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Dog Photography and Essay

江蘇省--南京旅情2



「南京旅情16」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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南京の莫愁湖を出て中華門へ来た。南京市の南部にある城の門である。

清朝の前の明代には聚宝山に由来し聚宝門と呼ばれていたが、中華民国の
時代に入った1931年に現在の中華門の名前に改められた。

中華門は南京城墻の一部であり南京城最大の城門でもある。
東西南北はほぼ正方形になっており一辺の長さは約130mで4つの城門がある。

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中華門は南京防衛の要であり兵士3500人の配備が可能であった。

中華門は南京城の城門であるが一般の門というより要塞と思えるほど。

城門の上に上がると石で仕切られた壁により幾つもの細長い部屋が
作られており現存する貴重な実物資料館のようになっていた。

旧日本軍が南京を攻略した時に南京城門を破壊し南京城の上で
万歳をしている写真をよく見かける。

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「南京旅情17」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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南京は北京や西安また洛陽と並ぶ中国四大古代都市の1つである。

南京城を囲んでいる城門の1つの中華門は明代に南京城正門として
秦淮河に沿うように造られた。

写真は、中華門に入った土産物屋で売られているものを撮影した。

どこの観光地の土産物屋も同じで絹のスカーフと白檀の扇子が
売られているが人気は高い。

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下の写真は、中華門の馬道である。なぜ馬道かというと大門の下から
大門の城壁の上まで馬で一気に駆け上がった為「馬道」と名がついた。

石畳の上を馬が闊歩するのは蹄にもかなり負担が掛かったのではと
一緒に着いて来た運転手の話だった。

次に案内されたのがレンガで仕切られた細長い部屋に通されたが、
中には明代の貴重な物などが展示されていた。

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「南京旅情18」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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元の時代から明の時代になり始めの55年間は首都が南京にあった。
江南地方から中国統一を果たした事は明朝が初めての事であった。

南京城は周囲34キロにわたったがその正門が中華門と言われる門であった。

城の西方には長江(揚子江)が流れ東方と北方には紫金山がそびえていた。
中華門の城門は南側で南京城を守り上の写真は南京で取れる雨花石である。

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日本で南京と名の付くものではU字型の引っ掛けが付いた南京錠や
刺されるとかなり痛く痒い南京虫。落花生の南京豆や麻で作った南京袋
舞台で披露する南京玉簾や緩み難くしっかりと固定できる南京結びなどと
南京と名のつくものは意外とある。

写真は中華門の案内写真と南京城を立てた折に基礎にした石やレンガに
時の名前や年号などが織り込んである。

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「南京旅情19」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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写真は中華門の2階部分に造られた各部屋に陳列された南京城や中華門を
作るときに使われたレンガ類である。

陳列されているレンガには全て浮彫文字が施してあった。
陳列ケースの中には取り壊された城壁のレンガが整然と並んでいた。

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陳列された部屋と同じくらいの部屋が7つほどあり各部屋に貴重な
歴史的な品が陳列されていたが中は寒々として底冷えがした。

レンガの浮彫り文字を見ても詳しい事は分からなかった。
運転手が説明をしてくれていたが大まかな事だけで、レンガの
一つ一つについては分からないようだった。

年号や地名また干支の事が書かれており南京城建設の折には、
多くの所から高級なレンガが送られて来た事が分かる。

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「南京旅情20」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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貔貅(中国語でpi2xiu1)と呼び日本語読みでは(ひきゅう)と呼ぶ。

貔貅は伝説上の猛獣の名であり貔が雄で、貅が雌ということである。
辞書を引くと貔貅という語は勇猛な軍隊を譬えて用いられる。

史記の五帝記に、黄帝が熊や羆貔や貅、?や虎の六獣を飼いならし
炎帝と戦い勝利し即位した。

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また貔貅は邪悪を避ける動物として、三国時代には戦いの旗印として
そのデザインは流行したという。

明代に著された三国志では魏の初代皇帝である曹操が貔貅は
勇猛な将兵として戦ったとある。

運転手が貔貅にはお尻の穴がないと言うので、後ろに回り覗き込んだ。

貔貅は蓄財のお守りと言われ金を食べても穴がないので外に出さず
中に貯め込むとの事から縁起物とされる。
貔貅は南京市のシンボルマークでもある。

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「南京旅情21」

「中国写真ライフ」では、
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南京中華門の2階部分の分けられた展示室を見て回っていると陳列された
馬の蹄の形をした金銭を撮影した。

中は電気が点いているものの薄暗くフラッシュが必要だったが、撮影禁止で
フラッシュを焚くと撮影している事が分かっているので明るいレンズで撮影。

それでも手ブレを起こしているがISOの数値を上げて撮影してもこの程度。

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明代での通貨に使われた馬蹄金であるが大平元宝10枚で開基勝宝1枚分で
開基勝宝10枚で馬蹄金1個との事。

私には、中国時代劇ドラマで見る位で価値がどれ程なのかは分からない。

中国の貨幣も皇帝が変わると造り変えられ、金より銀銭の
流通の方が多かったようである。それを馬の蹄の形をした馬蹄銀と呼ぶ。

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「南京旅情22」

「中国写真ライフ」では、
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明王朝の276年の統治の中で経済の発展が最も著しかった。
中でも貨幣の鋳造と流通については洪武年間に洪武宝銭を発行した事だった。

貨幣の流通は政府により強制的に発行したが金額を制限しなかった。
貨幣のみ鋳造し放出したので貨幣の価値の下落に歯止めが利かなくなった。

経済の発展に伴い民間の取引の中で自然発生的に形成されたのが
銅銭を使う状況になっていった。

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明の中期以後、銀が経済の生活の中で基軸通貨となり銀を主として形成した。

洪武通宝は真ん中に穴を開けた貨幣で明の時代に入り流通させた。
南京の今で言う造幣局に洪武通を鋳造するように命じて造らせた。

元の時代に使われていた貨幣は使ってはならないと公布し各省にて
明のお金に監禁されて使用された。

写真の大砲は明の時代にイギリスより輸入され南京城の守りを固めていた。
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「南京旅情22」

「中国写真ライフ」では、
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明王朝の276年の統治の中で経済の発展が最も著しかった。
中でも貨幣の鋳造と流通については洪武年間に洪武宝銭を発行した事だった。

貨幣の流通は政府により強制的に発行したが金額を制限しなかった。

貨幣のみ鋳造し放出したので貨幣の価値の下落に歯止めが利かなくなった。
経済の発展に伴い民間の取引の中で自然発生的に形成されたのが
銅銭を使う状況になっていった。

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明の中期以後、銀が経済の生活の中で基軸通貨となり銀を主として形成した。
洪武通宝は真ん中に穴を開けた貨幣で明の時代に入り流通させた。

南京の今で言う造幣局に洪武通を鋳造するように命じて造らせた。

元の時代に使われていた貨幣は使ってはならないと公布し各省にて
明のお金に監禁されて使用された。

写真の大砲は明の時代にイギリスより輸入され南京城の守りを固めていた。

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「南京旅情23」

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明代の南京城を守った中華門の反対側を下って行くと当時の装束姿で明の旗を
右手に持ち立つ姿が見られた。この明の時代も現代と同じように
3時間の交代で歩哨に立つのだろうかなどと思いながら下って行った。

南京は金陵と呼ばれており古都5000年の文明史の中で数多くの
歴史的な文化遺産を保持している。

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現在の中華門は1368年に完成している。明朝の南京城の造営に伴い造られた。
秦淮河が東西に横断しており、もとは聚宝門と言ったようである。
辛亥革命後、現在の名に改称された。

今は城壁の一部しか残されていないが手で触ってみても強固な造りである。

提灯が幾つも繋がれ吊るされていた。運転手は、この提灯がない方が、
より一層昔が偲ばれるという。

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「南京旅情24」

「中国写真ライフ」では、
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南京城の中華門は明代には雨花台のある聚宝山の名前をとり聚宝門と呼ばれていた。

だが、1930年頃に現在の中華門に改名された。
中華門は南京城墻の一部で南京城最大の
城門で東西南北の長さは約130mである。

写真の中華門は東門で観光バスなどは
この門より中に入ることが出来る。

中華門は南京防衛の要であり
南京大虐殺の映画「南京!南京!」では、
この城門を旧日本軍が門を破壊し中国軍が
肉弾での攻防を破り入場した。

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中華門は城門であったが規模としては
要塞に近い様相を構えていたといえる。

中国軍事史における現存する貴重な
実物資料でもあり現在は中国各地より
多くの観光客が訪れている。

中国の映画や学校教育で過大提示された
旧日本軍による南京破壊事件を中国人が
口々に見たような事を話している。

一般の公園とは違い夜8時まで開いている
上の写真は実習と書かれた下に解説する所と
観光客が訪れた折に中華門の説明をしている。

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「南京旅情25」

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南京中華門をあとにして建康路の
夫子廟から少し行った所にある河へ出た。

南京を代表する水路でもある秦淮河の
横に造られた参道のような所へ出た。

秦淮河に架かる橋を渡り参道を
歩いていると李香君古居の前に出た。

李香君は「桃花扇」舞台劇に登場し
一躍世に名を知られるようになった。

「桃花扇」は、清初の劇作家の孔尚任が
1699年に完成した戯曲で「長生殿」と
並ぶ清代の戯曲の代表作である。

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明朝の滅亡を背景に、文人の侯方域と
名妓の李香君との悲恋を描いている。

登場人物のほとんどが実在の人物で、
史実に基づいた歴史物語になっている。

李香君は抗清の名将楊之浩の娘であり
南京に逃亡するが媚香楼に売られる。
彼女は美人で芸に長けており当時秦淮で
最も有名な歌妓の一人であった。

李香君故居は夫子廟の西南に位置し、
夫子廟から10分程の所にある。

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「南京旅情26」

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私が宿を取ったのは夫子廟から徒歩で
1分程の所にあり、何かと行動するには
便利と思ったが宿で5泊する事となった。

写真の咸亨酒店は、浙江省紹興市が
始まりで老舗の居酒屋として有名である。

紹興市といえば紹興酒のふるさとで
魯迅をはじめ多くの人に愛されてきた。

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私は日本にいるときは紹興酒を
飲んだ事はなく中国へ来てからである。

始めは少し薬っぽい味に慣れなかったが
何度も飲むうちに美味いと思えるようになり
今では紹興酒無しでは落ち着かないほど。

旅に出ると必ず紹興酒を探し求め
ホテルの部屋に買い置きをするほどだった。

だがアルコール度数は17度ほどあり
飲みすぎてしまうので注意をしている。

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「南京旅情27」

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写真の秦淮河は南京城内を流れる河で
その向う岸には龍が作られていた。

また秦淮河の両岸には居酒屋が立ち並び
歌い女たちが、歌を歌っていた。

国王は国防には興味が無く、詩歌や芸術
そして酒と美しい女性を愛して止まない。

国王が酒や女に入浸りとなれば国は乱れ
終には軍隊が攻め込んで来て国は滅亡した。

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痛ましい由来を歌にしたものが沢山ある。
だが歌い女たちはそんな由来なんて
詳しくは知らなくとも楽しく歌う。

南京は歴史上11回に渡り都となった。
古くから秦淮河あたりは優れた文人が
集まり商家が立ち並ぶ地となっていた。

今でも酒楼や茶屋が多くひしめき合い
女性遊びも華やかに行われている。

中国の法律では買春は違反であり
テレビカメラも入って摘発されているが
それでも後を絶たずイタチごっこである。

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「南京旅情28」

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天下一という言葉は南京に限らず、
中国の何処へ行っても見る。

また日本でも多く見られた言葉だ。

夫子廟から車で5分ほどの所に
秦淮風味の食事を味わうことができる。

肉料理と精進料理や好みにより
色々な料理が用意してある。

夫子廟の軽食は軽食宴や軽食会席まで
中華料理の中で軽食づくしである。

五味卵やシャオビンや雨花石団子など
秦淮八絶軽食はもう南京軽食の代表で
食事していて影絵芝居などが見られる。

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メニューには桃花、揚州前菜四種と
海老の黒酢炒め、秦淮春大菜
フカヒレスープ 豚バラ肉の醤油煮
その他8品目で450元(6300円)

桜花は揚州前菜五種 クラゲとウドの
和え物や鶏レバーの香辛料煮
大正海老と唐辛子入り強火炒め
その他10品目で600元(8400円)

瓊花(けいか)となると揚州前菜六種
海の幸の唐辛子入り特製沙茶醤炒め
金陵ダックやアワビと新筍のスープ煮
その他12品目で750元(10500円)

この料金は2人分であり一人では
とても食べ切れるものではない。

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「南京旅情29」

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秦淮河は揚子江右支流で南京では
長江を除くと最大の川である。

全長は100キロ余りの長さがある。

秦淮河には南北二つの源流がある。
北の源流は句容河で南は?水河である。

南北の二つの源流が合流し方山を過ぎて
北西へ向けて流れ南京城内へ入る。

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南京城の通済門外の九龍橋で秦淮河は
内秦淮河と外秦淮河に分流している。

写真の古秦淮は、秦淮河沿いに
造られた町並み通りである。

南京の夫子廟から近い事もあり
大勢の観光客で賑わいをみせている。

古秦淮の通りには老舗が多く入っており
古い客層も多いが、それとは逆に
新しいファッションショップや
ファーストフードの店も増えてきた。

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「南京旅情30」

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古秦淮を秦淮河沿いに歩いた後、
秦淮河の畔の瞻園路に足を運んだ。

明の初期に造られた瞻園へ入った。
瞻園は南京に現存する最も古い庭園で
朱元璋が功臣のために造った。

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清朝に乾隆帝が南方を視察したおり
庭園に泊まり瞻園と親筆した。
後に藩台役所内の花園となった。

瞻園は昔から築山でよく知られており
築山がその半分近くを占めている。

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回廊も特色があり、南北に曲がり
門を入ると仙人峰の石峰が目に入る。

宋の時代花石綱の遺物といわれたが
瞻園は何度も破壊されたが修復された。

瞻園は山水が美しく独特の特色をもち
南京の有名な古典庭園の一つであり
日本の盆栽にも似たものも沢山ある。

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