Dog photography and Essay

2019/10/20(日)12:05

「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-44

エッセイ(1832)

「当人としては暇があるような」 「Dog photography and Essay」では、 愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。 蔵人などは、昔は先導などはしないで、辞めた年くらいは、遠慮して 宮中あたりには、影も見えなかった。今はそうでもないようだ。 蔵人の五位と呼んで、そういう人を頻繁に使うけれど、やはり辞めた後は 退屈で、当人としては暇があるような気がするから何処へも行く。 そういう説教をする所へ行って、一、二度聞きはじめてしまうと いつもお参りしたくなって、夏などのひどく暑い時でも直衣(のうし)の下の 帷子(かたびら)をはっきりと透かせて、薄い二藍(ふたあい)青鈍(あおにび)の 指貫(さしぬき)などを、踏みつけて座っているようだ。 烏帽子に物忌みの札をつけているのは、謹慎の日だが説教を聴くという 功徳のためには外出も差し障りがないと見られたいからだろうか。 その説教がある僧侶と話をして、聴聞に来た女車を立てる世話までして なにかと場馴れしているようにも見える。 長い間会わないでいた人が、参詣に来たのを珍しがって、近寄って座り 話をして、うなずき、おもしろいことなど話し出して、扇を広く広げて 口に当てて笑い、装飾してある数珠をまさぐり、あちこち見たりして 牛車の良し悪しを誉めたり、けなしたりしていた。

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