源氏物語〔21帖 乙女34〕
源氏物語〔21帖 乙女34〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語21帖 乙女 (おとめ) の研鑽」を公開してます。北西の区画には倉が並び、その境には唐竹が植えられ、松の木が多く配置されていたのは、冬に雪景色を楽しむためであった。初霜が降りるころには菊の垣根が美しく、柞原の明るさが目を引き、その他にも珍しい山の木々が移植されていた。秋の彼岸ごろ、源氏の一家は六条院へ移った。最初は皆を一斉に移そうと考えたが、あまりにも仰々しくなることを避け、中宮の移転は少し遅らせることにした。その代わりに、控えめで自己主張をしない花散里を、同じ日に東の院から移した。春の住居は今の季節にはそぐわなかったが、それでも全体として最も優れた景観を持つ場所だった。移転の行列は、車の数が十五、前駆には四位・五位の官人が多く、六位の者は特別な縁故のある者のみが加わっていた。源氏はあまり華美にすることを避けたが、もう一人の夫人の前駆も、それほど見劣りしないように整えた。長男の侍従はその夫人の子であったため、それがふさわしいと見なされた。女房たちの部屋も細かく区分され、部屋数も多く設けられ、新邸の造りの見事さが際立っていた。そして、五、六日が経ち、中宮が御所を退出して六条院へ移った。その儀式は華やかで、源氏を後ろ盾とする宮の幸運に加え、中宮自身の優雅さと高潔な人柄が人々の信頼を集め、見事な后としての風格を備えていた。六条院は四つの住居に分けられていたが、塀や廊下で繋がる部分もあり、一つの大きな景観を形成していた。九月には紅葉が色づき、中宮の前庭は美しさを増していた。ある夕暮れ、風が吹き始めた日、中宮は秋の花や紅葉を箱の蓋に入れ、紫の夫人に贈った。深紅の袙に紫苑色の厚織物を着て、赤朽葉色の汗袗を羽織ったやや大柄な童女が、それを廊の縁を通り、渡殿の反橋を越えて届けた。正式な場面では童女を使いに立てることはなかったが、その愛らしい姿がほかの使いよりも勝ると思われたのだろう。宮仕えに慣れた童女は、他の子どもとは違い、洗練された立ち居振る舞いを見せていた。手紙にはこう書かれていた。