Dog photography and Essay

2024/10/13(日)22:04

源氏物語〔9帖 葵 5〕

紫式部と源氏物語(184)

源氏物語〔9帖 葵 5〕 「Dog photography and Essay」では、 「愛犬もも」と「源氏物語9帖 葵(あおい) の研鑽」を公開してます。 「女王さんの髪は私が切ってあげよう」と言った源氏も、「あまりたくさんいるから困るね。大人になったら、いったいどんな髪になるのだろう」と困っていた。「長い髪の人でも、前の髪は少し短いものだけど、あまりに揃いすぎるのもかえって良くないかもしれない」とも言いながら、源氏の仕事は終わった。「千尋」と言った。これは髪そぎの祝いの言葉であり、「千尋(ちひろ)」という言葉が使われている。これは髪の長さを表す表現で、千尋とは非常に長い髪のことを意味している。平安時代の貴族女性は、髪を長く伸ばすことが美徳とされ、特に高貴な身分の女性は非常に長い髪を持っていた。髪そぎは、通常結婚や出家など重要な節目で行われる儀式の一部である。 したがって、「千尋」の言葉は、葵の巻での髪そぎの祝いにおいて、長く伸びた髪がもたらす美しさや吉兆を讃え、さらにその髪が末永く幸せに続くようにという願いを表すものと解釈できる。少納言は感激して、源氏が「はかりなき千尋の底の海松房の生ひ行く末はわれのみぞ見ん//海の底に生えている海松房(海藻)が成長し続けるように、未来や愛情がどう発展していくのか、その行く末を見届けるのは自分だけだという気持ちを詠んでいる。深くて計り知れない未来や感情の動き、そしてその成長を自分が一人で見守るという覚悟が込められている」と告げた時、女王は「千尋ともいかでか知らん定めなく満ち干る潮ののどけからぬに//深さが計り知れない「千尋の海」のように、変わりやすく不安定な状況に対して心が穏やかでない様子を詠んでいる。 「千尋の海」の深さや潮の満ち引きが一定しないことを、人生や感情の不確実性に重ねている。つまり、「その深さがどれほどか知ることはできないが、一定しない潮のように、状況は変わりやすく心穏やかではいられない」といった意味を持ち、未来への不安や人間関係の複雑さ、特に愛情や心情の不安定さを象徴している」と書いていた。貴女らしく、しかも若々しく美しい人に、源氏は満足を感じていた。その日も町には車が隙間なく出ていた。馬場殿のあたりで祭りの行列を見ようとしたが、都合の良い場所が見つからなかった。「大官連がこの辺りにたくさん来ていて、面倒なところだ」と源氏は言い、車を進めるでもなく、停めるでもなく、躊躇している時に、満員の女車から扇を出して源氏の従者を呼ぶ者があった。

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