棋士の疲労に対処すること
日本の国際戦の不振の原因に、対局数が少ないことを挙げる論調が一部にある。 日本では、年間70局打つことは珍しい。ましてや80局や90局となると、数年に一度しか現れない。 だが、韓国はそうではない。去年の最多対局の崔哲瀚九段の対局数はなんと99局で66勝33敗。100局オーバーが出ることもあるらしい。上位十数人の対局数は70局を越えている。 その点をとらえて、日本が世界戦で不振である理由は真剣勝負が少なく磨かれないからだ。と言う批判をする人がいる。 だが、私はこの点について、日本のトップの現状を悪いとは思っていない。韓国より日本の方がよいのではないか、とさえ思っている。日本が不振なのは囲碁底辺と層が薄いためであって、対局数の少なさに求めるのは筋違い、と思っているのだ。もっとも、トップ以外の対局数は、さすがにちょっと少なすぎる気もするけど。 アマチュアの私でも、大会で1日に3局も打っていれば帰りはへとへと。帰った途端にバタンキュー翌日も勉強なんか手につかないなんてことは珍しくない。プロはこんなもんではすまないだろう。藤沢秀行は、対局ごとに2,3キロくらいはやせたという。(NHKのような早碁までそうであったかどうかはともかく)フルマラソンを完走したマラソンランナーがそんな感じである。いくらマラソンランナーだって、トレーニングと称してしょっちゅう42.195キロをぶっ通しで2時間半くらいのペースで走ったりはしないだろう。 つまり、プロ棋士の対局はただ座って考えていればいいというわけではなく、相当に消耗してしまうことだ、と言うことである。 また、棋士たちにとって、対局は権利であると同時に義務でもある。外国主催の世界戦ならともかく、国内戦では棋聖戦に集中したいんで本因坊戦は勘弁、と言うのは許されないし、と言って金をもらって打つ以上は手抜き対局も許されるものではない。そもそも棋士と言う人はいったん碁盤の前に座るとそんな計算高さより闘争心が先に出てくるのではないか?(これは勝手な想像だが…)さらに、負けた原因を対局数が多いせいだ、などと言うのは泣き言とみなされてとてもいえない。 つまり、棋士は、棋戦を打ちたいときに打つということができない。自分の都合のいいようにはコンディションを作れないこともありうる。しかもそれが対局の多すぎが原因である場合、自分の工夫で何とかと言うことに限界が生じる。対局が少なくペースが保てないなら、自主的な対局の機会を設けるなどする手がありうるが、忙しいからさぼります、なんて棋士の身分でいえない。 その上で、熱心な棋士は個人でも集団でも日に何時間も碁の勉強その他に費やすという。 重要な対局の前には完全オフではなくある程度対局が入っていたほうがペースが保てる、と言う棋士だっているとは思うが、それだって年に80局も90局も、その上地方対局や海外での国際戦を打ったりしたら、疲れない方がどうかしている。過剰な疲労は、碁の内容の低下を招く恐れがあるだけでなく、棋士生命を縮めかねない。 棋士たちの疲労に対処することは、よい碁を見せてもらうためにアマチュアや棋院関係者に求められる義務といってよいと思う。棋士たちはプロフェションである以上囲碁界と言う公共世界に奉仕する義務があるが、義務だけを負わせてそれに相当する見返りなし、などと言うことは許されていいはずがない。 その意味で私が疑問視しているのが地方対局である。 実は、私の自宅から半径1キロ(道なりに行くと1.1キロくらい)の所に名人戦が来たこともあったけども。 地方対局の目的としては、その地方に対して囲碁を普及させること、同時によい環境でよい碁を打ってもらおうという考えがあるのだといわれる。これらの趣旨は、ともに立派なものであって、全面的に否定するつもりは全くない。 だが、現代においてこれは薄れてはいないだろうか? 本当に囲碁の好きな人たちは挑戦手合を自分で見に行かなくとも衛星放送やインターネット中継、新聞などで棋譜を手に入れられているのが実際である。 その上せっかく挑戦手合を地方でやったところで対局室に入れるのはごく一部の関係者だけだ。挑戦手合の会場に行ったところで、多くの人は生で見るのではなく解説会でみるのが精一杯である。それなら、日本棋院で打っている棋譜をネットなり衛星なり出張解説なりで見ることに何の不都合があるのか、と言う印象がどうしても残ってしまうのである。 もちろん、棋士と生で触れ合う機会がある、と言う意味では地方対局にもまだまだ大きな意義があるが。NECカップなんかは、それに近いだろう。NECカップは棋戦と言うより、囲碁祭りで日本めぐりと言う印象が強い。 ところがさらにそこに水を差すのが毎年同じ会場で地方対局をやっていたりする現実。名人戦の後半など、毎度毎度同じところで地方対局が打たれていることは少なくない。そりゃ名旅館なんだろうし、一度は泊まってみたい気がするけど、普及目的ならもっと場所をあちこちめぐった方がよいはずである。わざわざ一部の旅館にしぼって打つ理由はない。 名人戦その他の歴史を懐かしむのもよいが、そのために棋士を遠くに引きずり出すくらいなら棋士の疲労に対処すべく、日本棋院あるいは棋院に準じた、東京近郊(関西棋院なら大阪近郊)での対局にすべきではなかろうか。 実際、昔は挑戦手合は2日制でも棋院で打つことは珍しくなかったようである。 地方への普及をしたいなら、挑戦手合のたびに棋士本人抜きにして解説会を派遣する手を使うことも考えられるだろう。 挑戦手合の大半を全て地方対局にして棋士を疲労させる現状を、私は好ましいものと見ない。挑戦手合の地方対局は残すとしても1棋戦1期2とか3局くらいまでにし、それ以外は棋院やそれに準じて東京近郊のホテルその他で打つ慣行を成立させるべきではなかろうか。 少なくとも、7番勝負なら対局の有無が不明瞭な第5局(5番勝負なら第3局)以降は、棋院、あるいは棋院の近くで打つようにするのが妥当だと思うが、どうだろうか。ちなみに、2タイトルホルダー、3リーガー張栩の今後1年の対局は本因坊リーグ残り6局棋聖リーグ5局名人リーグ8局天元戦本戦十段戦敗者復活戦、負ければ翌期の本戦王座戦挑戦手合(残り最低で2局)碁聖戦挑戦手合(最低で3局)日中阿含桐山杯富士通杯本戦(名人シード)世界王座戦決勝(最低で2局)NHK杯NECカップ竜星戦阿含杯本戦 これだけで35局である。さらにはCSK杯に台湾で参加して3局追加となる可能性が高い。 張栩の実力を考えれば、勝ち進んで自ら対局数を増やすであろう。おそらく60局には達することになると踏んでいる。