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Dog Photography and Essay

江蘇省--南京旅情3


 
「南京旅情31」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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瞻園の中に入ると緑の多さに
冬でありながら快ささえ感じる。

塀の丸い出入口から庭園の緑を
撮影したが思うようには撮れていない。

瞻園は総統府の中にある煦園と
同じく賞される庭園である。

総統府の煦園より瞻園の方が
大きい庭園でもあり、
金陵第一園といわれる。

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明朝のはじめからあった庭園であり
太平天国の乱のときには瞻園に
太平天国の乱の指導者の洪秀全が住んだ。

始めは私も分からなかったが
庭園に隣接して太平天国歴史博物館が
あるので運転手より説明を受け納得した。 

観光客が少なかったが
人気がないのではなく冬でもあり
シーズンオフで人出が少なかった。

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「南京旅情32」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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南京の瞻園は600年以上の歴史がある。
明建国の第一の功臣徐達の府邸である。

徐達は明の将軍で娘は永楽帝の皇后で
朱元璋の旗揚げ時から協力し元を追って
新王朝を立てるのに大きな功を挙げた。

朱元璋と行動を共にして紅巾軍に参加し
朱元璋が王になると徐達も
大将軍に任命された。

徐達は軍人としての才能に優れ
江南の平定がなり明が建国された。

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徐達はその後も元との戦いに活躍するが、
功績を立て過ぎたことにより朱元璋に
疎まれるようになっていた。

徐達は軍内において人望は高かった。
その有能さと名望を王の朱元璋に
恐れられ毒殺されたようである。

朱元璋時代の明の都は南京にあり
その後北京に遷都するが徐達の邸宅は
瞻園と太平天国歴史博物館」として
現存し受け継がれている。

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「南京旅情33」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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上海などの庭園と南京の庭園は
ほとんど造り方が似ており瞻園でも
同じような造り方であった。

人工池が造ってあり、その回りに
回廊が造られている庭園である。

蘇州の庭園で築山が多く造られているが
瞻園でも築山が半分近くを占めている。

日本の庭園と中国の庭園造りと
どちらが良いかとの質問を運転手が
私に投げかけて来た。

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私自身日本での庭園は、あまり
見たことがなかったと思い。

日本での庭園の写真を思い浮かべたが、
運転手に日本と中国の庭園にはそれぞれ
良い所があるから一概に日本が良いとか
中国が良いなど言えないと答えておいた。

確かに日本の庭園の方が手入れが
行き届いており日本人である私には
日本庭園の方が心和むと思うが
何とも言えないところである。

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「南京旅情34」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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日本での庭園造りは奈良・平安時代で
自然は大自然の中で獣たちがはびこり
人々の生活に危険を及ぼすものだった。

日本では自然美を見ようとしはじめ
仏教の流布により仏像と寺の意識の中で
庭園の思想が生まれて行った。

中国では日本以前に仏教が流布したが
庭園の意識は日本より劣っていた。

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日本が鎌倉や室町時代には寺院が多く
建立される時期に入り庭園造りは
今まで以上に盛んに造られた。

中国では宋時代や元時代であり
仏教寺院や石仏が多く造られたが
庭園の充実までには至っていない。

日本が江戸時代に入り戦国の世も終焉を
迎え庭園造りに拍車が掛かった頃
中国では明や清朝に入っており
本格的な庭園造りの到来となる。

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「南京旅情35」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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南京市内にある瞻園の中での撮影も
終盤に近づきだした所でやっと
瞻園の文字が入った門を撮った。

二人の女性は瞻園の中で友達に
なったものの毎回シャッターを
押して下さいと便利に使われていた。

瞻園へは夫子廟から歩いて来れるが
急ぎ足で20分程掛かってしまう。

夜は彼女たちと食事に出掛けたがバッグを
持った方の女性が飲みすぎてしまった。

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ホテルまで送って行く事になり後悔した。

勿論、もう一人の彼女と一緒に
部屋へ入ったので問題はなかった。

私の後悔とは帽子を被った方の彼女が
ホテルが違うのでタクシーで送り
飲みなおそうとバーに行った。

そこでの勘定が1700元(23800円)と
予定していなかったお金が掛かった。

あまり羽を伸ばし過ぎると熱いお灸を
すえられてしまったという話しだ。

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「南京旅情36」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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瞻園の庭園造りは人工池の周りに
回廊を造ってある庭園であり
蘇州や杭州、上海などで見かける。

幅が一間(1.8m)のものを単廊と呼び
幅が二間(3.6m)のものを複廊と呼ぶ。

日本での回廊も中国での回廊なども
複廊であり中央から両側に
回廊が設けられている。

回廊の柱の色が朱色で塗られているが
日本では神社に多く朱色が使われ
鳥居など見事な朱色だと思うほど。

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中国では回廊の柱はほとんどが
朱色である。日本の厳島神社の
朱色の柱は目に鮮やかだが、中国の
朱色はエンジ色が強い。

朱色は硫化水銀を漆に混入し赤い色の
塗料になり、防腐や防水など木材の
腐食を防ぐ目的として塗られている。

私が絵を描く時に赤を主体にして
描くことが多いが赤色が放つ生命力の
力強さや神秘性をも赤色から感じている。

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「南京旅情37」

「中国写真ライフ」では、
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書画は書作品と絵画作品の総称で
書と絵画という意味ではある。

書と絵画が一体化した芸術である。
東洋において書と絵画は一つの
フレームに表現される事が多い。

絵画の作者自らが賛を作品に
書き入れる事を自画自賛と言う。

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馮智教授は南京美術家協会の会員で
江蘇省花鳥画研究会の副事務総長を
担当し役所の特別招聘の絵師である。

馮智教授の作品は中国全国で何度も
受賞し江蘇テレビ局で特別報道番組を
持った事もあり香港東方書画芸術院の
画集に入っている。

今回弟子たちの作品を瞻園の中で
展覧していたので撮影した。

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「南京旅情38」

「中国写真ライフ」では、
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瞻園の中にある太平天国歴史博物館へ
入って来たが太平天国の乱は中国の
清代に起きた大規模な宗教反乱である。

ブロンズ像の洪秀全は科挙の初期試験に
失敗し1ヵ月半ほど病床に臥したが
老人から破邪の剣を与えられる夢を見る。

勧世良言のパンフレットを手にし
夢の意味を理解しキリスト教に目覚める。

洪秀全はキリスト教の教えの中で特に
上帝が唯一神であることを強く意識し
偶像破壊を熱心に行った。

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中国では儒教・道教・仏教の廟が多く
破壊し上帝だけを崇める事を求めたが
だがその革命は成功はしなかった。

洪秀全は効果的な布教方法を模索し
行き着いたのが布教文書を著した。

各地で反発が強く内乱を引き起こした。
太平天国の乱で2000万人の戦死者を出す。

旧日本軍兵士の大戦戦死者が300万人で
その事から考えると犠牲者数が多い。

ちなみに文化大革命では3000万人の
犠牲者が出たが文革は中国全土である。

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「南京旅情39」

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瞻園と太平天国歴史博物館を巡ったあと
白鷺州公園の中に入って行った。

公園沿いを流れる河沿いに明代や
清時代の建造物が建てられていた。

河の中ほどにある台座の上には
当時の煌びやかな衣装を着た人形が
飾ってあり幻想的な雰囲気がした。

他の人達は河巡りのため20分程遊覧を
楽しんだが私は歩いて公園内を散策した。

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七重の白壁の塔が見えて来たので
撮影したが全体の姿は近くでは
入りきらないので広角に替え撮影した。

この塔は白鷺塔と名づけられており
塔の前に日本語の説明立看板があった。

説明には1431年明代に大報恩寺を
建設する残りの材料を利用して
旧院と東園の間で回光寺を建てた。
また塔を建立し白塔と名づけたとある。

白鷺塔の前の道を少し行くと
鷲峰禅寺という寺の入口に出た。

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「南京旅情40」

「中国写真ライフ」では、
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白鷺州公園の中に建立された明代や
清代の由緒ある鷲峰禅寺の中へ入った。

鷲峰禅寺の名前の由来は唐代に南京の地を
訪れた名僧・鷲峰の名前が由来である。

鷲峰禅寺がある白鷺州公園の歴史は古く
380年ごろ東晋時代の東府城の頃の事。

鷲峰禅寺は明代の天順年間に放生池の
傍らに建立され、その後規模を拡大した。

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鷲峰寺は中国の文化遺産保護制度の一つで
国務院が制定した文化遺産保護制度の中で
国家級の文化遺産に対して制定されている。

由緒ある寺という事もあり撮影禁止との事。
私一人で行動していたので素早く撮影した。

前頁の寺の門の写真で左右に獅子像があり
禅寺の壁は黄色で塗られ統一されている。

本殿の前の何段もの高炉を撮影した。
古くは瑠璃瓦と呼ばれていた釉薬瓦が
高炉の色と溶け合っていてホッとする。
 
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「南京旅情41」

「中国写真ライフ」では、
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鷲峰禅寺の本堂は撮影禁止との事。
他のガイドが撮影を制止していた。

私は本堂の外から望遠で撮影した。
だが手ブレを起こしてしまうので
レンズを入れ替え中で素早く撮影した。

本堂には三尊形式の仏像が安置されていた。
左に観世音菩薩、中央が釈迦如来が安置
右側は弥勒菩薩が安置されている。

過去世・現在世・未来世から見ると
釈迦如来は過去の仏で観世音菩薩は
現在の仏、弥勒菩薩を未来の仏である。

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釈迦はインド菩提樹の下で悟りを開き
弟子たちにお教により説法を続けた。

始めは簡単な教えの小乗仏教から入り
弟子たちが分かって来たところで
大乗仏教へと教え導いた。

だが弟子たちの悟りのとらえ方が
皆それぞれ違ってしまった。

現在でも仏教は多枝に分かれ統一など
全く出来ないが、弥勒菩薩の誕生は
未来の仏として説きあらわしている。

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「南京旅情42」

「中国写真ライフ」では、
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中国禅寺本堂の中の造りは
北方地方でも南方地方でも
全く同じ造りになっている。

だが釈迦牟尼世尊像の表情や
観世音菩薩の表情などは
それぞれ違っている。

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写真は観世音菩薩の姿である。
観世音菩薩は釈迦如来像の
裏側に安置されている。

龍の子供の背中の上に乗り
多くの僧侶を従えている。

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素晴らしい魅了される彫り物は
鮮やかな色で塗装されおり
多くの人達が手を合わせて
祈りを捧げている。

別の観音菩薩像や高僧の像には
マントが着せられていた。

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「南京旅情43」

「中国写真ライフ」では、
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南京鷲峰禅寺の本殿から
四天王殿へ入ったが木材を
上手に彫り繋ぎ合わせて
四天王の姿に出来ていた。

彫刻職人の手により彫られた
各パーツがボルトで
止めてあるのが分かった。

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原色の塗料が四天王の体や衣服に
塗られた鮮やかな姿もよいが
木目の浮き出た四天王の姿にも
また新鮮な印象を持った。

日本でも中国でも四大天王の名前は
同じであり広目天・多聞天
持国天・増長天の四天王である。

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欲界の六欲天の中の諸天で天に住み
仏教における4人の守護神。

四枚の写真で広目天は特殊な力を
持った眼と四方を守る広目。

多聞天は単独では毘沙門天と呼ばれ
持国天は東方を護る守護神である。
増長天は宝剣を持っている。

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 江蘇省---南京旅情44
「南京旅情44」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省「南京市内」の写真を公開しています。

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上の写真は南京の鷲峰禅寺の傍の
金網のフェンスが少し破けており
その穴から川へ行き撮影した。

冬でもあり少ない観光客であったが
それでも中国語が時折聞こえてくる。

時には笑い声が聞こえる中で川岸の
静かなたたずまいの雰囲気を撮影。
雰囲気は伝わるだろうか・・。
 
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午後3時過ぎほどに中山陵へ向かった。
中山陵は中華民国の父の孫文の陵墓で
1929年に完成し墓の規模は大きい。

孫文は中国では孫中山と呼ばれている。
封建制度を打開し民主国家建設への
扉を開いた人物の墓に相応しい。

歴代の皇帝の陵墓が並ぶ中であるが
中山陵は歴代皇帝の陵墓に劣らない。

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「南京旅情45」

「中国写真ライフ」では、
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中山陵の入口の脇でチケットを購入
中国人の大学生と二人で中へ入った。

私は中山陵へは今回で3度目になる。
始め来た時に中山陵の石段が
何段あるのか数えながら上がった。

途中で何段目なのか数を読み違え
340段ほどかと思っていたが
392段あるとの事がわかった。

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2回目に中山陵を訪れた折に
再度、石段の数を数えてみた。

だが、350段ほどしかなかったので、
また数え違いをしてしまった位にしか
思わなかったが、今回学生にも
伝え数えてもらうことにした。

孫文の陵墓を造った折、中国の人口が
3億9千2百万人で392段とした事を
告げた後、石段の数を確認して行った。

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