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碁法の谷の庵にて

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2019年07月18日
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カテゴリ:囲碁~自分のこと
久々にアマ本因坊戦に出てきました。
去年は名人戦に出て初戦負けのみ、今年はアマ本が初出場だったので、個人戦はまる1年ぶりです。

1回戦。まあ勝ちました。

2回戦、私の当地デビュー戦で黒星をつけられた相手。
序盤攻めが空振るも空中戦でポイントを挙げる。
その後時計の叩き合いで泥仕合となる(終局と同時に相手の針が落ちていた)も8目半勝ち。
学生時代にもほとんど時計の叩き合いをやらなかったのに、この年で時計の叩き合いは正直きついかも。

準決勝、相手が割とこちらの言いなりに打ってくれたので、対局中はまあなんとかなると気楽に考えていました。
実際なんとかなったのですが、後から考えると危なかったのかな?




で、決勝。

3年前は老害として怪しく筋にはめて勝ちましたが、まあ当時からどうせ追い抜かれるのは目に見えていたというものでして・・・
なんとなく眺めているAIの打ち方を猿真似したりして内容的には結構頑張り、中盤までいい勝負だったと思うのですが終盤に全部頑張られてしまいました。
全部の頑張りを通されると単純にヨセあっては足りないので、ポイントを上げようと手をつけました。実際何か手はありそうなのですがここで逆に地をつけさせてしまい敗北決定。
うまくポイントを上げる方法がありそうだったのに後の検討でも見つからずでした。
AIに読ませたりはしていませんが、体感的に明確に失着打ったなと言うのはそこくらいだったし、そこでポイントなければ勝てない状況なので、結局敗因は相手が強かったからでしょう。




6年前に県代表取って以降、県大会決勝で5連敗中です。
正確に覚えている訳ではありませんが、全大会出られる訳もないので、出場したら半分くらい準優勝してるのではないでしょうか。
しかも5回とも相手が別人!!
相手全員負けてもおかしくないというか10局打ったら負け越しそうな相手だけではあるのですが…。



学生棋戦とかでもなぜか準優勝連発していた方(絶対王者がいるという訳でもなくなぜか決勝で負ける)は個人的に心当たりが複数いるのですが、今の自分もそんな感じのようです。
今の自分はそんなに優勝に執着はないのですが、いざ自分がその立場になってもそういう方々が優勝できない原因ってよくわからないんですよね。
時の運という要素は否定できないにしても、単純に実力不足とも考え難く…

なぜなんでしょう?






最終更新日  2019年07月18日 02時01分45秒
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2019年07月14日
テーマ:囲碁全般(716)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
先日、仲邑菫初段の公式戦初勝利が報じられました。更にAIとの公開対局も報じられました。

 以前、プロ特別英才採用制度について、記事(『日本棋院は若年棋士の保護を責務と心得るべきです!』)を書きましたので、この記事と併せてみていただきたいと思います。

 「仲邑初段は応援するし、棋士による選考を前提とした英才特別採用制度そのものは厳正な選考を前提に反対しないが、現在の日本棋院のあり方は問題がある」
 という私のスタンスは変わっていません。




 仲邑初段の公式戦初勝利が報道されるのはまだ分かります。
 Yahooでも写真が出るニュースになる程度には注目を集めていました。
 しかし,記者会見を開いてほとんど答えられていませんでしたが、10歳の子どもを記者会見に出すのはかなり問題があるように思います。
 子役芸能人で答え慣れているならまだしも、あまり答えもできていなかった事からすると、とりあえず周囲に言われたので出てきただけ…そう見えてしまいます。

 子どもは,周囲の希望を忖度し,周囲の希望通りの対応をしようとしてしまうという話はしょっちゅうあります。
 死ぬような虐待を受けている子どもですらも、親を庇い、自分が悪いと責め立てる…そういった話を知っています。
 仲邑初段が虐待を受けているという事はないものと思いますが、「仲邑初段自身がOKしている」という仮定を前提にしても、そこに周囲の意向の忖度の要素があるということは容易に想定できるので、はいそうですかと無邪気な支持には回れないのです。
 本当に心から記者会見に出たいと思っていることについては、私には根拠なく信じる、というより祈ることくらいしかできないのです。


 日本棋院は自前の判断能力に乏しい10歳の子どもをプロにしているのです。
 碁盤の上で例え井山裕太に圧勝できるほど強かったとしても、碁盤の上だけ強ければいいというほどプロは甘くないでしょう。
 むしろマスコミなどに出るとなると否応なく碁盤の外でのハードルは上がります。
 企業や芸能人の不祥事の例を見れば,沈静化させようと記者会見を開いたのに、対応や言葉遣いを誤ったばかりに余計な反発を買い総スカンを食ってしまうというのが、マスコミ慣れしている大企業トップや芸能人の会見でも別に珍しくないということは簡単に分かるはずです。
 マスコミは制御不能なねずみ花火のようなもので、自分たちの宣伝に使おうというのは、危険極まりない行為です。(怒り心頭に発した依頼者が「マスコミを使いたい」と言ってくるケースもありますが、私はそう言って止めています)
 将来的に引退して囲碁以外の人生を歩みなおすという選択も困難になりますし、その私生活だって脅かされかねません。
 判断能力の乏しさ故の誤った判断、周囲への忖度から仲邑初段を守ることが必要です。


 日本棋院は仲邑初段を記者会見に晒すのを止めるべきです。一般の棋士と同様、勝敗や棋譜を週刊碁や碁ワールドに載せたり、幽玄の間で棋譜を中継するのに止めるべきです。
 もちろん本人に持ちかけて「本人がいいと言った」ことはまったく理由になりません。
 もうマスコミその他に初勝利が報道されるほどに注目されてしまったので、今から「一切マスコミシャットアウト」を実行するのは厳しい(下手にシャットアウトしようとすると逆に生活が脅かされる可能性が出てくる)かもしれません。
 しかし,それなら直接のインタビューに晒さず、コメント形式での対応に切り替え、マスコミとの直接やり取りはさせないという手があります。
 そこでしつこいマスコミが現れたなら、盾となるのが日本棋院のなすべき仕事です。
 棋院で守れなくなるから棋院の盾の外に出ないで!と仲邑初段に指示するのはいいですが、積極的に出していくのはすべきこととは思えません。


  そもそも仲邑初段は「最高レベルの囲碁修行をさせ、最高レベルの棋力を身につけさせて世界に対抗する」ための人材としてプロ採用されたはずです。
 プロ試験をスルーさせた上で早期にプロに登用し,プロとしての公式対局の中で研鑽させるという考え方そのものは私は反対ではありません(アマチュアのまま特別研修生としてプロ級の修行を受けさせ、返還不要の特別奨学金を出す制度設計も考えるべきだと思いますが)。
 しかし、それなら本来の建前に立ち返って、「最高レベルの囲碁修行」をさせるべきです。
 中国や韓国に遠征させるか、国内で一流棋士やAIとひたすら打たせるか、詰碁を解かせるか、棋譜ならべか。記念対局も一応は、修行の一環と取れなくはありません。
 囲碁の研鑽にどのような手法が適切かは棋士の皆さんの研究や経験則に任せるしかありませんが、入段早々マスコミに晒すのが最高レベルの囲碁修行でしょうか。
 流石にそれは断固否だと思います。
 入段早々マスコミに度々晒すのも「最高レベルの囲碁修行」というのなら、せめてその根拠の一つも示してみろとおもいます。
 もちろん、マスコミに注目されながらもトップ棋士と互角に渡り合っている藤井聡太七段の例とは一緒にできません。仲邑初段はトップ棋士と互角に渡り合えるほどの力は現状ないと判断せざるを得ないからです。(仲邑初段の棋力面に関しても踏み込んだ感想はあるのですが、私が一介のアマチュアにすぎないことを踏まえてその点は黙っていようかと思います)





 私の上記のような批判や懸念が単なる杞憂に終わることを、心よりお祈りしています。






最終更新日  2019年07月14日 01時59分49秒
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2019年06月13日
カテゴリ:囲碁~それ以外
(下記は実話じゃありません。実話語ったらバッジが飛んでしまうので…)

 2004年、とある都内の法律事務所にて。
 今度警察や日本棋院から事情聴取をされる予定なのでという事で相談を受けたとある囲碁棋士七段の話を、弁護士がまとめたもの。
 

 俺だってプロの七段だ。
 囲碁とオセロの区別もろくにつかない奴らだって「囲碁の棋士の七段」といえば、「凄いんですね」の一言くらいは言ってくれる。
 センセだって相談前に言ってくれただろう?
 だがな、俺は今みたいになりたくてプロになったんじゃねえ。

 俺がガキの頃に始めた囲碁。
 多少の才能はあったんだろうな。小学生の全国大会で入賞して、師匠に見初められて、院生になって、プロの修行を始めた。

 まあ、とんとん拍子とはいかなかったな。
 地元じゃ天才少年とか言われても、院生は天才少年の集まりだ。俺の兄弟子は、正直俺じゃ100年経っても敵わないんじゃないかって感じたさ。師匠?雲の上過ぎて何年とか考えたことすらねぇ。考える頃にはおっ死んでたってのもあるがな。
 兄弟子は高校2年の時にあっさりプロをあきらめた。プロ試験合格者とも打ち分けくらいの成績で、諦めた時点だって俺じゃ全く歯が立たなかったってぇのにな。兄弟子はその後大学に進学、囲碁は続けてて学生タイトルを取って今じゃアマチュア大会で全国入賞の常連だ。阿含杯じゃプロを何人も負かしているし、ビジネスでも成功しているらしい。埋もれた中堅プロの俺より囲碁界じゃ名前知れてるかもな。
 前の阿含杯、その兄弟子が予選Cにいて、1勝すれば俺と当たる所だった。絶対あたりたくないと思ったね。兄弟子は若手が潰してくれたし、その若手には何とか勝ったから、一応俺のメンツは立った。対局前は当たったらどうしましょうなんて兄弟子と談笑したが、内心俺は怯え切っていたよ。

 それでも兄弟子が不合格だったプロ試験に俺は受かった。
 丁度プロ試験が俺の調子のよい時にあたったんだとは思うぜ?普段負けまくってる相手に何故だか勝っちまった碁が何局かあった。だがな、プロ試験に調子の良しあし関係なく合格できる奴なんざそうそういるもんじゃない。
 未来のタイトル保持者だって、調子が悪けりゃ不合格になるくらいには厳しい世界さ。

 内実はともかく、プロ試験に合格したときは、みんな俺を祝福してくれたよ。
 家族も、師匠も、地元の碁会所も。他の院生たちだって、仲間がプロになれば悔しさを抑えてお祝いの言葉くらいは言うもんだ。
 地元の地方新聞まで「県三人目のプロ棋士」なんて言って取材に来て、俺の記事を書いてくれたんだ。

 センセは俺を「プロ試験に受かっただけでゴールと勘違いして努力を止めたアホ」と思うかい?
 こんな俺でも、プロになった頃は「今はまだまだ新初段だが、10年経ったら棋聖名人本因坊」って意気込んでたんだぜ。あの頃は世界戦なんてなかったが、今だったら「世界戦で活躍する」とかかな。
 棋士はある意味暇だ。棋戦を勝ち上がり続けたところで毎日毎日出勤じゃあないからな。普及活動ももちろんあるが、毎日がそれで埋まる訳じゃあない。
 空き時間を囲碁に費やした奴だけが上に行く。意気込んでた俺は棋譜並べに詰碁。当時は囲碁の研究会なんて今ほどメジャーじゃなかったが、研究会に顔を出して、研究成果を披露して俺より段位が3つか4つ上の先輩に「よく研究してるんだな」って感心されたもんだ。
 師匠は俺が入段してすぐに亡くなった。新聞は俺を「最後の弟子」なんてお涙頂戴な記事を書いてたがな。ドラマみたいに死んだ師匠を思いながら打ってタイトルを取るなんて主人公補正は俺には働かなかった。

 棋士になって1年,俺は出た棋戦で負けまくって、一次予選さえ突破できなかった。一つだけ二次予選に行ったが、あっさり粉砕されたよ。
 勝率そのものは勝ち越しで、一年目の成績は決して悪くはなかった。だが、一次予選でも勝ち抜くには複数回勝たなきゃならない。何せ全棋戦で1回勝てばとりあえず勝率5割にはなれちまうんだから。何十年も初段二段の棋士に1回勝ったところで予選は突破できない。
 最初は「プロ試験に合格した時の好調からちょっと後退しただけだ」って自分に言い聞かせて、勉強だって続けてたがな。
 だが、2年くらいたっても、俺の成績は上向かなかった。強くなったという実感も沸かない。
 入段したばかりの後輩棋士に粉砕されちまったこともあった。俺だって格上を自分でも驚く内容で粉砕したことくらいはあるんだが、あれは堪えたな。
 まあ何度も出場してれば調子が良かったり籤運が良かったりもあるから、天元戦で一度本戦に行った。名人戦の三次予選で1回勝ってリーグまであと2勝になったのが最高かな。

 それと,俺は大手合の成績は悪くなかった。8年目くらいで俺は五段になって、一次予選を打たなくて済むようになった。
 二次予選に沢山出れば、俺は勝てる!と自分に言い聞かせて対局に臨んだが、あの年俺は棋士人生で初めて負け越した。四段までの頃だって二次予選にいったらほとんど負けてたのに、五段になった途端二次予選で勝てるようになると思ってるなんて、今思えばバカな話だ。

 俺が囲碁の勉強を止めちまったのは、多分五段になった頃だ。
 本当は,五段になる前に分かってた。俺は棋聖名人本因坊どころかリーグにも行けない,と。五段昇段が一つの目標になってそこさえ超えればと思ったが、その先にはこれまで以上に絶望的な山が聳えてることを改めて見せつけられて,俺の心は折れた。

 だが、それでも俺は棋士を辞められなかった。もう30近くなってて囲碁以外では生きていけなかった。
 それなら囲碁の普及につとめよう。それが俺の仕事だ。そう思って人生を立て直そうとした。
 普及で囲碁を楽しむ気持ちを取り戻せば,自分の棋力も上向いて勉強も手がつくようになったり、自分に合った勉強法が見つかったりしていつかもっと上にいけるかもなんて夢も見たさ。
 他にも、囲碁の勉強ばかりしすぎたと思って余所に目を向けようと株とかに手を出してみたが,失敗して結構損失出しちまったんだよな。
 まあ株に手を出したにしても、普及をしようと思ったのは本当だ。

 だがな,強豪と互先で打つことに慣れ切った俺だ。うまい具合に打ってジゴ一にするなんて芸当は聞いたことはあってもやろうと思ったことがねえ。俺の指導碁は下手を甚振る碁だ,なんていわれたもんだが,俺は隙あらば即潰すような打ち方しか知らないのさ。
 ある程度やり方ってもんがあるんだろうが,だんだんバカらしくなった。「甚振られて強くなるんだよ!」って最後は開き直っていた。

 そして、普及をしようと思えば、顔を売らなきゃいけない。
 あいにく俺はプロだってだけだ。タイトルを取った訳でもないし、イケメンでもないし、教えるノウハウもない。俺が女流棋士だったら…なんて女性の前で言えばセクハラまがいのことだって脳裏に浮かばなかったと言ったらうそになる。
 俺の地元の碁会所の伝手で、碁盤屋を紹介されたんだ。

「入段の頃から期待していました」
「今は調子が悪いようですが、あなたならきっと上に行けると信じています」
「応援させてください。」


 陳腐なお世辞だし,実のところお世辞だってことくらいは俺にも分かってた。
 だが陳腐なお世辞だと分かっていても自分を気にかけてくれれば嬉しいものさ。俺は碁盤屋とすっかり仲良くなった。

 これが良くなかったんだろうな。
 碁盤屋と仲良くなったもんで、俺はその碁盤屋ともっと仲良くしようと思って、囲碁イベントの度にあの碁盤屋を引き入れた。碁盤屋もお礼と言って売り上げのいくらかを俺にくれたんだ。正直言って,対局料なんか目じゃない金額だったね。
 しっかり碁盤屋を調査すべきだったんだろうが、棋士に調査なんかできると思うかい?特に悪い噂を聞いた訳でもなかったから信用できる,そんな風に思っていた。俺の行かないイベントにすらあの碁盤屋を推薦して、それでも売り上げがあればバックしてくれるんだ。

 一度,あの碁盤屋の化けの皮がはがれかかった。カヤ盤と似た新カヤ盤をカヤ盤と言って売りつけたんで、日本棋院に苦情が行ったのさ。その時は、派遣された碁盤屋の番頭の説明が悪くてお客さんを誤解させたって事にして、碁盤の返品を認めて一件落着という事になったし,碁盤屋も泣いて俺に謝ってたから、むしろ助けてあげたくなっちまった。案外,あの時まではあの碁盤屋も真っ当な商売してたのかもな。
 だがな,あの番頭はあの碁盤屋でずっと働き続けて,その後も何食わぬ顔でイベントに顔を出していたのさ。普通ならそんなことやらかせば懲戒免職か、仕事をさせるにしてもしばらくはイベントには出さない仕事をさせるもんだろ?気になってその後もそれとなく見ると、碁盤屋の商売はエスカレートしてやがった。
 カヤ盤はカヤ盤でも粗悪品に高額をつけたり、解説の冊子の隅っこに虫眼鏡でも読めないちっこく「カヤと新カヤの違い」なんて解説を書いて、それで説明したって開き直る始末だ。

 そこで碁盤屋と縁を切るべきだったんじゃないか?だろうな。
 だが,もう俺にはそんなことをする気は湧かなかった。
 その碁盤屋以外に顔が広かったわけじゃない。碁盤屋は相変わらず金をバックしてくれる。碁盤屋からしてみれば俺はいい仕事づるだろうし、俺にとっては碁盤屋は金づるだった。完全な持ちつ持たれつさ。
 株で金の余裕も無くなって、生活費だっていつまで持つかわからない。勝てるようになったわけでもなく、対局料だって増えない。執筆の仕事がある訳でもない。俺には、自分の生活を放り出す勇気がなかった。
 むしろ俺から碁盤屋に悪い手口を教えるようになるのに、時間はかからなかったさ。明かりを調整させて碁盤の目利きをさせにくくするとかな。



 棋院がこの間、俺に対して事情聴取を通告してきた。行かない訳にもいかない。
 前に囲碁イベントで碁盤が偽物であることを暴かれて碁盤屋がイベント出禁になった。
 更にウソ署名碁盤を売って大金をだまし取ったという事で警察が入ったんだそうだ。サギだかなんだかでイベントを主催する日本棋院にも事情聴取が行ったらしい。
 俺も、紹介した立場だってことで今度警察から事情を聴かれる。
 まあこうやって逮捕はされてないから、皆「俺も碁盤屋に騙された」と思ってんのかねぇ。
 「あの碁盤屋に騙された」と言えば、警察は信じるだろうか?

 棋院も俺があの碁盤屋とつるんでたなんて言ったら棋院のメンツにかかわるから、俺が騙されたってことにして庇ってくれるかもな。
 真実を語った方がいいって?
 悪ぃが俺も刑務所なんかに行きたかない。贖罪のためなら全てを放り出して刑務所に入ろうなんて殊勝な心構えは俺にはないからな。
 刑務所に行けと言われたら抵抗はしないさ。刑務所に行く気力もなければ頑張って戦おうという気力もない。要は無気力さ。俺の碁と同じようにな。




~Fin~


 あえて書きませんが、囲碁とかマンガとかに詳しい人なら、このプロの「元キャラ」は多分わかると思います。
 現実の囲碁界に彼のような不正に手を染めている人はいないと信じますが、悪い誘惑があれば彼と同じになってしまいかねない人はいると思っています。
 彼はクズというより弱かっただけだと思うと、なおのことそう思うのです。






最終更新日  2019年06月13日 23時40分06秒
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2019年05月20日
昨今は,高齢者に運転免許返納が勧められています。
 私も,高齢な依頼者でもう運転していない方が免許を持っていたことに気づいて返納制度を教えたこともあります。

 運転免許を返納すれば,当然運転はもうできません。
 それに代わって,交通券を交付する、身分証として使っていた人のために運転経歴証明書を交付するなど、自治体によりますがさまざまな返納者への特典があります。
 しかし,自治体にも手が届いていないように思われる一つ免許の返納の障害があります。
 それは「緊急時にも運転ができない」ということです。


 本当に緊急時にやむを得ず運転するという事なら、緊急避難(刑法37条)で不処罰にすればいいのではないか、とお考えの方もいるかもしれません。
 実際法制度の建前からすれば、緊急避難で行けばよい、というのが模範解答でしょう。
 ところが,東京高判昭和57年11月29日の事例を見ると,「緊急避難は当てにできない」のです。

 この件は、無免許運転でなく飲酒運転の案件ですが,お盆だったために被告人が自宅で酒を飲んでいた所、普段から粗暴な被告人の弟が鎌を手に持って被告人宅に暴れ込んできた件でした。
 被告人は外へ逃げ、一緒にいた被告人の内妻が警察に電話をしようとしたら電話線も斬られて警察に保護を求めました。
 その後警察が弟を鎮めて一件落着…と思いきや,再び弟がやってきたため大慌てで車に逃げ込み隠れたものの、弟に見つかって襲い掛かってきた…という状況下で逃げるために警察署まで飲酒運転をした者でした。

 被告人は飲酒運転中,弟が車で後ろから追ってきていると思ってどこにも立ち寄らずに20分近く運転を続けて警察署に駆け込み、助けを求めたのでした。
 ところが、検察官はこの被告人を「飲酒運転」で起訴し、更に裁判所はこのような判断をしたのです。

「市街地に入った後は追ってきている車が本物だったのか確認することもできたし、適当な所で運転を止めて警察に電話するなどの方法をとることは不可能ではなかった。
 被告人の行動は過剰避難であり有罪」


 当時は昭和57年で,携帯電話など影も形もありません。
 公衆電話の緊急通報無料機能さえあったか怪しいご時世です。(判決文からは、公衆電話がこのポイントにあったという立証もされた形跡はありませんでした)

 なお、流石に裁判官もあまりに酷であると考えたのか、過剰避難の規定の中で刑を免除するという判決としました。
 しかし,有罪であることには変わりないという判断がされたことは見逃せません。

 検察官はこの件を不起訴処分や起訴猶予にもしていませんし(裁判所の事実認定と検察の事実認識がずれていた可能性はありますが)、判決文は手に入りませんでしたが地裁に至っては「こんなの過剰避難ですらない、ただの飲酒運転」と有罪判決を言い渡していました。


 被告人が飲酒運転を避けるために取るべき手法は他にあった、途中から飲酒運転を避けることは不可能ではなかったという判断自体は、一理あるでしょう。
 厳密に言えば、早く電話なり何なり探してそれを使うのが正しかった,とは言えます。
 しかし、飲酒している状態で生命の危険を感じるほど襲われてパニックになっている状況下で正確な判断は難しかったと思われます。その中で最善の判断をすることができず、誤った判断の下に飲酒運転をする者であっても犯罪者であるというのが日本の判例という訳です。

 飲酒運転より免許返納による無免許運転だけ緊急避難が認められやすくなる、とは想定できません。
 こうした落ち度を理由に緊急避難を認めない(地裁判決のように過剰避難とすら認めてもらえない可能性もある)判例実務の中では、もし何らかの緊急事態が生じたと考えて車を運転したら、僅かな判断ミスを理由に無免許運転であるし、緊急避難とも言えないとされて起訴され、有罪とされるリスクを意識せざるを得ません。


 必要な時に車を運転する当てにしていた家族などが旅行や入院などの一時的な理由でいなくなってしまった。
 誰かが倒れてしまい一刻を争う可能性があるのに、電子機器の使用に不案内。(電子機器がどこかに行ってしまったケースもあり得る)
 隣家等と個人的なつながりがなく、電話を貸してというのも難しい。(外からではいるかいないかもわからないし,貸してくれる隣家を探す時間も惜しい)
 特殊詐欺の類に騙されてパニックに陥り、一刻も早く何とかしないと…と思って運転。

 そんなケースで運転そのものは事故を起こしたりしていない安全なものであった場合でも「こうすればよかったから有罪」と問われる可能性が高いということになります。
 検察官とて、緊急時にパニックに陥り多少の行き過ぎがあった程度であれば流石にこれは可哀想だろうと思って起訴猶予などにしている例が大半であるとは思います。もしかしたら警察が現場レベルで見て見ぬふりをしているかもしれません。
 しかし、違法行為であるという建前がある以上、警察は「緊急だからいいよ」と大っぴらに言う訳には行かず、「原則ダメ」という建前になります。
 弁護士だって自分のアドバイスに従った人が犯罪者になった、なんて失態どころではないですから「試験にパスする限り返納しないでおく」「返納するなら緊急時も運転できないと思え」という「安全策」なアドバイスしかできません。



 免許証の返納それ自体は、私も勧めたい所です。
 返納に踏み切ることができる方々は、「現在の日常生活」レベルであれば車を使わずに済む当てをつけることができる人も多いでしょう。

 しかし,高齢者に起こりやすい健康などについての緊急事態、返納時にあてにしていた家族などの事情が変わり本人が運転しなければならない事態…そういったものを想定すると、
「免許を返納するときは、家族などに何かがあった緊急時にも運転ができなくなるか、それでも運転するなら刑罰を受けざるを得ないことを覚悟してほしい」
「いざという時だけでも命綱的に運転できる余地を残しておきたいのなら、免許は更新できる限り持っていた方が安全だ」

となってしまうのです。

 免許返納に対してタクシー券などの一定の見返りを与える制度は良い傾向だと思います。
 ただ,自治体がいかに交通費等を出してあげても、それは家庭や環境がうまく回っているときが前提で役立つもので、緊急時はカバーできません。



運転免許証の返納を推進するためには、

緊急時の運転について、例外的に運転を認める制度や運用を確立する。
ある程度、「運転に頼らなくてもよかった」という勇み足のケースについても基本的な安全運転がなされている限りは処罰しない。


というのも,重要なことではないでしょうか。






最終更新日  2019年05月20日 22時10分06秒
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2019年04月24日
テーマ:囲碁全般(716)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
棋士採用の制度については、棋院のホームページにもリンクがある棋士採用規程を参照しました。
 適宜参照願います。


 仲邑菫初段の棋士採用で話題になった英才枠による棋士採用。
 仲邑初段の入段の知らせに伴って初めて聞いたのですが、その時はへーそんな制度できたんだー程度に思っていました。

 私個人としては、プロ試験や院生序列による採用制度は公平性の見地からは極めて優れた制度ですが、将来的に世界で活躍できる棋士を選択するにあたって最良・唯一の手法とは断じられません。
 どの仕組みが良いかは統計を取るなどして検証・模索されるべきですが、標本を多数準備できるとも思われず、結局のところ多様な棋士採用制度の導入と非常に長期間を経ての検証によらざるを得ず、現実的ではありません。
 棋士採用制度の多様化は賛成します。

 その場合に、対局の勝敗以外で参考になるものと言えば棋士等による推薦や審査でしょうが、公平な審査による厳正な判定の仕組みが採られているという条件が踏まえられるのであれば、一応はアリ程度に思っていました。
 




 他方記念対局が多いとは言え仲邑菫初段の負けが込んでいたこと、個人的な感覚として、内容もあまりいいとは感じられないことが気になりました。
 確かに私よりは強そうですが、プロは私より強くても自慢にはなりません。うちの県のトップ10(阿含杯勝利経験者2、出場経験者1含む、私も入れるか微妙)が10人でかかれば2、3取りこぼす、アマチュアタイトルホルダーなら普通に勝ち越してしまうのでは?という感覚です。
 そこで、関連情報を検索し、棋士採用規程がアップされていたことに気づいたので見返してみたのですが…
 私個人は「若年者の保護と言う見地から、これは酷くないか?」という感想を抱き、若年棋士の保護という観点からこの記事を作成いたしました。

 なお、もし私が何らかの日本棋院の中での重要な規約などを見落としているという事であれば、ご教授頂ければそれを踏まえて以下の主張に関しては変更する用意がありますのでバシバシご指摘ください。(ネット棋院の閉鎖でいくつかの資料が消えている)
 なぜ見やすく公開しないのかとは思いますが、そういった規約を幅広く共有することは大切です。




英才特別採用制度の大枠としては、(棋士採用規程5頁、細則5参照)

採用目的:目標達成のために棋戦に参加し、最高レベルの教育・訓練を受けることができる者を選ぶ
採用基準:実績と将来性を評価。年齢は原則小学生。
審査方法:棋士2名以上の推薦を前提に、現役7大タイトル保持者、ナショナルチーム監督とコーチ3分の2の賛成によって審査会及び常務理事会を経て決定。
棋士資格:男子は七段、女子は五段以上になったら正棋士扱い。
棋士責務:マスコミ対応への協力



 前記した通り、「棋士による審査を前提とした英才特別採用制度」そのものは、厳正な選考を前提とする限りにおいて私は否定していません。
 英才特別採用棋士の正棋士扱いが遅いことについては、私としては試用的な棋士採用の方法として一理あると考えます。

 しかし、私が瞬間的にこれはダメだろ!と反応したのが、一般の棋士にない責務として、マスコミ対応への協力が責務というもの。

 本来なら、英才特別採用制度はある種の試用・育成制度として作るべきです。実際、制度上は正棋士ではなく対局料などに区別があるということで「英才特別採用も試用的な制度」として作っていることが窺えます。
 しかし、試用制度なら試用に対しては「辞めた後」のことを最低限想定してあげなければいけません。
 見習いを殊更に外部に大規模に宣伝してしまえば、見習いは例え「自分にはこの業界は向いていなかった」と判断するようになっても辞めにくくなります。
 
そして、英才棋士に対してマスコミ対応への協力を責務とすれば、当然棋士であることが外部に向けてもスティグマとなり、自身が棋士に向かない、これ以上の向上は望めないと諦めた場合においても棋士を辞め、人生をやり直す事が困難になってしまいます。
 私は以前、早期入段は早期に棋士から引退できる可能性ができると言う点で意味があると指摘しましたが、やめにくくさせてしまってはいけません。

 それでいて、規程においても、「マスコミへの対処については、棋院が義務教育や生活への影響、囲碁への研鑽に影響がないよう配慮する責任を負う」と言う棋院側の義務の規定すらなく、小学生であることが想定される英才棋士に一方的に義務を負わせる規定になっています。
 もしかしたら他に何かの規約があってバランスをとっているのかも知れませんが、棋士と棋院の権利義務を示す規約すら棋院のホームページには見つかりません。棋士志望者が知りたいと言ったら知るのは当然の権利でしょうし、ホームページで棋士志願者募集の項目があったりするので広く知られなければいけないはずなのですが、公開しないでどうする気なのでしょうか?
 そもそも、棋士として上を目指してもらうこと、囲碁の普及のために様々な活動をしてもらうことはどの棋士であれ(やり方に個人差はあれど)変わらないはずなのに、何故小学生の英才特別採用棋士という、むしろマスコミから切り離してその心情を守りつつ研鑽に集中してもらうべき棋士にだけマスコミ対応への協力がことさらに責務として設定されているのか。(他の正棋士や特別採用棋士にマスコミ対応への協力などは特に責務として設定されていません)

 一方的に義務を負わせる規定だけど「こちらでしっかりきみを守るのできみも勝手なことはしないでね、でないとこちらもきみを守れないよ」と言う趣旨で実際そう運用されているなら弁護の余地はある(それっぽい指導は私もする)のですが、今回の仲邑初段の例を見る限り、粛々と棋士として採用したら結果的にマスコミに注目され、棋院の頑張り空しく庇いきれなくなった…と言うようには見えません。
 成果を出す前から日本棋院自らバンバン宣伝しています。
 
 そこを併せて考えると、この規定は英才枠棋士を客寄せパンダ扱いすることを自白しているも同然の規定であると思います
 仲邑初段がこれから大成して勝ちまくることで将棋の羽生善治や韓国の李昌鎬のようないい意味での客寄せパンダの役割もできるならそれもいいですが、入段早々から勝ちまくった上でもないのに客寄せパンダ前提に棋士にすることに、私は正当性を全く感じることができません。
 将棋の藤井聡太フィーバーもそう感じましたが、藤井七段はプロ入り早々トップ棋士と互角以上に強いという囲碁界では想定しがたいような存在であったため、現段階では結果オーライになっているに過ぎないと考えます。
 今の日本囲碁界に、入段早々柯潔や朴ジョンファンと互先で10局打って3局以上勝てる棋士などいるとは思えません。
 
 そして、こうも客寄せパンダ扱いで採用するようにしか読めない規定を堂々と公開しているのでは、例え入段審査がどれだけ厳正に行われたものであったとしても(その審査の中身にも既に疑義が出ていることは知っていますが、今回は一先ず脇に置きます)、そこに信用を置くことはできなくなります。
 英才特別採用制度は公平性の点に問題がある分、審査担当棋士・棋院への信頼なくして成り立たない制度であり、制度そのものの趣旨目的や審査機構が信頼を失えばその棋士には好意的とは言えない視線が向けられてしまうでしょう。
 それも、英才特別採用制度の場合小学生に、です。

 



 とまあこんな風に、英才特別採用の規定には、合格者である若年棋士の保護と言う視点から極めて大きな問題を感じています。
 仲邑初段はじめ現にこの制度でプロになった方は応援しますが、制度としての良しあしは別論です。

 平成31年度の新入段者は11人で、このうち20歳以上は僅かに1名、18歳以上でも3名のみ。
 新入段棋士の大半は、まだまだ契約にあたって保護が必要な子どもなのに、個人事業主として契約し、対局に臨む。
 本来これはいびつ・危険なこと
です。
  
 若年棋士の保護をきちんとしないことは、人材の損失と言う問題だけでは済まされません。
 法律の理屈では棋士は個人事業主でも、一般の人は棋士は日本棋院の従業員のようなものとして密接に関連しているものと評価します。
 そこで若年棋士を採用しながらきちんと守っていないと言う評価は、ブラック企業に対して厳しい非難が向けられるご時世において、日本棋院・日本囲碁界の評価を暴落させられます
 若年者ならではの必要なケアを十分にせず、当人や親に投げてしまうならば、それは囲碁界全体の品位を落とすことになるでしょう。
 アイドルが自殺し、事務所との間の訴訟が大きな話題になり、事務所に批判の声が高まっていますが、若手棋士が何かやらかしたり伸び悩んだりして精神的に追い詰められ、棋院にも家族にも相談できず自殺でもしたら、その芸能事務所の二の舞です。
 
 
 また、社会的に無知な若者に対しては、暴力団のような反社会的な勢力が関与して来ることも考えられます。残念ながら、若者の思慮無分別に乗じてぼろ儲けし、最後にはその若者をぼろ雑巾のように捨てていくクズは、いろいろな業界を狙っています。
 野球賭博の件では野球選手が道を踏み外しました。
 弁護士も、そういう反社会的勢力の甘い誘惑の声にそれと気づかず引っ掛かり、気が付いた時には金も資格も失った例だってあるのです。

 若年棋士たちは彼らが反社会勢力であることも気づかずに自分のことを応援してくれる人だと思って舞い上がり、気が付けば詐欺行為の片棒を担がされていたり、碁が不調になり心が弱っているところを狙われて薬漬けにされたり…というような事態だって考えられます。(棋士ではありませんが、仕事や生活がうまくいかず心が弱り、ふらふらと薬物に手を出す人の弁護は何人も経験しています)
 棋士になろうとするとそれなりに裕福な家庭の子が多いようで、その点でも狙いやすい面もあるでしょう。狙うは若年棋士自身よりも若年棋士の親の金、というわけです。
 誰もが持つ心の弱さや無知につけ込んでくる彼らを甘く見てはいけません。「心を強く持つ」と言うお題目は、何の役にも立たないのです。
 彼らに狙われた場合、世界でも戦える逸材棋士や一線こそ退いていてもレジェンド級の名棋士でも除名処分せざるを得ないどころか、日本棋院への信頼だって地に落ち、大口スポンサーが撤退したり公益財団法人の立場すら怪しいという事にもなるでしょう。

 更には、日本棋院がめちゃくちゃオブラートに包んだ表現をしても「決して盤石な存在ではない」ことは、真面目に囲碁界の情報を追っている大人なら多くの方が分かっているはずです。真面目に追ってない私だって分かりますからね。
 であれば、棋院の外でもしっかり暮らせるようにする。これも不可欠なことです。


 日本棋院は若年棋士を選手としてただ発見して強くするだけが大切なのではなく、盤外では棋院全体でしっかり守らなければならない存在であることをきちんと認識すべきです。
 ほめる・応援する・宣伝する・育成すると言うような形での応援だけではなく、その生活や安心・環境をきっちり守る。
 そのためには棋士としての責務をある程度後退させることもやむを得ない、そこは余るほどいる年長棋士でカバーすると割り切る姿勢をもつ。
 無知や思慮浅薄に基づく思考や行動を当人の意思の尊重と称して放任しない。
 日本棋院が面倒を見られなくなる事態が生じてしまったとしても、一人で生きていく力をつけさせていく、少なくともそれを邪魔しない。



 棋院に限らず、芸能でもスポーツでも、その意識が十分持てない業界が、専門家として未成年者を採用する資格はないと考えます。






最終更新日  2019年04月24日 01時39分31秒
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2019年04月17日
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名古屋地裁岡崎支部での性犯罪無罪判決に対する批判に,こういうものがあります。

「医師は被害者が抗拒不能の鑑定を出していた。裁判所が抗拒可能であるかのように認定し直すのはおかしい」



 くどいようですが,当該事件について,私は判決文を読んでいません。
 当該判決の支持不支持についてはここでは論じません。
 ただ、判決に対する批判意見の傾向の中に、刑事裁判の事実認定・法的評価の在り方の考え方に対して理解がないのかな?と思われるものを多数見つけたので、それを指摘させていただきます。
 

 報じられている限り,抗拒可能・不能は法的評価であり,裁判官の専権判断に属する事項であると判示したとされています。
 報じられている当該判決文のこの指摘については,私の立場からしても「まあ,そうなるな」というところです。
 実際にこの判示がある場合最高裁までこの事件が上がってもこの指摘自体の正当性は維持されると見ていいと考えます。(なお,この指摘を誤りとする場合,責任能力などに関する裁判実務に大きな変更を迫る重大判例となる可能性が高いと思われます)



 「性犯罪の被害者が被害に遭った当時、心理的な抗拒不能(刑法178条)にあたったのか」が争点になり,その点について鑑定医がついたと仮定しましょう。
 「縛り上げられたとか気絶させられたなどの理由で物理的に抗拒も何もできない」ケースではなく、被害者の陥った心理の中で抵抗できただろうか、と言う問題を評価することになります。
 抗拒不能かどうか,つまり「抗拒するための心理的なハードルが高すぎて被害者に越えられない状態になっていたかどうか」ということです。
 被害者支援側が出している様々な性犯罪の知見も、被害者のおかれた心理から抗拒可能と言えるのかを問題にしている場合が多いように思います。

 そして,この抗拒不能だったかどうかを考えるにあたっては,大雑把に二段階を踏まえる必要があります

 まず第一段階は
「被害者のおかれた、抗拒するための心理的なハードルがどんなものだったのかを考える」

です。

 被害者がどんな心理状況に陥っていたか。
恐怖。呆然。諦め。逃避。気絶。その他。複合。
何らかの病気・気質・知能水準・周囲の環境などが影響していなかったか。

 ハードルがどんなものかを考えるにあたっては,こうした知識や当事者を鑑定した結果が必要になる場合が多いでしょう。


第二段階は
「第一段階で明らかになったハードルを飛び越えることが可能か」

です。

 例えば体育でハードルをジャンプで越えられるか、と言う問題であれば、ハードルを準備して治験者に「飛んでみて」と言うことも考えられるでしょう。
 ところが、「犯行当時の心理状況からしてハードルを越えられたかどうか」と言う点については,再現実験は不可能です。事前に心の準備ができているかどうかでも大幅な差異が生じえますし,ことに被害者の方への鑑定を行う場合、本当に再現しようとすれば文字通りのセカンドレイプになってしまうでしょう。
 そこで、ハードルを設定した後可能だったか不可能だったか、と言う点については,結局のところ思弁的に判断せざるをえないことになります。


 この第1段階と第2段階を踏まえた上で、関係者の精神状況は判断されることになります。

 そして,関係者の心理状況を鑑定医を連れてきて鑑定する場合、鑑定医に求められるのは「第1段階におけるハードルの設定の補助」と言うのが、今の裁判所の基本的な考え方なのです。
 第2段階「ハードル飛べますか?」と言う点については,裁判所は「鑑定医には聞いていない」あるいは「聞いたとしても参考意見」です。
 実際に飛べるかどうかは法律判断である以上,こうした鑑定には拘束されない,仮に鑑定医が意見を言ったとしても、それは裁判における検察官の論告や弁護人の弁論と同様,単なる意見の域を出るものではないのです。

 もちろん,この裁判所の「このハードル飛べるか?」の評価が間違っている可能性は十分あります。あるいは,仮に評価自体は合っていたとしても,判決理由に十分な理由が書かれておらず,全く説得力を欠く判決と言う可能性もあるでしょう。
 しかし,「医者がこう言っているからそれに従います」と言ったら、現在の裁判所の基本的な考え方からすれば,むしろその方が不当判決です。
 検察官が懲役2年と求刑したから判決は2年にしました、なんて判決で言い渡す裁判官はど阿呆でしょう。検察官の求刑を参考にしたにせよ,裁判官が裁判官なりの判断で2年と言う求刑を支持できるからこそ2年の判決を言い渡したはずです。
 裁判官が結論として鑑定を支持するにしても、裁判官なりの判断で「抗拒不能」と言わなければいけないのです。



 今回は被害者の方の心理についての鑑定のようですが,実は加害者側の刑事責任能力(心神耗弱・心神喪失)も同じ考え方が使われています。
 というより,私の上記の見解は責任能力に関する裁判所の考え方を被害者の心理鑑定に横滑りさせたものです。

 例えば刑事責任能力について,精神鑑定を行った医師が「心神喪失」「心神耗弱」などの見解を出すケースもありまず。
 しかし,裁判所はこうした見解に対して,一貫して「心神喪失や心神耗弱はあくまでも裁判所が判断する」「医者が心神喪失・耗弱について意見を言ったとしても、それは単なる意見に過ぎない」という見解を崩していません。
 医者が意見を言ったとしても裁判所はその判断を無視できるという事になります。心神喪失や耗弱の鑑定が出たのに,裁判所が事実を前提に評価し直した結果,責任能力は完全にあると判断されている事例も,特に珍しい話ではありません。
 私が弁護士になって初めて扱った刑事事件は、検察が鑑定を依頼した医師が心神喪失の鑑定を出していましたが,検察官は完全責任能力の意見を同時に出し,裁判所も心神喪失は難しいだろうと言う心証を抱いていました。
 少年事件で責任能力の有無が処分直結とまでは言えない件だった(だから裁判所の心証も分かった)ので、その辺りについては無理に結論を出させず、医療につなげる形で保護観察に持って行ったので,まあ事なきを得たと言った所でしたが…。


 その後も精神鑑定の絡む件を何度か扱いましたが,私の知るここ3・4年は検察が精神鑑定する場合も責任能力の有無についての結論を書いていません。7年くらい前は書いていたので、運用が変わった可能性もありそうです。
 裁判員制度で責任能力判断をする裁判員が医者の意見に引きずられないようにと言う配慮だと思われます。

 もちろんこれは私の体験した運用であり,今回の件は責任能力そのものの判断ではないこと,ある程度裁判官・場合によっては検察官によってこの辺の指揮については個性が生じる可能性があることからしても,本件の鑑定医が頼まれてもいない「不能・可能」の意見を勝手に書いたのか,求められて意見を書いたのかは定かではないと言わざるを得ませんし,もしかすると判決文を読んでも分からないかもしれません。
 それでも,鑑定意見に裁判所が拘束されるべきでないことについては正論と言うのが、私の答えであり,単に「鑑定医の鑑定に反対したからおかしい」と言う指摘だけでは到底説得力がないものと言わざるを得ません。

 「鑑定医の抗拒不能に反したからおかしい」ではなく,「医者の「抗拒不能」に関係なく単純にその評価はおかしい」と攻めるのが現在の制度からは正しい批判であると考えます。






最終更新日  2019年04月17日 17時39分27秒
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2019年04月14日
性犯罪無罪ラッシュ問題で、名古屋地裁岡崎支部での無罪案件(行為の存在を認めつつ、暴行・脅迫要件を満たさないとしての無罪判決の案件)について、裁判官訴追委員会に裁判官の訴追をしよう!というキャンペーンが行われています。

父親の娘への性〇為に無罪判決を出した名古屋地裁岡崎支部の鵜飼祐充裁判長の罷免を!~法が変っても裁く側の「解釈」で変えられてしまう!「裁かれるべき者が正しく裁かれる裁判」の実現を!


※・・・(〇は楽天ブログの機能ではじかれるためやむなく伏字としています。「行」が入ります。)

 私は、すでに繰り返し書いてきたとおり、判決文を読んでいないという自身の立場上、この問題に関しては「思うところあれど静観」の構えを取ってきました。
 私自身は主観的かつ一般論としては、「事実認定の厳正化」という視点では被告人寄りな見解ですが、事実認定を踏まえた「法的評価」という点では被害者寄りな見解だと思っています。

 ただ、議論の様子を見ていても、多数の無罪判決に違う論点があるのに整理しきれていません。
 さすがに無茶苦茶すぎる言動の人がいて、その人に引きずられて全体が貶され、それに反抗する形で過激な言動がなされ…と泥沼化の印象があります。

 その中で人格攻撃的な主張が双方から出ている様子はどうも・・・ただ口を出すにはいかんせん私自身の手元の情報が少なすぎるという状況です。
 迂闊にあの中に入っていたら、自分もヒートアップして言いすぎていたかもなぁと感じなくもありません。
 やはりtwitterは私には向かない媒体のようです。




 ただ、さすがに裁判官訴追委員会に担当裁判官の訴追請求という動きに関してはちょっと待てと言わざるを得ません。
 この問題で判決を言い渡した裁判官にかなり批判的な見解を表明している寺町東子弁護士も、裁判官訴追という動きには賛同していません。伊藤弁護士などは逆用可能性まで指摘して、気持ちは分かるとしつつも逆に批判に回っています。
 神原元弁護士も、これらをリツイートしており、訴追請求にまでは賛同していないと言えるでしょう。
(違法と評価される可能性を度外視すれば、もっと裁判官を直接的に法手続で攻める方法も私には浮かびます。模倣犯防止のため教えませんが)

 憲法を学べば、中学生・高校生の公民でも司法権の独立・裁判官の独立の基本くらいは習うはずです。
 裁判官は独立して職権を行い、法律と良心にのみ拘束される(憲法76条3項)。これが憲法上の仕組みです。
 気に入らない判決に対し、裁判官に圧力をかけるということを許さないよう、例えば在任中の報酬減額を禁止(憲法79条6項)したり、裁判官の処分についても特別な仕組みをわざわざ憲法に書くという状態になっているのです。
 国民からの直接審査も行われません。国民は言論で批判し、立法を通じて裁判所に干渉することは許されているといえど、理由を問わず裁判官罷免できるのは最高裁判所裁判官の国民審査のみ(その国民審査も、罷免票を取ったのは過去最高でも全体の15%にすぎない)です。
 司法権の独立は、「行政や立法権からの独立」だけではなく、「国民からの独立」でもある訳です。
 

 その意味でも、裁判官訴追委員会→弾劾裁判にかけたいというのなら、具体的な事実を示すべきですし、ただ単に「自身の法令解釈・事実認定と異なった判決を言い渡したから」というのは司法権の独立に照らして論外と言わざるを得ません。
 私だって、不当と思う判決にカリカリ来ること自体はありますが、だからってそれだけで訴追請求はダメです。これはもう職業倫理の域であり、依頼者から頼まれたとしても、よほどの事態とある程度の裏付け証拠がない限り断ります。
 本件に照らせば、そもそも未確定である以上、この第一審判決は最高裁まで維持されるべき正しい判決であるという可能性だって現段階では捨てきれない状況です。


一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。


 裁判官弾劾法には裁判官罷免の理由としては上記の規定があるのみ(裁判官弾劾法2条)ですが、裁判官の職権行使の独立からしても、法令解釈や事実認定の相違を非行とすることは到底許されない行為です。(裁判官訴追委員会のホームページにも同様の記載があります)
 こうした裁判に関して罷免するとすれば、それこそ当該裁判官が賄賂をもらっていたことが発覚したとか、合議体の裁判官を脅迫して判決を書かせたとか、それくらいの事態になるでしょう。

 もちろん、裁判官訴追委員会に裁判官の訴追を求めるというのは、当然虚偽の事実をもとに行えば虚偽申告罪(裁判官弾劾法43条、虚偽告訴罪の裁判官訴追版と思っていいでしょう)にも当たります。
 今回は、判決を言い渡したこと自体は一応事実であるため、当該判決を言い渡したこと自体を罷免事由とするならば「虚偽」ではないかもしれませんが…
 ただ、「こんな判決を言い渡すなんてことはきっと賄賂をもらっているに違いない!ほかに証拠ないけど!」なんて言ってたら本当に虚偽申告罪の故意があるという事実認定を食らってもおかしくない可能性はあるでしょう。



 実のところ、裁判官訴追委員会にはそれ相応に裁判官の訴追要求も来るようです。
 ただ、かなり昔に小耳にはさんだところでは、「判決が気に入らない当事者が裁判官が悪いと言って出すクレームの延長」のようなものが多いと聞きました。
 非常におおざっぱな統計ですが、裁判官訴追委員会ホームページの統計資料を読む限り、さほど間違ってはいないのかなという印象です。
 


 そして、もしこのような訴追請求が行われ、彼らの望む通りそれによって裁判官が訴追されたり、出世昇進等に影響したり、そこまでいかなくとも訴追に対して職務を外しての調査協力が必要になったら、どうでしょうか。
 裁判官の訴追請求は、国民誰もができるものであり、また本来そうしなければならないものだと考えます。
 しかし、単に判決の気に入らない当事者や外部応援団に訴追請求を意見表明手段として使われ、パンクするならばそうも言ってられなくなります。
 訴追請求権者を絞る(弾劾裁判制度は憲法に記載があっても、その具体的な仕組は憲法上規定がないので立法で絞りうる)、虚偽申告の罪をバシバシ適用する、訴追委員会の方で不受理扱いにするあるいは受理しても碌な審査もせずポイ…そういった好ましくない扱いをしないと裁判官の職権行使の独立が守れないため、訴追の間口自体を縮めるという方策を取らなければいけなくなるでしょう。


 裁判官訴追請求の動きは、自ら裁判官への正当な訴追請求の窓口を縮めかねない動きであり、到底賛同できません。


 それだけでなく、性犯罪に関する諸法令の改正を目指す運動論としても決して得策ではないでしょう。
 「とにかく自分にできることをやる」という高揚感でもって理論の裏付けのない低レベルな運動を始め、あるいは参加してしまって巨大な自爆をやらかしたのが、先日の弁護士大量懲戒請求事件です。
 理論的な裏付けを伴わない暴走的な運動が起こり、それが万一にも主要ムーヴメントになれば、大量懲戒請求のような低レベルな運動として扱われかねません。
 それでは、理論的な裏付けを伴う、効果のある運動が暴走的な効果のない運動にかき消され、肝心の法改正主張が認められない、実務における重要な問題提起としての効果さえなくなっていくことだって考えられるのです。
 オウム真理教と戦ったことで有名な滝本太郎弁護士)が伊藤和子弁護士に忠告したのも、この趣旨かと思います。
 法改正を目指す運動論に結び付けたいなら、運動の質を高める、ということも重要なことです。
 


 ついでに2点いっておきます。

 一つ目。
 まず、今回の件では裁判長が標的になっていますが、この事件は裁判官3人で合議して言い渡した判決であり、裁判長は合議体の一裁判官であると思われ、仮に残り二人の裁判官が歯向かってきたら裁判長はそれを止められません。 
 俺が裁判長だで残り二人を脅して書かせれば、それこそ訴追請求ものでしょう。
 つまり、裁判長は実は有罪と言っていたのに、残り二人に押し切られたという可能性も実はあるのです。
 全員で連帯責任だということで全員を訴追請求するならともかく(十分問題行為だと思いますが)なぜ裁判長だけが標的になっているのでしょうか。
 マスコミは判決報道で裁判長の氏名だけ流し、陪席の裁判官は書かない慣例があるので、そこから手に入った情報しかない状態で訴追請求までしている可能性があります。
 少なくとも、裁判長だけが標的になっているというのも、私がこの運動をマスコミ報道にいきり立っただけのものではないのかと疑う理由の一つです。


 二つ目。
 被害者の安心ということを彼らは運動の理由に据えているのですが、この事件の被害者の方の承諾は取り付けているのでしょうか?
 性犯罪被害裁判一般への喚起という視点からは、一応被害者の方からの承諾を取らずに行うことはありなのかもしれません。
 ただ、この件について万が一にも裁判官訴追委員会が本気で訴追調査をするなら、裁判官訴追委員会から被害者へも聴取がいくでしょう。
 そのように被害者に負担をかけかねない手続を、被害者の許可を取って行っているならば分かりますが、運動のホームページにはそのことは一言も書いていません。
 被害者政策論としてはありえなくはないのかもしれませんが、個別の被害者の支援という見地からは、承諾を取っていないとすれば大きな問題があるということを指摘しておきます。












※※2019年4月15日、若干用語ミスなどを修正し、リンクや運動論としての指摘などを追加しました。






最終更新日  2019年04月15日 11時50分54秒
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2019年04月10日
カテゴリ:カテゴリ未分類
いくつかの性犯罪の無罪判決が相次いで報道され,これにより日本の司法がおかしいと言う批判が一部で渦巻いています。

 判決の当不当を論じることは判決文に目を通していない私からはできません。
 例え検察官が上訴して判決がひっくり返ったとしても,判決文を読まないままの私は「そうなんですか」としか回答しようがありません。
 批判者の方は、検討したであろう(と一応信用しておく)判決文の中身をより詳細に開示し、その批判の論拠を提示してほしいなと思います。
 残念なことに,判決理由に関する報道ほどあてにならないものはないことは弁護士なら皆分かってしまうので。




 私から,判決の当不当を離れてここでひとつ確認しておくべきことがあります。
 それは,
「刑事裁判と言う場は,犯罪被害者の救済の場としては作られていない」
「被害者救済の場として本来的に想定されているのは民事訴訟や行政支援の場である」

ということです。

 そもそも刑事裁判は「国家権力と被告人が刑罰権の存否をかけて」戦う場です。
 だから国家権力がヘマをすれば、例え被告人が真犯人であったとしても無罪放免という事は起こるのです。(違法収集証拠排除法則など)
 いくら犯罪被害者基本法ができ,刑事手続における被害者の地位についても考慮する規定が設けられ、更に刑事訴訟法でも被害者参加などの規定が設けられたと言えど、「国家権力vs被告人」の基本枠組みが動いた訳ではありません。
 あくまでも基本法やそれに伴う刑事訴訟法の改正は「配慮できることは配慮しよう」という,これまでの実務でも考えられてきたことに少し鞭を入れたに過ぎず、刑事裁判の基本枠組みをぶっ壊す,なんていう代物ではありません。
 そこまでのことをするなら被害者参加制度を盛り込むどころでは済まない、これまでの「刑罰は被害者救済が目的ではない」とする裁判所の基本的な考え方を立法府で否定するほどの刑事訴訟法の全般にわたる大改正が必須ですが、そんな大改正はなされていません。(と私は考えます)

 なお、性犯罪については親告罪であり、国家権力に被害者の意向を直接的強制的に汲み上げる仕組みが用意されていました。
 ここで公訴提起をしないという事で、被害者はどちらかを選ぶ権利があったのです。
 しかし性犯罪の親告罪規定は先日撤廃され、理念的には完全な国家権力vs被告人の戦いの舞台になりました。
(なお、実務運用としては親告罪でないとしても被害者の意向を酌んでの起訴不起訴の裁量は行われ続けていることを申し添えます)
 そう考えると、性犯罪に関しての被害者支援はある意味では後退した側面さえもあるのです。



 「国家権力vs被告人」を前提に設定されている刑事裁判における有罪無罪の争いは、「疑わしきは罰せず」です。
 例え9割加害者、1割冤罪でも、その1割の冤罪を救うためには9割の加害者も無罪放免する。それが疑わしきは罰せずと言うルールです。(なお、犯罪被害者支援団体「あすの会」は死刑廃止反対を主張するにあたって「疑わしきは罰せずを貫く」ことを当然の前提としていることを付言します)
 それは被害者感情も市民感情も何も関係ない厳然とした、ドライなルールです。
 そこに「立証が大変になるし法益侵害の度合いが凄いから下駄をはかせてあげる」なんて甘っちょろい政策的配慮はありません。
 裁判官や検察官が内心でそれっぽいことを考えてしまうことはある(私個人はこの配慮が生んだ冤罪事件はほぼ確実にあると推測しています)と思いますが、「だから緩い証拠でもいい」なんてことはあり得ないのです。

 民事裁判であれば、私人対私人の利益調整の場であるため、「こんな立証を求めたなら被害者はどうしたらいいのだ」「証拠をきちんと準備していないこと自体が落ち度だ」ということで立証=被害者側に下駄をはかせるという事も比較的行いやすいです。
 行政支援であれば、その法的な効果に他者の権利侵害の側面が薄いため、仮に「実は被害なんてインチキ」なんてことがあっても実害がそこまで酷くないので、緩い認定で支援に踏み切ることもできます。
 しかし刑事裁判はそうなっていません。
 そもそも被害者を助けるための制度として作られていない上、被告人の生命や自由がかかる、かかっているものとしては司法権行使の中でも最大最悪の修羅場だからです。


 そうなっていない刑事裁判に無理やり被害者をあてはめ「被害者vs被告人」という構図にして捉えると、当然被害者に合わせて作っていない以上被害者にとっては刑事裁判と言う「合わない服を着せられている」のも同然であり、あちこちが軋んで痛いことになります。
 もちろん衣服たる刑事裁判の方だって壊れていくでしょう。
 ある程度の仕立て直しで「着られなくはない」程度にはできるかもしれませんが、限度があります。


 例えば、「証拠が足りない故、真実に不明瞭な点がある」という「玉虫色の状態」は裁判上不可避です。
 刑事裁判にも迅速の要請がありますし(憲法37条1項)、たかだか「二当事者対立の裁判で完全な形の真相が裁判所に客観的に把握できるようになる」なんて、「そんなオカルトありえません」。

 そんなとき、「無罪判決」で負けたのは「国家権力であって被害者ではない」というのが、「国家権力vs被告人」本来の裁判の原則です。
 せいぜい、仮に無罪になったとしても被害者の応援するチームが負けた、程度の話であり、それだけで被害者の人格が非難されるようなものではありません。
 被害者に対して非常に厳しい「疑わしきは罰せず」のハードルを越えられないことの責任を取らせたりせず、検察が矢面に立つと言う形で制度的には一定のバランスが取られているのです。

 ところが、法制度を無視して「被害者(&その代理人としての検察官)vs被告人」の構図と捉えると、「負けたのは検察ではなく被害者」という扱いになり、ひいては被害者への非難も生みます。
 無罪になっただけで「被害者が偽証したのではないか」「少なくとも嘘を言っている」という扱いが生じてしまったり,ひいては「あるがまま誠実に被害を証言した被害者が、たまたま疑わしきは罰せずの厳しい基準に通らなかっただけでバッシングされる」と言うあまりにも酷な結果を生んでしまうのです。
 あくまでも「被告人vs被害者で被害者が負けた」ではなく「検察が疑わしきは罰せずのハードルを越えられなかっただけ」と捉えるならば、無罪判決があったとしても被害者が殊更第三者から人格的に非難されるようなものとはとらえられず、「あなたの応援するチームがたまたまハードルを越えられなかっただけであなたが不誠実な自称被害者と言っている訳ではない」という事もできるはずなのです。



 被害者当人が加害者の処罰に執念を燃やし、検察と心理的に同調した結果として検察の敗北に苦しむのは全くおかしくない事であり、そのような被害者のお気持ちを責める気はありません。
 立法論としてなら、もっと被害者に寄せた刑事訴訟法の大改正を主張する、というのもありなのでしょう。(賛成はしませんが)
 しかし,第三者が現状を勝手にその枠組みでとらえ「被告人vs被害者」の枠組み前提に現在の裁判の事実認定や裁判制度を論じようとするのは、被告人や法曹三者はおろか、当の被害者にとっても苛酷な結果やひずみ(「立証政策に配慮した結果としての冤罪」とか、「不運な無罪が被害者攻撃のタネになるなど」)を招きます。

 裁判制度における被害者の地位においては、
「被告人vs国家権力に被害者が少し入ってきていると言う程度であること」
「その枠組みでできているため、被害者の救済に使い勝手の良い仕組みではないこと」
「被害者の救済に向いた刑事訴訟法にするには、刑事訴訟法を根本から改正する位の大規模改正が必要であること」

を十分に認識した上で論じていただきたいと思います。






最終更新日  2019年04月10日 17時50分52秒
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2019年04月03日
カテゴリ:その他雑考
性犯罪の無罪判決が相次いだことに関連する諸論点などを巡り,twitter上で弁護士同士のドンパチが始まっています。
 弁護士の端くれとして,個人的には性犯罪の否認事件における無罪判決や事実認定の在り方,関係者の運動論の在り方などについては,いろいろと思うこともあります。
 私個人の意見内容としてはtwitter上での弁護士(たぶん)多数派の意見に比較的近いのではないでしょうか。
 



 しかし,今日の主題はそこではなく,このドンパチを見て改めて思ったtwitter上の弁護士の意見表明についての感想です。
 
 twitter上での弁護士のドンパチを見ると真面目に議論している,個人的に論旨に賛成できないにしても表明そのものは真摯な先生方も多くいます。
 しかし、茶化しのように見えてしまったり、論旨はともかく表現方法に問題がありすぎやしないかと感じたり、本当にこれ調べて言ってる・リツイートしてるのかな?と感じられるものも増えてしまっております。
 もちろん、書いていないだけで裏側で調べて言ってる、事案をヒントに書いたが一般論と断った上で書いているという事も当然ありますが、無邪気にリツイートしたりすれば無責任ではすみません。

 以前の記事でちらっと書きましたが,4年ほど前に私がtwitterをやめた理由の一つは,実はこれなのです。
 「法クラ」(法学クラスタ)と呼ばれる弁護士twitterで,特定意見を支持・批判する流れが沸き起こる。この流れの内容そのものは,私には共感できるものの方が多いです。
 しかし,その際に,笑い者にするかのような流れまでも同時に起きてしまったり、本当に調査して言ってるのかな?と疑問が湧くものが大量にツイート&リツイートされる。
 私個人としては内容的にはむしろ賛成のことが多く、肯定的に見ていたのですが,反面,なまじ賛成な分強固な自制心を持たずに乗ってしまうととんでもない筆の滑りをしかねないというのが不安になってきたのです。


 ちょうど,立憲民主党の公認を得て選挙への出馬を表明した落合洋司氏(弁護士・元検察官)が,特定国家に対しての侮辱的な投稿を発掘されて炎上,公認取消と言う事態になっています。
 特定国家の外交などの在り方についての批判は言論の自由であると思いますし、落合氏の言動はヘイトスピーチ対策法上の「ヘイトスピーチ」の定義に当てはまるかは疑問なしとはしません。
 しかし,同法のヘイトスピーチに当たらなかったところで、特定国家への批判に際して侮辱的な言葉を用いること自体が政治家の言動として不適切な行為であることには異論がありません。対象となっている国がどこであれ,です。
 落合氏は立憲民主党の候補者として売り出していたので今は立憲民主党が主に問題になっています。しかし,弁護士としても本来失言であり,弁護士への信頼をも失わせるものと思います。
 


 前記した法クラの批判の流れに乗った結果,今回の落合氏に近い失言を,いつか自分自身もやらかすのではないか,他の弁護士はしっかり調査して裏付けの下に言っているのに,自分は調査もせず、流れに乗っただけでとんでもないことを言ってしまうのではないかと言う点については,私は自分の節操の固さをあまり信用できません。
 私はtwitterをやっていた間,twitterで舌禍したとして炎上したことはありませんが,一度呟いた後に「これ大丈夫なんだろうか…」と思って一旦呟いたことを消したことは何度かあります。
 つまり,自分もtwitterに関して,せめて自分の持てる能力を全て使って注意できていないのです。


 私は、この文章で私以外の個々の法クラの先生方を批判するつもりはありません。
 当然先生方も千差万別ですし,踏み込みすぎてない?と感じる発言であっても調査・熟考の上で責任をもって発言しているのだと,弁護士としての信義と名誉を尊重する立場から信用させていただきます(弁護士職務基本規程70条参照)。
 間違った・誤解を与える主張や意見に批判が集まることは業界の自浄を示す意味でも効果があるものなので、積極的な意見表明そのものを非難するつもりは全くないのです。

 しかし,自分以外の弁護士を相手にするときは「信義と名誉を尊重」できても,当の自分自身を「信義と名誉を尊重」で押し通す訳には行きません。
 他の弁護士はきちんと自制してるのであっても、そんな自制心に自信がなくなってきた私は、やらかす前にtwitterから距離を置きました。
 ブログであれば,14年ほどやってきましたし、そこそこ長文かつ法クラと距離があるのでクーリングオフの時間くらいはあり,「他の先生方が調査の末に書いていることを調査もしていない私がただ乗りし,勢い余って書きすぎる」と言う事態はある程度避けられます。実際,「これは書きすぎかな?」と頭を冷やしたり、別途調査を重ねた経験も何度かあります。



 多くの先生方には私のような懸念は無用のものだと思いますが、もしそういった「つい書きすぎた」経験をお持ちの先生方がおりましたら,本当にただ単に「気を付ける」だけでいいのか,一度熟考してみてほしいと思います。






最終更新日  2019年04月03日 18時42分35秒
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2019年03月22日
破産者マップ事件については,私も少し追っていました。

 適法性に関していえば,私も風の噂に耳にしてサイトを一通り見た瞬間,判例調査する前から

「これって弁護士ならほぼ争いないレベルでプライバシー侵害,個人情報保護法違反。名誉毀損などの問題もあるだろう。こんなことにGOサインを出す弁護士がいるとは思えない。」


と感じました。
 その後,法令判例調査をしても私の上記の直感は裏付けられる一方でしたし,弁護士の中でこれは適法だと主張している人を私は知りません。(公認会計士や税理士の中にはいるようですが…)



 このサイトの運営者の真意については,今のところは

「法的なリスクについて素人考えのまま弁護士などに相談せず,無邪気に新事業を起こそうとした結果,超巨大地雷を踏んだ」


「悪意ある反社が削除のために個人情報を送付させることで,更なる個人情報の収集を狙ったり,場合によっては金銭集めに使おうとした」


という二つの説が有力です。※1
 後者の意見は,削除要請フォームで官報にも非掲載の情報(破産の背景事情は官報では分からない)を集めようとした所が怪しいという点に着目していると思います。
 他方,それならあえて運営者がtwitterに出てくる理由も乏しいと思われるため,前者の可能性も個人的には捨てきれないように思っています。

 現状は両方の可能性を想定すべきと思います。


 そして,この件で気になるのが,この問題を論じるに際して情報を取り扱う自称エンジニアの皆さんの倫理観について,欠けたものが多数見られる点です。

 この問題について「何が悪いの?」を連発し,運営者支持を表明してしまう自称エンジニアのtwitterアカウントがあります。
 中には批判者に対して「お前破産者?」と煽って憚らないほぼ実名アカウントもあります。(個人的に晒したいのは山々ですが,法律家としての良識でこらえます)
 弁護士などによる違法性の指摘の前に「何が悪いの?」と思ってしまううちはともかく,弁護士などが騒ぎだしてからも批判者に噛みつき続ける人たちには寒気を覚えました。

「お前,そんな感覚で情報エンジニアやったら自分が破産者マップに載るぞ?」

「こうも個人情報についての意識が甘い者が大規模な情報を扱うとか法務上は超巨大なリスクなので,こいつらエンジニアとして雇っていいかと相談されたら顧問辞任賭けてでも止めよう」

と思ったことも一度や二度ではありません。


 寺林智栄弁護士がこちらで詳論しているのですが,情報は例え客観的真実であろうと,決してニュートラルな存在ではありません。「凶器にできる」ものです。
 オウム真理教は,「たかだか弁護士の住所を知っただけ」で,坂本堤弁護士は家に上がりこまれて奥様と幼いお子さんまでが殺されてしまいました。一番悪いのがオウム真理教であることは争う余地もありませんが,情報を開示した者がオウムを助けてしまったという側面は否定できないのです(日弁連もこの事を知って弁護士の個人住所の名簿を頒布することを止めました)。
 破産者マップだって,私が反社なら「欲しい情報」です。模倣犯を避けるために開示しませんが,破産者マップを悪用して一儲けする方法はあっという間に浮かびました。


 だからこそ情報を扱う者には高い倫理観や責任が求められます。

 私のような弁護士も秘密の情報を扱いますが,秘密を漏らそうものなら刑法の秘密漏示罪により処罰されます。公務員や多数の士業・裁判員においても,職務上の秘密を漏らせば,刑務所に入れられてもおかしくない罰則が制定されているのです。
 例え法律に守秘義務の規定がない仕事であるとしても,どこまでの情報を広く共有すべきで,どこまでの情報がダメなのか。開示するにあたって相応しい媒体は何か。情報はどんな風に悪用できるのか。反社がこの情報を手に入れたら何を始めかねないか。
 この事については常に悩み,考え方を身につけ,怪しいと思ったら周囲に相談していかなければいけません。微妙すぎる事案もありえ,最終的な判断は裁判の結果待ちになることもあり得るジャンルです。
 まして,破産者マップのように一人二人レベルではなく情報を大規模に扱うともなれば,要求される倫理観や責任は極めて高度なものになるでしょう。例え個人的に問題ないと思ってもリーガルチェックをし,疑わしきは手を出さないと言う姿勢は必須です。自分の利益だけをベットしてるならともかく,他人の利益をベットするに当たってやっちゃえやっちゃえなどという精神では困るのです。
 運悪く勇み足をしてしまったならまだしも、違法性があることを裁判の判決で言い渡されても開き直るようなケースは問題外と言えましょう。



 むろん、情報エンジニアの中にも彼らを非難する意見も決して少なくはありません。
 検索していた所,何かするに当たって毎度毎度リーガルチェックしていたという情報エンジニアの方もいました。情報エンジニアの持つ倫理性の必要性から,上記のような発言をたしなめる向きもあり,その点についてはほっとしている面もあります。
 また,インターネットのない時代にできていた破産情報を官報に掲載すると言う破産法の在り方が,官報の頒布性の低さ※2に助けられて問題になっていなかったことがこの事態を招いた側面もあるように思われ,これを機会に破産法の公示の在り方を見直すことを検討してもらいたいと思います。
(もっとも,「破産者マップが違法なら官報も違法」という見解は,弁護士が裁判所で言ったら「こいつ、弁護士に泣く泣く言わせてるな」と裁判官に見抜かれるレベルの間違いですので注意しましょう)


 そして,「破産者マップの何が悪いの?」と騒動初期ならともかく今になって言っている自称エンジニアの方は,すぐにもエンジニアの看板を下ろして下さい。(現行法を認めた上で法改正の主張とセットで主張するならばまあありと思います)
 真っ当なエンジニアの方も、そういったエンジニアに対して再教育(0から教育?)をし、それに従わない者をエンジニア業界から放逐するといった動きはした方が良いと思います。(現実には困難かもしれませんが…)
 そういう自称エンジニアの方々の言動は,倫理観と責任感を備えた真っ当なエンジニアの方に対して,「技術のためなら倫理すら無視するマッドサイエンティスト的存在」という偏見を植え付けかねません。
 そうなれば、エンジニア業界に新しい技術について理解がなく,融通も利かない国家の法律が規制をかける、厳しい資格制となるといったように、業界全体の首を絞めなければならないという議論が沸き起こることになるでしょう。
 弁護士業界も、常にその点を意識しながら業界の自律に気を配り、それですらも「自浄能力が足りない」と干されているのです。

 この件には様々な問題点があり法律家目線からすれば破産法の在り方なども問われていますが,情報エンジニアの皆さんの倫理が辛辣に問われている件でもあると思います。







※1 当初は、「破産者はクズ!」というような歪んだ正義感が原因の可能性も考えましたが,現状では主たる原因ではないと考えます。
※2 官報販売所は東京に2カ所、他の道府県は1か所です。北海道など地裁本庁の数より官報販売所の方が少ないのです。






最終更新日  2019年03月22日 17時00分30秒
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