Dog photography and Essay

2024/09/17(火)10:20

源氏物語〔6帖末摘花 13完〕

紫式部と源氏物語(151)

源氏物語〔6帖末摘花 13完〕 「Dog photography and Essay」では、 「愛犬もも」と「源氏物語6帖末摘花の研鑽」を公開してます。 源氏も一緒に末摘花の似顔絵を描いてみた。長い髪の女を描き、鼻に紅をつけてみた。絵でもそれは醜く感じた。源氏は鏡に映る自分の美しい顔を見て、筆で鼻を赤く塗ってみた。どんな美貌でも、赤い鼻が一つ混じっていると目を背けるほど見苦しく思われた。若紫はそれを見て、面白がって笑った。源氏が、もし私がこんな醜い顔になったらどうだろうと言うと、若紫は、やはりいやでしょうねと答え、鼻の紅がしみ込まないか心配していた。源氏は白い紙で拭く真似をして、どうしても白くならない。ばかなことをした。陛下は何と言うだろうと真面目な顔で言った。若紫は同情してそばに寄り、水を含ませた紙で鼻の紅を拭き取った。 平仲の話のように墨なんかを塗ってはいけませんよ。赤のほうがまだ我慢できますと源氏は冗談を言い、二人は若々しく大きな声で笑いながら戯れていた。初春らしく霞を帯びた空の下、いつ花を咲かせるのかと、たよりなく思われる木々の中で、梅だけが美しく花を咲かせ、特別な木のように感じられた。特に、緑の階隠し(寝殿造りの殿舎で、正面の階段上に、柱を2本立てて突出させた庇)のそばの紅梅は早く咲き、枝が真っ赤に見えた。源氏は、「くれなゐの花ぞあやなく疎まるる梅の立枝はなつかしけれど/紅の花が何の理由もなく疎ましく思われるように、梅の立派な枝ぶりには愛着を感じるのに、どうしてこの紅い花は愛おしく思えないのだろう」と詠んだ。 くれないの花は末摘花(紅花)のことを指しており、末摘花という名前自体が紅色の花を指し、彼女の外見や象徴がこの紅の花と結びついている。「あやなく」は理由もなく、疎まるるは疎ましく思われるという意味で、特に理由もないのに、紅い花が末摘花の容姿や振る舞いに自然と心が遠ざかってしまうという感情を表し、梅の立枝はなつかしけれどは梅の木の立派な枝ぶりを指し、これは美しさや気品を象徴し、魅力的で気品のある女性には自然と惹かれるのに、末摘花の紅い花には惹かれないと表現している。源氏は末摘花に対して、純粋さや気品には惹かれつつも、容姿や振る舞いにはあまり魅力を感じていない。末摘花や若紫、これからどうなるのだろうかとため息をついた。 明日より「7帖紅葉賀(もみじが)の研鑽」を公開します。

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