止されており、電気自動車でも許可証を、
持っていないと走行が出来ないようになっている。

現在でこそエコロジーのエコにやさしい、環境保全を、
念頭においた物づくりが、当たり前のようになっている。

コロンス島では島を挙げて、環境保全の意識が高く、
ゴミなども、中国本土のように散乱はしていない。

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私は、朝から午後4時過ぎまでの7時間ほどかけて、
のんびりと島の中を歩いてみて回った。

島には、中国本土に比べ猫が多いように感じた。
だからと言って、猫にえさ付けをしていると言うのではなく、
路地にも食べ物が産卵している光景は見受けられない。

写真は数え切れないほどの、赤いちょうちんが、
路地の3mほど上に吊り下げられていた。

みやげ物店の多さは、観光客がいかに多いかを察し出来る。
若い中国人女性の姿も向けられたが、熟年夫婦の姿や、
日本で言うところの婦人会のツアーも多く見られた。

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「アモイ旅情24」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島に着いてより、緩やかな上り坂を歩き、
アヘン戦争後に各国の領事館が広東省や福建省に、
作られたが、コロンス島にも多くの国の領事館があり、
女性ガイドの説明を聞きながら歩いた。

道なりに歩いて行くと「海天堂構」へ着いた。
現地ガイドと共に歩いてきたが暫しの間はぐれてしまった。

旅行の1ヶ月前から、アモイの旅行社のガイドと、
メールでコンタクトを取りながら決めたコースだった。

団体パックツアーではなく、ほとんどがフリーだったが、
ガイドをつけてもらい、ツアーの2割増しの料金で、
8日間の費用をネット銀行から振り込んであった。

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8日間の中で私一人のためにガイドが着いた日が、
1日だけ私一人にガイドがついてくれた。

その他の日は、多くて8人、少なくて3人ほどで、
ガイドが1人ついて案内してくれた。

コロンス島へは、6人のグループに私は同行した。
私以外は皆さん中国の人で、福建省以外から来ていた。

昼食になり、ガイドが連れて行ってくれたレストランに、
入ったものの相席と言う事も出来ず、私一人でメニューを
見て注文しようと思ったが、最低で80元(1200円)だった。

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人が込みだしたので、ウェイトレスに手を挙げて、
私は外で食べると言い置き、5人の旅行者に挨拶し外へ出た。

中国での一人旅で困ることの一つに、食事をする事だった。
中国料理の1品を頼むとボリュームがあり、1品だけでは、
なんとなく殺風景なので、あと1品とスープを注文すると、
スープだけで腹いっぱいになるほど大きな器に入っている。

野菜なども大きな皿に山盛りでほとんど残してしまう。
3・4人ほどで注文するとちょうど良い量である。

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「アモイ旅情25」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島の食堂街で昼食をとったが、ガイドに、
連れて行ってもらったレストランのメニューに、
書いてある高い価格を見て、私だけレストランを後に、
安いメニューのレストランの所に行った。

外で探したたレストランでは半額以下の価格で、
食べられ満足しながら、同行の旅行客が食事中の、
レストランへ入って探したが見つからなかった。

私が、外へ出て何軒かのレストランに入り安い所を、
探す時間に15分ほど掛かり、皆より遅れてしまった。

ガイドへ携帯から電話を入れた所、皆は買い物しているから、
貴方も買う物があれば1時間の自由行動にしますが、
あまり遠くへ行かないようにして下さいと電話は切れた。

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食事前に皆で集まった時にも、私が外で食べるとガイドに、
伝えた時にも自由行動の事を話していなかったので、
食事中か食事終了後に皆に話したのだろうと思った。

昔、初めて中国にて1人食事をしたとき、メニューを見ても、
どんな料理なのか分からないので、4品とスープを頼んだが、
ウェイトレスから、これだけで良いですかと聞かれ、
少ないのかなと思い、あと1品注文すると、ウェイトレスは、
これくらいですねと言ってカウンターへ戻って行った。

暫くすると、テーブルに5品のおかず類とスープが並んだ。
私は、それを見ただけで腹一杯になったような錯覚に陥った。

照れ隠しに鞄へ入れてあった新聞を広げて顔を隠しながら、
その新聞の脇からおかずを箸でつまんでは、口に運んだ。

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ウェイトレス達は、この人はこんなに注文して一体どうやって、
食べるのかと興味ありげに私のテーブルの周りに集まって、
来ており、中には可笑しいのか手で口を押さえている人までいた。

1皿の大きさは直径25センチほどあり5皿全部山盛りだった。
スープはと言えば、直径30センチほどあろうかと思うほど、
大きな器に並々のスープが入っており、小皿に取り飲んだが、
大き目のレンゲで何回となく、よそったものの中々減らなかった。

結局、ビールとスープで腹が膨れ5品のおかずは殆ど減らずに、
当時弁当が3元(45円)の時代に、240元(3850円)の勘定を払い、
その苦い経験が、その後の中国生活の中で大いに役に立った。

写真は土産物屋に並ぶ、いろいろな土産物類の画像である。

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「アモイ旅情26」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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旅に出る前夜は中々寝付かれなく時間ばかりが、
どんどん過ぎて行き、いつも旅行当日は睡眠不足。

前夜に忘れ物はないかと考えてみるが、床についてから、
思い出すものの翌朝にバッグへ入れればよいと動かない。

特に冬の寒い夜は布団から出たくなく、そのままになり、
朝6時出発という事もあり、慌しく部屋を出て忘れてしまう。

今までに何回ともなく旅に出ているが、毎回持って行く物を、
同じようにチェックしているから自分でも、おかしくなる。

普段旅には三脚は重たいので持参しないが、今回の旅には、
一脚を持参したものの全てを自由行動にしないと少人数の、
現地ツアーでも決められた時間での行動には限界ある。

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土産物屋では女性用の布袋を買い、その中に一脚を入れた。
肩から提げる布袋は定価60元(900円)を28元(420円)で買った。

写真は土産物屋の店先で売られていた操り人形だが、
福建省泉州や?州、広東省の潮州また台湾で人形劇として、
現代に伝わっており、布袋人形劇で使われる操り糸人形だ。

1750年ごろから布袋劇が巷に流行しており、人形の頭部や、
手足部は木製で出来ており、身体部は布製の衣服を着せた。

元々、手を人形衣装の中に入れて操作するが、操り糸を、
巧みに操り劇を演出して行ったが、布製の袋を使って、
劇をしていったので、布袋劇という名前がつけられた。

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福建省?州は昔から、生活が不安定で、災難に見舞われ、
天を敬い巫女を尊ぶという風習が盛んであったので神秘的な、
人形劇が民間でひろく流行していた。

清朝や中華民国時代には、人形劇を演じる小屋も多くあり、
娯楽の少ない時代の中にあっても、相当盛況であった。

中国では人形劇に関する記述が非常に多く、紀元前900年頃、
西域の人形使いが王朝に芸人を連れて人形劇を行った。

福建省の泉州の指人形劇では、人形は手で直接操られる。
指で直接人形を操る方法も盛んに行われていたという。
 
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長い歴史の中で人形芸術は次第に豊富になっていった。
またより完全なものを求めて、操作方法も多くなって行った。

現在においても、人形劇は各地で行われているが操作方法は、
場所や劇団により、糸で操る人形や手を入れて操る方法、また
棒で操る人形や指人形などと種類も多くなっている。

糸で操る人形は、全長30センチ前後のものが多く関節も動き、
そのため、関節など動く部分には、操るための糸がつけてある。

一つの人形に20本以上の糸がつき、すべての糸は操るための、
板に繋がれており、操る人は板をつかみながら、糸を操作する。
京劇の人形などの動きは複雑で操る糸の数も多くなっている。

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「アモイ旅情27」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ港からフェリーで5・6分の所にあるコロンス島。
みやげ物屋さんが建ち並ぶ通りでは貝殻の首飾りや、
装飾品として多く売られていた。

風が吹くと吊るされた貝殻の打ち鳴らす音が響き、
さわやかな音が心を清々しくしてくれた。

通りには多くの貝殻が吊るされる店が連なり、
貝殻の鳴り響く光景がいつまでも続いていた。

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アルバイト料が幾らなのかは分からないが、
海岸で貝殻を拾い、錐で穴を開けタコ糸で、
つなぎあわせるのも根気の要る仕事である。

貝殻をつなぎ合わせるのは島民の、
アルバイトでまかなわれているとのこと。

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みやげ物屋さんの店の隅には、花売り娘たちの、
こけし人形が売られていたが、手に取って見ても、
手間が掛けられ作られていた。

だが現在では、写真のコケシのような花売り娘は、
ほとんど見ることが出来ない。

日本人形とは趣が違うが見ていても飽きない。

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「アモイ旅情28」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島のみやげ物屋さんの通りを歩くと、
同じようなみやげ物を売る店が並んで建っていた。

お茶を売る店や貝の飾り物や鞄や靴など、
同じように集まって商売をしていた。

その店の傍らに赤提灯が吊るされており、
赤提灯には大吉大利と書かれている。
大吉大利の意味は、万事好都合に運ぶ。

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また赤提灯には、よく使われる万事如意の文字。
この意味も、万事が思い通りに運ぶとの意。

少し歩くと風車が売られており、時折吹く風に、
喜ぶかのように風車が音を立てて回っていた。

みやげ物屋で唯一買ったものが福建省のお茶。
下の写真のお茶は、ジャスミン茶類である。

茉莉花茶や牡丹秀球、龍珠王や七仙女など。
このお茶は、ブランデーグラスに丸めた珠を入れ、
お湯を注ぎ込むと、花のように徐々に開く。

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ジャスミン茶の香りには、鎮静作用があり、
心のバランスを整えてくれ、気持ちを和らげる作用がある。

牡丹茶と呼ばれるものも、作り方は同じで、
緑茶や黄茶を何枚も束ねて牡丹の花のように、
作り上げたもので、ジャスミン茶よりも大きな花が開く。

だが、私が買ったお茶は、烏龍茶で上海に戻ってより、
烏龍茶を飲んだものの旅先で飲んだ香りの良い味はしなかった。

やはり、雰囲気とお茶の入れ方やお湯の温度なども、
関係しているのかとも思ったが、どのようにしても酷があり、
それでいて甘さの残るお茶の味は思い出の中に残った。

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「アモイ旅情29」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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アモイ港から見えるコロンス島の150年のあゆみは、
アヘン戦争により1844年アモイにイギリス租界の開設を、
認めさせイギリス人が住むようになり領事館も出来る。

その後、国際管理地域となりドイツやアメリカまた、
旧日本政府などもコロンス島に領事館を建てて行った。

写真の旧日本領事館は1897年頃からコロンス島にある。
他の国の領事館は観光ホテルなどに改築されているが、
旧日本領事館誰も住んでいないような感じがした。

コロンス島の人口は1930年には外国人600人ほど中国人、
2万人ほどだったが、1937年蘆溝橋事件をきっかけに、
旧日本軍は次々と中国各地を占領していった。

1938年にアモイも占領されるとコロンス島の租界には、
多くの難民が殺到し「安全地帯」が治安の悪化をたどった。

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旧日本軍も真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発すると、
コロンス島にも上陸してイギリス人やアメリカ人を、
拘束したが、1945年の敗戦の2年前に旧日本軍は、
共同租界を返還し消滅してしまった。

戦争前は、外人専用の居留地に、中国人は入れなかった。
当時の旧日本領事館に設置されていた監獄跡には、
「旧日本帝国主義厦門領事館警察署地下監獄」と、
書かれた石碑があったが、かなり重圧を感じた。

コロンス島の観光は中国人が全体の90%を占めており、
旧日本の生々しい石碑が、中国人の心を逆撫ぜしているようで、
心苦しく、反日思想が、ここを見て更に広がるのではと思った。

幸いなことに旧日本領事館は、少し奥まったところにあり、
興味ある中国人しか目に触れず、一般の中国人は、
知らずに通り過ぎて、中国人ガイドも触れなかった。

今、中国西安やその他の都市でも反日デモが激しく、
日本と関係のある運動具店や料理店などの破壊が続いている。

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「アモイ旅情30」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島で1900年ごろ建てられた各国の旧領事館脇の、
大通りを徒歩にて、目的地の「海天堂構」まで向かった。

旧領事館の洋館建ての傍らには清朝末期であるが、
西洋の照明灯が設置され、人が住んでいるのか、
吊るされた鉢に花が植えられていた。

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コロンス島は1900年以後共同租界地に定められた。
各国の領事館や商社なども次々と建てられていった。

また学校や寺院が建設されていったが、現在は建築物が、
多く残る地域で観光化してホテルなどに変貌している。

また、歩きながら思った事は、どこの通りを見ても、
コロンス島には車の往来が極端に少ない。電気自動車でも、
コロンス自治区で許可された車しか走行禁止である。

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今、中国では反日感情が露にデモにつながり破壊行為が続く。
中国中央政府の権力争いを、このデモにより中央指導部の、
失脚を狙ったものだと噂されているが嘘ではないようだ。

四川成都でのデモから西安など大きな都市でデモが続いた。
次の土日には、更に大きなデモを予定しているとか。

以前の北京や上海や広州での大掛かりなデモでも日本料理店が、
破壊されたことは記憶に新しいが、四川大地震で日本救援隊の、
功績などで日本人の心を知った筈の中国人だったが、
なぜ、デマメールに踊らされてしまうのか腹立たしい。

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「アモイ旅情31」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島の「海天堂構」の門の前に辿り着いた。
門を潜り中へ入ってより、振り返りまた門の外へ出た。

門の上に取り付けられた「守り瓦」のデザインを、
撮影したものの日本の鬼瓦とは趣きが違うようだ。

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守り瓦の周りには「炎」がデザインされていた。
日本の瓦のような素焼き風ではなく、
石を彫ったような感じにみえた。

軒の彫刻も素晴らしく暫しの間眺めていた。
彫刻というと木材を彫ったようだが、
画像の門の軒は石のような感じだった。

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門を潜り中へ入り、門の裏側を撮影した。
「鹿礁千頂」と書かれていたが意味は不明。

私が見つからないので、ガイドが呼びに来た。
ガイドと中に入り、門の方を振り向き撮影した。

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ガイドより「5人の人が待っていますよ」と言われ、
先を急いだが「海天堂構」の正面を撮影した。

1921年に建てられた3棟の建物からなる別荘だったが、
10年前に2年の歳月を掛け修復工事を終えた海天堂構は、
フィリピンの華僑の人の所有だという。

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「アモイ旅情32」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島の「海天堂構」の中に入ると、
先に通されたのが人形劇の舞台がある大広間。

その「海天堂構」の人形劇
その途中抜け出し、人形の保管してある所を、
ひとり見て回ったが、その後私を探すのに、
ガイドさんが相当苦労したようだった。

その人形が保管してある人形たち

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写真はガイドさんが苦労して私を探し出してくれ、
その後、2階の各部屋を見に行ったが、皆は、
帰った後だったので、私一人の為に照明を点けてくれた。

壁には中国の歴史上の人物の名前が書かれていた。
中国へ来た当時は、中国歴史上の人物のホームページを、
作るのに大変な思いをしていた時だった。

その中国歴史上の人物のページは下をクリックすれば、
見れるので時間・興味のある人は行って見て下さい。

楽天とエンコードが違うので、EUCに変更して下さい。
画面上のページ(P)→エンコード(G)→日本語(自動選択)
「中国歴史上の人物」
「中国歴史上の人物A~R」

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「アモイ旅情33」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

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コロンス島の「海天堂構」では東洋と西洋の、
良いところを取り入れ、まとめた建物だった。

2階の観音像が安置してあるところでは、
観音像の高さに合わせて天井が高くしてあった。

7mほどあろうかと思うほど背丈の高い観音像。
手には航行の安全を願う舵を持ち海へ向かっていた。

観音というと男性なのだが、後ろ姿は女性で、
しとやかな仕草が観音像から伺えた。

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隣りの部屋も見たいと言うと係りの人が案内してくれた。
ガイドは下に降りているからと私と係員だけだった。

写真の楽器は南曲に使われたもので、宋や元時代以降、
南方系の戯曲に用いられた曲調つまりメロディの総称。

中国の南方系の歌曲を主体とする演劇を、北方系の
北曲に対して南曲と呼んだものである。

元々南曲は浙江省の温州が発祥の地といわれる。
明日からの旅の写真は、アモイから250キロほど離れた、
広東省仙頭から潮州の方の写真を公開していきたい。

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