南京大虐殺記念館15(完)
「南京事件15(完)」 「中国写真ライフ」では、江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。写真の「300000」の数字は今後も変わらないだろうしもちろん中国側からは変えようともしないだろう。河村名古屋市長の南京事件はなかったのでは?との発言に対し、名古屋市との交流を一時凍結すると日本のマスコミが騒いだようであるが、こちらのメディアでは大きくは取り上げられてはいない。また河村市長は昨年、南京市へ書面にて南京事件の事柄を送っており、今回の交流一時凍結も南京側の面子もあるが、交流団の中止は安全面を考慮して全て中止としたが中国にいる日系企業はたまらない。私は右翼主義者でも左翼主義者でもない。中国での日本人に対する言動についても出張ベースで中国へ来られる人には南京事件の事については何も言わない。また片言しか中国語を話せない人にも南京の虐殺については言わない。上の写真は旧館の日本が造った記念館の遺骨だが日本人の心を持っているならば、このようなこれ見よがしの並べ方はしないであろう。私のように中国の片田舎で20年近く中国の人達の中で知人も増え交流が多くなる中で日本人の残忍さを言われ続けた者にしかブログに書いた辛さは分からないだろう。上の写真は強制労働させられ病気で体が弱ると日本人による残虐な殺人が行われた炭鉱労働者の事柄を歴史教科書に載せて中学生に教育する。犠牲者は10万人ほどと中国側では発表しているがその満州吉林「万人坑」で掘り起こされた遺骨が南京の大虐殺記念館に展示し青少年教育している。日本人の残虐性の教育ばかり受けた若者たちが日本人を憎むようになるのは当然の摂理であろう。1992年以降の反日教育は共産党の思惑通りになった。下の写真の花は「紫金草」や「二月蘭」と呼ばれる。別名「諸葛菜」と呼び、孔明が占領陣地に食料として栽培したということで諸葛菜とも呼ばれるようだ。南京陥落から南京の紫金山麓で無邪気な少女が日本兵へ手渡したとされる花であるが、南京では有名な話である。紫金山の麓で少女から手渡された紫金草の花の種を採集して日本へ持ち帰り紫金草花の普及に努めたのが今から70年以上前のことになる。紫金草の花は「平和の花」として日本でも多く咲いているので見た人もいることだろう。2007年南京記念館の拡張工事で当時83歳の故・山口誠太郎さんの息子さんが日本各地で1000万円の募金を集め南京に寄付した。南京市は記念館に紫金草花園を造園し紫金花少女の像も建て日中両国人民が共に平和を祈念するシンボルとして多くの人が少女を訪れる。紫金花少女が左手に持つのが紫金草の花である。反日デモも南京だけは一度も起こってはいない。まだ南京大虐殺の写真は有ったが「大虐殺」の活字は目にしたくないと言う少数ブロガーの意見を尊重し、今回で終了と致しました。私は一時帰国のための準備に入りブログの更新は帰国してより、その時まで・・・。次回は日本からの更新になりそうです。