2019/10/20(日)12:05
「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-44
「当人としては暇があるような」
「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。
蔵人などは、昔は先導などはしないで、辞めた年くらいは、遠慮して
宮中あたりには、影も見えなかった。今はそうでもないようだ。
蔵人の五位と呼んで、そういう人を頻繁に使うけれど、やはり辞めた後は
退屈で、当人としては暇があるような気がするから何処へも行く。
そういう説教をする所へ行って、一、二度聞きはじめてしまうと
いつもお参りしたくなって、夏などのひどく暑い時でも直衣(のうし)の下の
帷子(かたびら)をはっきりと透かせて、薄い二藍(ふたあい)青鈍(あおにび)の
指貫(さしぬき)などを、踏みつけて座っているようだ。
烏帽子に物忌みの札をつけているのは、謹慎の日だが説教を聴くという
功徳のためには外出も差し障りがないと見られたいからだろうか。
その説教がある僧侶と話をして、聴聞に来た女車を立てる世話までして
なにかと場馴れしているようにも見える。
長い間会わないでいた人が、参詣に来たのを珍しがって、近寄って座り
話をして、うなずき、おもしろいことなど話し出して、扇を広く広げて
口に当てて笑い、装飾してある数珠をまさぐり、あちこち見たりして
牛車の良し悪しを誉めたり、けなしたりしていた。