紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像3
「紫式部の生涯 光源氏と藤原道長他の人物像3」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「光る君への人物像」の研鑽を公開してます。「光る君へ」の大河ドラマの事を楽天ブログのブロ友へ聞いたところ見ている人は数人だったのでNHK大河の視聴率が12%と頷ける。私は見ていて涙腺が緩み涙が零れる程であるが人其々だろう。「光る君へ」は、貴族文化が花開いた煌びやかな平安時代中期を舞台に、「世界最古の女性文学」と呼ばれる「源氏物語」を書き上げた「紫式部」の人生を描いた物語である。藤原道長(ふじわらのみちなが) 柄本祐(えもとたすく)は平安時代中期の政治家。藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の5男。「光る君へ」では道兼によくいじめられるシーンが出るがそんな一族のうちの対抗者をしりぞけ、右大臣・氏長者(うじのちょうじゃ)となり(995年)、左大臣をへて、1016年に摂政(天皇てんのうの代理)に昇進。翌年、これを子の頼通(よりみち)にゆずり、太政大臣となって表向きは引退したが、死ぬまで政治の実権をにぎっていた。政治中枢の宮中を権力下に置いて藤原家の全盛を築き、紫式部に源氏物語を書かせた人物。藤原道長の姉 藤原 詮子(ふじわらのあきこ) 吉田 羊(よしだ・よう) 円融天皇に入内(じゅだい)し、父の望みどおり皇子をもうける。その懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)を溺愛、成人しても常に寄り添い、次第に宮廷での勢力を増していく。(まひろ)紫式部は学問をつかさどる父・藤原為時のもとで並外れた文学の才を発揮し、想像力と好奇心を育む。のちに、まひろが書きつづる『源氏物語』は、道長のバックアップを受け、天皇や貴族の間で大ベストセラーとなった。