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Dog Photography and Essay

「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-5


「みんな涙を流して感動してたよ」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



十日の日の今日は、わたしの所で舞の予行演習のようなことをする。
舞の師匠の多好茂(おおのよしもち)が、女房からたくさんの褒美をもらう。

男の人たちも、そこにいる者はじぶんの衣を脱いで多好茂に与える。
殿は物忌で来られませんと言って、召使いたちが残らずやって来た。



今日の行事も終わりに近づいた夕暮れに、好茂が胡蝶楽(こちょうらく)を、
舞って出て来たが、それに黄色の単衣(ひとえ)を脱いで与えた人がいる。

胡蝶楽に使う造花の山吹と単衣の色があって、ふさわしい褒美という気がする。
胡蝶は蝶をモチーフにした舞楽で胡蝶の舞(こちょうのまい)とも呼ばれる。



また十二日に、後手組の人たちを全員集めて舞の練習をさせる。
ここには弓場がないから都合が悪いだろうということで、
あの人の邸で大騒ぎする。

殿上人が大勢集まったから、好茂は褒美の品に埋まってしまったと聞く。
わたしは、あの子はどうだろう、大丈夫だろうかと不安だったが、
夜が更けてから、大勢の人に送られて帰って来た。



それからしばらくして、あの人は、侍女たちが変だと思うのもかまわず、
わたしの所に入って来て、この子がとてもかわいらしく立派に、
舞ったことを話したくてやって来た。みんな涙を流して感動してたよ。

明日と明後日は、わたしのほうは物忌、その間がとても心配だ。
十五日の日は、朝早く来て、いろいろと世話をするよなどと言って、
帰って行かれたので、いつもは不満なわたしの気持ちも、
しみじみとこの上なく嬉しく思われた。


「みんな涙を流して感動してたよ」



十日の日の今日は、わたしの所で舞の予行演習のようなことをする。
舞の師匠の多好茂(おおのよしもち)が、女房からたくさんの褒美をもらう。

男の人たちも、そこにいる者はじぶんの衣を脱いで多好茂に与える。
殿は物忌で来られませんと言って、召使いたちが残らずやって来た。



今日の行事も終わりに近づいた夕暮れに、好茂が胡蝶楽(こちょうらく)を、
舞って出て来たが、それに黄色の単衣(ひとえ)を脱いで与えた人がいる。

胡蝶楽に使う造花の山吹と単衣の色があって、ふさわしい褒美という気がする。
胡蝶は蝶をモチーフにした舞楽で胡蝶の舞(こちょうのまい)とも呼ばれる。



また十二日に、後手組の人たちを全員集めて舞の練習をさせる。
ここには弓場がないから都合が悪いだろうということで、
あの人の邸で大騒ぎする。

殿上人が大勢集まったから、好茂は褒美の品に埋まってしまったと聞く。
わたしは、あの子はどうだろう、大丈夫だろうかと不安だったが、
夜が更けてから、大勢の人に送られて帰って来た。



それからしばらくして、あの人は、侍女たちが変だと思うのもかまわず、
わたしの所に入って来て、この子がとてもかわいらしく立派に、
舞ったことを話したくてやって来た。みんな涙を流して感動してたよ。

明日と明後日は、わたしのほうは物忌、その間がとても心配だ。
十五日の日は、朝早く来て、いろいろと世話をするよなどと言って、
帰って行かれたので、いつもは不満なわたしの気持ちも、
しみじみとこの上なく嬉しく思われた。


「夜だから人目につかないと」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



わが子が舞って、好評を博したためか、帝から御衣(おんぞ)を賜った。
宮中から舞姿のまま陵王を舞った甥も車に乗せて退出した。

あの人はあったことを一部始終話して、じぶんの面目がたったこと、
上達部たちがみな泣いて可愛いと言ったことを、何度も泣きながら話す。



弓の師匠を呼びにやり、来ると、またここでいろいろと褒美を与えるので、
わたしは辛い身の上も忘れて、その嬉しさといったら、比べるものが、
ないほどであるが、その夜はもちろん、その後の二、三日まで、

知人という知人はすべて、僧侶にいたるまで、若君のご活躍のお喜びを、
申し上げに、お祝いを申し上げにと使者を寄こしたりする。



その者が言いに来たりするのを聞くと、不思議なほど嬉しくてならない。
こうして四月になった。その十日から、またしても、五月十日頃まで、

どうも妙に気分がすぐれないとのことで、いつものようには来てくれないで、
七、八日に一度くらいの訪れで、体が辛いのを我慢して来た。



気になり来てみたなどと言ったり、夜だから人目につかないと思って来た。
こう苦しくては、どうしようもない。宮中へも行っていないので、

このように出歩いているのを人に見られたら具合が悪いと言って、
帰ったりしたあの人は、病気が治ったと聞いたのに、
いくら待っても来てくれそうな気配がない。おかしいと思う。


「すっかりあきれてしまった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



一人密かに今夜来てくれるかどうか様子をと思っているうちに、
ついには手紙も来なくなり長い日数が経った。

めったにないことで、おかしいと思うが、うわべは平気なふりを、
続けていたけれど、夜は外を通る車の音に、もしかしてあの人ではと、
胸をどきどきさせながら、それでも時々は寝てしまい夜が明けていた。



今まで以上に情けない気がするし、幼い人があの人の所へ行くたびに、
様子を聞いてみるが、これといって特別に変わったこともないらしい。

わたしのことを、どうしているとさえ、尋ねることもないそうだ。
あの人がそうなのだから、なおさらわたしのほうから、どうして、
来てくださらないの、などと言ったりすることがどうしてできようか。



などと思いながら、日を過ごして、ある朝、格子などを上げる時に、
外を眺めると、夜に雨が降ったらしく、木々に露がかかっている。
見るとすぐに和歌が思い浮かんだ。

よのうちは まつにも露は かかりけり 明くれば消ゆる ものをこそ思へ

夜の間はあの人を待って、涙にくれて過ごしているが、
夜が明けるといっそう虚しさに消えてしまうほどの物思いに沈む。



こうして日を過ごしているうちに、その月の末頃に、小野の宮の左大臣の、
藤原実頼さまがお亡くなりになったということで、世間は騒いでいる。

長い間便りもなかったのに、世間がひどく騒がしいから、謹慎していて、
訪ねて行くことができない。喪中になったので、これらを早く仕立ててと、
言ってくるなんて、すっかりあきれてしまった。


「妙にいたたまれないので」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



この頃、裁縫をする人たちが里に下がっていてと言って返した。
これでなおさら機嫌を損ねたらしく、伝言さえまったくない。

そのまま六月になった。訪れがないのを数えてみると、夜見てから、
三十日あまり、昼見てから四十日あまりが経ってしまった。



あまりに急な変わりようで変だと言うのもばかげている。
思うようにいかない夫婦仲とはいえ、まだこれほどの目にあったことが、
なかったので、まわりの人たちも、変だ、めったにないことと思っている。



わたしは茫然として物思いに沈むばかり。
人に見られるのもひどく恥ずかしい気がして、落ちる涙をこらえながら、
横になっていると、鶯が季節はずれに鳴くのが聞こえるので、思ったことは、

うぐいすも ごもなきものや 思ふらむ みなつきはてぬ 音をぞなくなる

うぐいすもわたしのようにいつまでも物思いに沈んでいるのかしら、
六月になっても果てることなく鳴いているなんて。



こんな状態のまま二十日あまりも経ったわたしの気持ちは、
どうしてよいかわからず、妙にいたたまれないので、涼しい所へ気晴らしに、
行って、浜辺のあたりでお祓いもしたいと思って、唐崎へと出かける。
寅の時(午前四時前後二時間)ごろに出発したので、月がとても明るい。


「景色の素晴らしさに泣いている」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



わたしと同じような悩みのある人、侍女は一人だけ連れて行くので、
その三人が同じ車に乗り、馬に乗った従者たちが七、八人ほどいる。

賀茂川のあたりで、ほのぼのと夜が明ける。
そこを過ぎると、山道になって、京とは違う景色を見ると、
この頃暗鬱な気分になっているせいか、しみじみと心打たれる。



まして逢坂の関に着いて、しばらく車を止めて、
牛に飼料を与えたりしていると、荷車を何台も連ねて、見たこともない、

木を伐り出して、ほの暗い木立の中から出て来るのを見ると、
気分が打って変わったように感じられてとてもおもしろい。



逢坂の関の山道に、しみじみと感動しながら、行先を見ると、
湖がはてしなく見渡され、鳥が二羽、三羽浮かんでいると見える。

よく考えてみると、釣船なのだろう。
ここのところで、とうとう涙をこらえきれなくなった。



救いようがなく景色など見ている余裕のないわたしでさえこんなに、
感動するのだから、一緒にいる人は景色の素晴らしさに泣いている様子。

お互いにきまりが悪いほどに思われるので、目も合わすことができない。
行き先はまだ遠いが、車は大津の酷くむさ苦しい家並の中に入って行った。


「風が出てきて波が高くなる」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



大津の家並の中も珍しいと感じながら通り過ぎると、広々とした浜辺に出た。
通り過ぎてきた方を見ると、湖畔に並んで立っている家々の前に、
何艘もの舟が岸に並べて寄せてあるのが、とてもおもしろい。
湖の上を漕いで行き来する舟もある。



車を進めて行くうちに、巳の時(午前十時前後二時間)の終わりごろになり、
しばらく馬を休ませるというので、清水という所に、遠くからも、
あれがそうだと見えるほど大きな楝の木(栴檀センダンの古名)が、
一本立っている木陰に、車の轅を下ろして、馬を浜辺に引いて行った。



冷やしたりなどして、唐崎はまだずいぶん遠いようなので、ここで、
弁当が届くのを待ちましょうと言っていると、わが子一人だけが、
疲れた顔で物に寄りかかっているので、餌袋の中の物を取り出してあげ、
食べたりしている時に、弁当を持って来た。



あれこれ分配したりしていたが、従者たちの数人はここから京へ帰って、
清水に着きましたと留守宅に報告するように、京に行かせた。

車に牛をつけて出発し、唐崎に到着し、車の向きを変えて、
お祓いをしに行きながら見ると、風が出てきて波が高くなる。


「忘れがたい風景をしみじみと見ながら」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



行き来する舟が何艘も、帆を引き上げながら進んで行く。
浜辺に土地の男たちが集まって座っているので、歌をお聞かせしてと、

すると、なんとも言えない、しゃがれた声を張り上げて、歌いながら行く。
お祓いの時間に遅れそうになりながら、とても狭い崎に着いた。



下手(しもて)の方は水際に車を止めている。網を下ろすと、
波が打ち寄せては引き、車の後ろに乗っている人たちは、落ちそうなほど、
身を乗り出して覗き込み、姿もまる見えに、世にも珍しい魚や貝を、
取り上げて騒いでいるようだ。



浜辺にいた若い男たちも、少し離れた所に並んで座り、ささなみや、
志賀の唐崎(ささなみや志賀の唐崎や御稲〈みしね〉つく女のよささや

それもかな かれもがな いとこせに まいとこせにせむや ささなみや 
志賀の唐崎や 神に供える稲をつく 女はよいよ その女もほしい 
あの女もほしい わたしを愛しい夫に ほんとうに愛しい夫にしてくれ



神楽歌のささなみを例のしゃがれ声を張り上げて歌っているのも、
とてもおもしろく聞こえた。風は激しく吹いているが、
木陰がないのでとても暑い。早く清水に行きたいと思う。  

忘れがたい風景をしみじみと見ながら通り過ぎて、逢坂山の麓に、
さしかかると、申の時(午後五時頃)の終わりごろになっていた。


「手足を水に浸すと辛い思いなど消え」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



ひぐらしが今を盛りとあたり一面で鳴いている。
それを聞いていると、こんなふうに思った。

なきかへる 声ぞきほひて 聞こゆなる 待ちやしつらむ 関のひぐらし

盛んに鳴いている声は競っているように聞こえるけれど、
泣いて帰るわたしを待っていたのだろうか、関のひぐらしはとつぶやいた。



つぶやいただけで、まわりの人には言わなかった。  
走り井の湧き水には、従者たちの中で馬を早めて先に行った人たちもいた。

わたしたちが到着すると、先に行った人たちは、十分に休み涼んだので、
気持ちよさそうに、わたしたちの車の轅を下ろす所に寄って来たので、
同じ車に乗っている人が、うらやまし、駒の足とく、走り井のと言った。



うらやましい、馬の足が早くて、その名のとおり走り井で休んでいると、
言ったので、わたしが、清水にかげは、よどむものかな

清水に影がとどまらないように、足の早い馬なら清水でゆっくり、
休むひまはないのですから うらやましくはない。

 

清水の近くに車を寄せて、道から奥のほうに幕などを引き下ろして、
皆車から降りて、手足を水に浸すと、つらい思いなど消えてしまう。

晴れ晴れするように思われると、石などに寄りかかって、
水を流した雨樋(とい)の上に角盆などを置いて、食事をし自分の手で、
水ままなどを作って食べる気持ちは、ほんとうに帰るのが嫌になるほどだ。


「涙はもう残ってないと思いました」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



もう日が暮れますなどと急き立てる。 こんな清々しい所では、
誰もが悩みなんて忘れてしまうだろうと思うが、日が暮れるので、
仕方なく出発して、さらに進んで行くと、粟田山という所で、
京から松明を持って迎えの人が来ていた。



今日の昼、殿がいらっしゃいましたと言うのを聞く。
本当におかしなこと、わたしがいないのをわかっていて来たと、
疑いたくなるが、それでどうしたなどと、供の者たちが、
聞いているようで、私はただもう飽きれるばかりで家に帰り着いた。



車から降りると、気分がどうしようもなく苦しいのに、家に残っていた,
侍女たちが、殿がいらっしゃって、お尋ねになるので、ありのままに,
お答えしましたところ、どうしてそんな気をおこしたのだと言ったそう。

悪い時に来たなとおっしゃいましたと聞くと、夢のような気持ちがする。  
次の日は、疲れた一日を過ごし、翌日は幼い子が、あの人の邸へ出かける。



あの人のする不思議でならないことを、問いただしてみようかしらと、
思っても、気が進まないけれど、先日の浜辺のことを思い出すと、
その気持を抑えることもできなくなって、

うき世をば かばかりみつの 浜辺にて 涙になごり ありやとぞ見し

夫婦の辛さをこれほど思い知らされ、涙を流してきたわたしですが、
御津の浜辺では泣き尽くし、涙はもう残ってないと思いましたと書いた。


「夫の来ないわたしと同じよう」

「Dog photography and Essay」では、
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涙はもう残ってないと書いたこれをあの人がごらんにならないうちに、
そっと置いて、すぐにもどってきなさいと教えたので、
その通りにしましたと言って帰って来た。

もしかして返事があるかしらと密かに待った。



だが、何の返事もなく、月末頃になった。

先日、することもなく、庭の草の手入れなどをさせた時に、
稲の若い苗がたくさん生えていたのを取り集めさせて、
家の軒下のあたりに植えさせたところ、とてもよく実った。



水を引き入れたりさせたけれど、今では黄色くなった葉が、
しおれているのを見ると、とても悲しくなってきて歌を詠む。

いなづまの 光だに来ぬ 屋がくれは 軒端の苗も もの思ふらし

稲妻の光さえ届かない家の陰では、軒端の苗も物思いに、
沈んでいるようで、それは、夫の来ないわたしと同じようにと詠んだ。



貞観殿(じょうがんでん)登子さまは、一昨年、尚侍(ないしのかみ)に、
なられた。どうしてなのか、こんなになっているわたしのことを、
お尋ねくださらないのは、悪くなるはずがないご兄妹の仲が、
気まずくなったので、わたしまで嫌に思っていらっしゃるのだろうか。


「知らないふりをして我慢していた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



私たち夫婦がこんなにひどくなっているのもご存じなくてと思って、
お手紙をさし上げるついでに歌を書いた。

ささがにの いまはとかぎる すぢにても かくてはしばし 絶えじとぞ思ふ
蜘蛛の糸が切れるように、これで最後とあの人が離れて行っても、
あなたとの交際は、少しの間も絶えないようにと思っていますと申し上げた。



お返事は、いろいろとしみじみと身に沁みることをたくさん書かれて、

絶えきとも 聞くぞ悲しき としつきを いかにかきこし くもならなくに

あなたがたご夫婦の仲が絶えたと聞くのはとても悲しい、
長い年月、信頼して暮らしてこられたでしょうに。これを見ると、



知っていらっしゃったから、お尋ねにならなかったのだと思うと、
ますます悲しくなってきて、物思いに沈んで暮らしていると、
あの人から手紙がある。

手紙を出したのに、返事もなく、そっけなくばかりしているようだから、
遠慮されて、今日でも伺おうと思っているけれどなどと書いてあるようだ。



侍女たちが勧めるので、返事を書いているうちに、日が暮れた。
まだわたしの返事を持って行った使いはあちらへ着いていないだろうと、
思っていたら、あの人がやって来た。

侍女たちが、やはりなにかわけがあるのでしょう。知らないふりをして、
様子をごらんなさいなどと言うので、わたしはじっと我慢していた。


「どんな気持ちで暮らしていくのだろう」

「Dog photography and Essay」では、
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慎(つつし)むことばかり続いたので来られなかったのだが、
けっして行かないなどとは思ってはいない。

あなたが不機嫌ですねているのを、どうしてなのかと思っているなどと、
平然と、悪びれる様子もないので、不愉快でならない。



翌朝は、用事があるから今夜は来れないと言うが、すぐに明日か、
明後日には来るよなどと言うので、本気にはしないでいた。

こう言えば、わたしの機嫌が直るのではないかと思っているのだろう。
でも、もしかすると、これが最後になるかもしれないと思って、
様子を見ていると、だんだんとまたも日数が経っていく。



やっぱりそうだったのかと思うと、以前よりもいっそう悲しくなる。
じっと思い続けることといえば、やはりなんとかして思い通りに、
死んでしまいたいと思うよりほかになにもない。
だが、ただこの一人の息子のことを思うと、たまらなく悲しい。



一人前にして、安心できる妻と結婚させたりすれば、死ぬのも気が、
楽だろうと思っていたのに、このまま死んだら、どんな気持ちで、
暮らしていくのだろうと思うと、やはりとても死ぬことができない。


「尼になろうと子どもに打ち明ける」

「Dog photography and Essay」では、
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どうしよう。尼になって執着を断ち切れるかどうか試してみたいと話すと、
まだ子どもで深い事情などわからないけれど、ひどくしゃくりあげて、
激しく泣いて、尼になられたら、わたしも僧になります。



どうしてわたしだけが、世間の人々の中で暮らしていけるでしょうと言って、
激しく声をあげて泣くので、わたしも涙をこらえきれないけれど、
あまりの深刻さに、冗談に紛らわしてしまおうと、僧になったら、鷹が、
飼えなくなるけれど、どうなさるつもりなのと話した。



そっと立って走って行き、つないであった鷹をつかんで放してしまった。
見ている侍女も涙をこらえきれず、ましてわたしはいたたまれない思いで、
一日を過ごしたが、心で思ったことを歌にして詠んだ。



あらそへば 思ひにわぶる あまぐもに まづそる鷹ぞ 悲しかりける

夫との不和に悩んで、尼にでもなろうと子どもに打ち明けると、
子どもがまず鷹を放って、僧になる決心をするとは悲しくてならない。


「やはりどうもおかしい」

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子供が僧になると言い出すので悲しくてならないと思っていると、
日暮れ頃、あの人から手紙が来たと知らされたが、どうせ嘘だろうと、
思ったので、今は気分が悪くてと言って使いを帰した。



七月十日過ぎにもなり、世間の人が騒ぐにつれて、お盆のお供えは、
今まではあの人の政所(まんどころ)でしてくれたけれど、今年はもう、
しないのかしらと思い、亡くなった母上もさぞ悲しく思われることだろう。



しばらく様子を見て、何の連絡もなければ、お供え物も自分で用意しようと、
思い続けると、涙ばかりが流れるが、そんなふうに過ごしているうちに、
いつものようにお供え物を調えて、手紙をつけて送ってきた。



私からの返事は、亡き母のことはお忘れなさいませんでしたけれど、
それにつけましても、惜しからで悲しきものはという思い、
そのままでございましてと書いて使いに持たせて送りました。
ずっとこんな状態なので、やはりどうもおかしい。


「あちこちに物詣でなどなさいませ」

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新しい女に気が移ったなどとも聞かないが、あの人が急に来なくなった事を、
思っていると、事情に詳しい侍女が、亡くなられた小野の宮の左大臣さまの、
召人(めしうど 愛人)たちの誰かに思いを寄せていらっしゃるのでしょう。



その中でも近江という女は、ふしだらなことなどがあって、
色っぽい女のようですから、そんな相手に、殿はこちらに通っているのを、
知られないよう、前もって関係を断っておこうというのでしょうと言う。



聞いていた侍女が、いやいや、そうではなくても、あの人たちは、
気を使わなくてもいい人らしいから、そんな手のこんだことを、
わざわざしなくてもいいでしょうなどと言う。



もし近江という女でなければ、先帝(村上天皇)の皇女さまたちの中に、
いるでしょうと疑うが、いずれにしても、どうしても納得がいかない。
入り日を見るように沈んでばかりいらっしゃってはいけません。
あちこちに物詣でなどなさいませなどと言う。


「目立たないように歩いて行った」

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この頃は、他の事はなにも考えられないで、明けても暮れても嘆いていた。
侍女が物詣でなどと言うので、それなら、とても暑い頃だが出かけよう。
皆が言うように、嘆いてばかりいてもしかたがないと思い立った。



石山に十日ほどと決めたが、こっそりとと思ったので、妹のような、
身近な人にも知らせないで、わたし一人で決めて、夜が明け始める頃に、
走るように家を出て、賀茂川のあたりまで来たところで音に気付き、
どうやって聞きつけたのだろうか、後を追って来た人もいる。



有明の月はとても明るいけれど、出会う人もいない。
賀茂の河原には死人も転がっていると聞くが、怖くもない。
粟田山というあたりまで来ると、とても苦しいので、ひと休みすると、
なにがなんだかわからず、ただ涙ばかりがこぼれる。



人が来るかもしれないと、さりげなく涙を隠して、ただもう先を急ぐ。
山科で夜がすっかり明けると、姿がはっきりと見えるような気がするので、
どうしたらいいのかわからないように思われる。

供人は皆、後にしたり先に行かせたりして、目立たないように歩いて行った。


「その振る舞いの無礼な事といったら」

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通りで出会う人やわたしたちを見る人が不思議に思って、
ささやき合っているのが、つらくてやりきれない。  
やっとのことで通り過ぎて、走り井の清水が勢いよくわき出る泉で、
弁当を食べようというので、幕を引きめぐらしていた。



あれこれしていると、大声で前方の通行人を先払いする一行がやって来る。
どうしよう、誰だろう、供同士が知り合いだったら困ると思っていると、
馬に乗った者を大勢連れて、牛車を二、三台連ねて、騒がしくやって来る。



若狭守(わかさのかみ)の牛車でしたと供人が言う。
立ち止まりもしないで通り過ぎたので、ほっとして思う。
京では明け暮れ、ぺこぺこしているくせに、京を出るとこんなに、
威張って行くようだと思うと、胸が張り裂けるほど嫌な思いがする。



下人たちで、牛車の前についている者も、そうでない者も、
わたしの幕近くに寄って来ては、水浴びをして騒ぐ。
その振る舞いの無礼なことといったら、何とも例えようがない。


「湯につかって身を清め御堂に上る」

「Dog photography and Essay」では、
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わたしの供人が、遠慮がちに、そこから離れてなどと言ったようだが、
いつも行き来する人の立ち寄る所とはご存じないのですかと。
そんなふうに非難なさるとはなどと言っているのを見ている気持ちは、
どうたとえて言えばいいのだろうかなどと思う。



若狭守の一行を先に行かせて、それからわたしたちが立って行き、
逢坂の関を越えて、打出(うちいで)の浜に死にそうなほど、
疲れてたどり着くと、先に行ったものたちが、
舟に菰(こも)で葺いた屋根をつけて待っていた。



なにがなんだかわからないまま、その舟に這うようにして乗ると、
はるばる遠くまで漕ぎ出して行くが、その時の気持ちといったら、
わびしくもあり苦しくもあり、無性に悲しくてならないのは、
ほかに比べようがないが、申の時(午後五時頃)石山寺の中に着いた。



斎屋(ゆや 斎戒沐浴のためにこもる建物)に敷物など敷いてあったので、
そこに行って座っていると、気分がどうしようもなく辛くなるので、
こんどは横になって、身をよじりながら泣いてしまう。
夜になって、湯などにつかって身を清め、御堂に上る。


「聞く側のわたしの気持ちのせいなのか」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



わたしの身の上を仏さまに申し上げる時も、涙にむせるばかりで、
なにも言えなくなってしまい、夜がすっかり更けてから、
外の方を眺めると、御堂は高い所にあって、下は谷のようである。



片側の崖には木々が生い茂り、とても暗く感じ、二十日の月が、
夜が更けてとても明るかったけれど、木々に遮られて月の光は行き渡らず、
光が漏れている木々のあちこちの隙間から登って来た道が遠くまで見える。
見下ろすと、ふもとにある泉は、まるで鏡のように見える。



高欄(欄干)に寄りかかり、しばらく見ていると、片側の崖の草の中で、
そよそよと音がして白っぽいものが、奇妙な声をたてるので、
あれはなんですかと尋ねると、鹿が鳴いているのですと言う。



どうして普通の声で鳴かないのだろうと思っていると、離れた谷の方から、
とても若々しい声で、遠くへ声を長く引いて鳴くのが聞こえる。
それを聞く気持ちは、虚しいというようなものではない。
聞く側のわたしの気持ちのせいなのか、せつないほど身にしみる。


「涙が枯れるほど泣き尽くしてしまう」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



一心に勤行をしているうちに、 気持ちがぼんやりふわふわして、
なにもしないでいると、はるかに見渡される山の向こうのあたりで、
山田を守る番人の獣などを追い払う声がして、みっともなく、
無風流に怒鳴っているのが聞こえる。



こんなふうに、色々と胸をしめつけられることがなんと多いことかと、
思うと、最後には茫然として座っているだけだった。

そして、後夜(ごや)夜半から朝までの勤行が終わったので、
御堂から下りたが、ひどく疲れているので、休憩所で過ごした。



夜が明けるままに外を見ると、寺の東の方ではのどかな風が吹き、
霧が一面に立ち込め、川の向こうはまるで絵に描いたように見える。

川のほとりには放し飼いの馬の群れが餌を探しまわっているのも、
遥かに見えるが、とてもしみじみとした風景である。



人目を気にして、かけがえなく大切に思う子どもも京に残してきたので、
家を出て来たこの機会に、死ぬ計画を立ててみたいと思うと、
まず子どものことが気にかかって、恋しくて悲しい。
涙が枯れてしまうほど泣き尽くしてしまった。


「夜明け前にうとうと眠ったところ」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



供の男たちの中には、ここからすぐ近いそうだ。
さあ、佐久奈谷(さくなだに)に見物に行こうとか、
谷の口から冥土に引きずり込まれてしまうと聞こえてくる。



危ないななどと話しているのを聞くと、自分から飛び込むのではなく、
思わず引きずり込まれてしまいたいと思ってしまう。  
このように悩んでばかりいるので、食事も進まない。



寺の裏にある池に、しぶきというものが生えていますと言うので、
取って持って来てと言うと、器に盛り合わせて持って来た。

しぶきとはタデ科の多年草で、地下茎や葉を食用にしたようで、
渋草(しぶくさ)とも言い一説には、ドクダミの古称とも言われる。



柚子(ゆず)を切って上にのせてあるのは、とても趣きがあると思った。  
そして夜になり、御堂でいろいろなことをお祈りして、泣き明かして、
夜明け前にうとうと眠ったところ、この寺の別当と思われる僧が、
銚子に水を入れて持って来て、わたしの右膝に注ぐという夢を見た。


「月影が綺麗に湖面に映っている」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



はっと目が覚めて、仏が見せてくださったのだろうと思うと、
なおさらのこと、心を動かされて悲しくてならない。
夜が明けたという声がするので、すぐに御堂から下りた。



まだとても暗いけれど、湖が一面に白く見渡され、
少人数の旅とはいえ、供人が二十人ばかりいるのに、わたしちが、
乗ろうとする舟が靴の片方くらいに小さく見えたのは、とても心細く不安だ。



仏に灯明(とうみょう)を奉る時に世話をしてくれた僧が見送りに出て、
岸に立っているのに、わたしたちの乗った舟がどんどん離れていくので、
その僧はひどく心細そうに立っているが、それを見ると、あの人は、
長く住み慣れた寺にとどまるのを悲しく思っているだろうと思う。



供の男たちが、また来年の七月に伺いますと叫ぶと、わかりましたと答え、
遠くなるにつれて僧の姿が影のように見えたのもとても悲しい。  
空を見ると、月はとても細く見え、月影が湖面に映っている。
風がさっと吹いて水面が波立つと、さらさらとざわめいた。


「千鳥が空高く舞い上がって飛び交う」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



若い男たちが、声細やかにて、面痩せにたるという歌を、
歌い出したのを聞いても、ぽろぽろと涙がこぼれる。
いかが崎、山吹の崎などという所をあちこち見ながら、葦の中を、
漕いで行くが、まだ物がはっきり見えないころだった。



遠くから、櫂(かい)を漕ぐ音がして、心細い声で歌って来る舟がある。
すれ違いざま、どこへ行くのですと尋ねると、石山へ人をお迎えにと答える。
その声もとてもしんみりと聞こえるが、迎えに来るように言っておいたのに、
なかなか来ないので、石山にあった舟でわたしたちは出てきてしまった。



そうとは知らないで迎えに行くところだったらしい。
舟を止めて、供の男たちの数人が迎えに来た舟に乗り移り、気ままに、
歌いながら行くが、瀬田の橋の下にさしかかった頃、ほのぼのと夜が明ける。



千鳥が空高く舞い上がって飛び交っており、しみじみと心に染みて、
悲しいことといったら、数えきれないほど多い。
行く時に舟に乗った浜辺に着くと、迎えの牛車を引いて来ていた。
京には巳の時ごろ(午前十時前後)に到着した。


「わが身を切り裂かれる気がする」

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侍女たちが集まって来て、どこか知らない遠い所へ行かれたのではと、
大騒ぎでしたなどと言うので、なんとでも言えばいいわと思う。
でも今はやはりそんなことできる身ではないのよなどと答えた。



宮中では相撲のある頃である。子どもが見物に行きたそうにしているので、
装束をつけさせて行かせる。まず殿(父上)の所へと行くと殿は牛車の後ろに、
乗せてくれたけれど、夕方には、こちらへお帰りになるはずの人に、
わたしを送るように頼んで、あちらの邸へ行かれたと聞いた。



呆れるばかりで、次の日も、あの人は昨日のように、子どもが参内しても、
後は世話もしないで、夜になる頃、蔵人所の雑役係のだれそれの所へ、
この子を送って行けと言って、先に帰ってしまい子どもは一人で帰って来た。
この子のことを、どのように心の中で思っているのだろう。



わたしたちの仲が険悪でなく普通なら、一緒に帰って来られたのにと、
がっかりした様子で入って来るのを見ると、幼心に思っていることだろう。
あの人のした事をどうしようもなく酷いと思うけれど、どうなるものでもない。
わが身を切り裂かれる気がする。こうして月がかわっていった。


「すべてがしきたり通りである」

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月がかわり、二日の夜になる頃、あの人が突然見えた。変だと、
思っていると、明日は物忌だから、門をしっかり閉めさせなさいなどと、
言い散らすから、すっかり呆れて、胸が煮え返るようなのに、あの人は、
侍女たちのところに寄って行ったり、引き寄せたりしている。



我慢しろ、我慢しろと口を耳に押しあてながら、わたしの口真似をして、
困らせているので、わたしは茫然と呆(ほう)けたようになって、
前に座っていたので、すっかり気がふさいだあわれな姿に見えた事だろう。



次の日もあの人が一日中言うことは、わたしの気持ちは変わらないのに、
貴女が悪くとってとばかり。ほんとうにどうしようもない。
五日は司召(つかさめし)で、あの人は大将に昇進するなど、
いっそう栄達して、とてもめでたいことである。



それから後はいくらか頻繁に姿を見せる。あの子を元服させておこう。
今度の大嘗会で叙爵(五位になること)をお願いするつもりだ。
十九日にと決めて、執り行うが、すべてが、しきたり通りである。
加冠の役には、源氏の大納言(源兼明)さまがいらっしゃった。


「頻繁に訪れてくるような気がする」

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儀式が終わって、あの人は方角が塞がっていたけれど、夜が更けたと、
いうので、ここに泊まったが、わたしは今度が最後になるかもしれないと、
思ってしまうが、九月、十月も同じような状態で過ごしたようだ。



世間では、大嘗会(だいじょうえ)の御禊(ごけい)と言って騒いでいる。
わたしも妹も、見物の席があるというので、行って見ると、あの人は、
帝(円融帝)の鳳輦(ほうれん 帝の御輿〈みこし〉)のすぐ近くにいて、
夫としては薄情だとは思うが、その立派な態度に目がくらむほどに感じる。



まわりの人々が、ああ、やはり人より優れていらっしゃる。
ああ、もっと見ていたいなどと言っているようである。
それを聞くと、いっそう悲しくてならない。



十一月になって、大嘗会ということで、あの人も忙しいはずなのに、
その最中としては、いくらか頻繁に訪れてくるような気がする。
叙爵のことで、あの人もわたしと同じように、幼くて不似合いだと、
思っている拝舞(はいぶ)の作法もよく練習するようにと言っている。


「胸がつぶれるほど呆れてしまう」

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子どもを、いろいろ世話をしてくれるので、ひどく慌ただしい気分である。
大嘗会が終わった日、夜が更けないうちにやって来て、行幸に最後まで、
お供しないのはいけないことだが、夜が更けてしまいそうだったから、
胸が苦しいと仮病を使って退出して来た。人は何と言っているだろう。



明日はこの子の着物を緋色の袍(ほう)に着替えさせて出かけようなどと、
言うので、少しばかり幸せだった昔に返ったようにような気がする。
翌朝、供の従者たちが来ないようだから、邸に戻って準備していた。
装束をつけて来なさいと言って出て行かれた。



子どもを連れて叙爵のお礼まわりなどするので、とてもしみじみと、
嬉しい気がするが、少しつつしむ事があるからといった状態である。
二十二日も、子どもが、あちらへ行きますと言うのを聞くと、ついででも、
あるから、もしかして来るのではと思っているうちに、夜が更けてゆく。



子どもがたった一人で帰って来るので、胸がつぶれるほど呆れてしまう。
夜が更けて父上はたった今あちらにお帰りになりましたなどと話すので、
あの人が昔と変わらない気持ちだったら、子どもだけ一人で帰すような、
薄情な事はしなかっただろうにと思うと悲しくてならない。


「胸がつぶれるほど呆れてしまう」

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子どもを、いろいろ世話をしてくれるので、ひどく慌ただしい気分である。
大嘗会が終わった日、夜が更けないうちにやって来て、行幸に最後まで、
お供しないのはいけないことだが、夜が更けてしまいそうだったから、
胸が苦しいと仮病を使って退出して来た。人は何と言っているだろう。



明日はこの子の着物を緋色の袍(ほう)に着替えさせて出かけようなどと、
言うので、少しばかり幸せだった昔に返ったようにような気がする。
翌朝、供の従者たちが来ないようだから、邸に戻って準備していた。
装束をつけて来なさいと言って出て行かれた。



子どもを連れて叙爵のお礼まわりなどするので、とてもしみじみと、
嬉しい気がするが、少しつつしむ事があるからといった状態である。
二十二日も、子どもが、あちらへ行きますと言うのを聞くと、ついででも、
あるから、もしかして来るのではと思っているうちに、夜が更けてゆく。



子どもがたった一人で帰って来るので、胸がつぶれるほど呆れてしまう。
夜が更けて父上はたった今あちらにお帰りになりましたなどと話すので、
あの人が昔と変わらない気持ちだったら、子どもだけ一人で帰すような、
薄情な事はしなかっただろうにと思うと悲しくてならない。


「いつも来てほしいという私の望み」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



それから後も、あの人からは連絡がなく、十二月のはじめになった。
七日頃の昼、あの人はちょっと顔を見せたが、顔を見せてくれても、
まともに話をすることもなく終わってしまっていた。



今は顔も合わせたくないような雰囲気に、ついたてを引き寄せて、
私が不機嫌にしているのを、あの人は見て、もう、日が暮れたよと言い、
宮中からお呼びがあったからと言って出て行ったままになり、
その後。訪れる事もなく、十七、八日になってしまった。



今日は、昼ごろから雨がたいそうひどく音を立てて、わびしく長々と、
降っていおり、こんな雨ではなおさら、もしかしたら来るのではと、
以前なら抱いていたが、今では、そのような期待さえも失せてしまった。



昔のことを思うと、必ずしもわたしへの愛情というのではなく、持って、
生まれたあの人の性質でしょうが、雨風も苦にしないで、いつも訪ねて、
くれたのに、今思うと、その昔だって心の安まる時が、なかったのだから、
いつも来てほしいというわたしの望みは身分不相応だったのかも知れない。


「この女流作家が現代に生まれていれば」

「Dog photography and Essay」では、
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雨風なんか苦にしないで来てくれると思っていたが、今はもう、
そんなことも期待できないと物思いに沈んで過ごす。
元日にも寄ってもらえず素通りされ落ち込んでしまっていた。



兼家がひと月あまり顔を見せなかったことに腹を立てているのだから、
顔を見せれば解決するだろうと考えるのは浅はかな考えなのかも。
ひと月顔を見せない兼家は自分を大切にしていないと不満なのかも。



長い時間会わなく、その長い時間、他の女性のことを考えていて、
自分を楽しませる事を考えていないと思うと、余計に辛く悲しいのだろう。
以前のように3日に一度会っているなら、ここまで落ち込む事もないのでは。

 

3日に一度会っていても、会っていない日に他の女性の事を思って、
わたしのことを思わない日々を過ごしていると思う事自体耐えられない。

紫式部に大きな影響を与えたとされる平安時代の女流作家の本音なのだろう。
もしこの女流作家が現代に生まれていれば、どう生きたのだろうかと思う。


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