源氏物語の紫式部日記80 恥ずかしくなるような詠みっぷりである
〔80〕世に知られている歌はすべて「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。(ハクモクレンはまだツボミ状態)世に知られている歌はすべて、ちょっとしたときの歌も、それこそこっちが恥ずかしくなるような詠みっぷりである。それに対し、上の句と下の句がつながらない「腰折れ歌」を詠んで、なんとも言いようがない気取ったことをしても、じぶんこそ優れた歌人だと得意がってる人なので、憎らしくも気の毒にも思われる。赤染衛門 道長家女房。大江匡衡の妻。歌人で三十六歌仙の一人。『栄花物語』正編の作者と伝えられる。赤染衛門集に六一四首の歌がのっているが、残念だがわたしの琴線に触れる秀歌感動や共鳴を与えるといえる歌はない。和泉式部の歌は難解だが心に迫るものを感じるのだが・・・。赤染の歌を読んでいくうちに気づいたのは、赤染の歌には代作が多いから、歌が真に迫らないのではないかということである。光る君では、姫君たちに学問を指南する凰稀かなめが赤染衛門を演じている。百人一首には、家集四の「やすらはで 寝なまし物を 小夜更て かたぶく迄の 月を見し哉」があげられているが、この歌も当たり前のことを詠っただけで秀歌とはいえない。 清少納言こそ、得意顔に偉そうにしていた人。あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしているけれど、よく見れば、まだいたらないところが多い。