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碁法の谷の庵にて

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2006年03月17日
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 棋聖戦が4局で終わってしまったために囲碁記事がない。十段戦まで待たないといけなさそうだ。
 去年も王座戦をたった3局で終わらせてしまった山下よ、恨むぞ。(天元戦は5局だったけど)


 さて、今日の話題はマスコミ関係者が大騒ぎしている裁判のネタだ。

 マスメディアの記者が取材源の公務員から知りえた情報について証言を拒絶している問題で、新潟地裁・東京高裁の「証言拒絶を認めない」と言う見解と、東京地裁の「証言拒絶を認める」と言う判断が真っ二つに分かれたのだ。


 突然だが、マスメディア関係者にとって、取材源の秘匿と言うのは極めて重要である

 マスメディアの社会的な使命の一つに、社会に存在する害悪を取材して白日の下にさらしだし、民主制のもとで検討のまな板にさらしあげる、と言うものがある。そうやってすっぱ抜かれ、白日の下にさらされた巨悪は決して少なくない。「ペンは剣よりも強しと言う言葉の意味もそこにある。
 さて、そうやってマスメディアが取材をする場合、俗に「タレこみ」と言われる内部告発や、記者たちの説得が調査の端緒になることが多い。内部において心ある人がマスメディアに打ち明けることによって、明るみに出る。
 ここで、もし仮に情報を受けたマスメディアが「誰から情報を受け取りました」などと言うことをばらしたらどうなるか?情報提供者は確実にその組織の内部でろくな扱いを受けない。制裁を受けてしまうかもしれない。そうなると、誰も情報を提供しなくなる。マスメディアが事実を報道するためにとんでもない足かせとなって働くおそれがあるのだ。
 そのため取材源は黙っておくという慣行がマスメディアにはある

 また、最高裁判所の裁判例は、事実を報道する自由を表現の自由を保障した憲法21条によって保障されるものだ」(最大決昭和44・11・26、博多駅事件)としている。
 表現の自由とは「思想や意見を表明する自由」であって、本当は「事実を報道する自由」とは性質が違うのだが、思想や意見を形成するためには、そうした事実を報道してもらうことが不可欠だ、と言う考え方が根底にある。
 さらに、それに対応する情報の受け手の権利として「知る権利」と言うものも導き出された。
 表現の自由は、それによって支持者を集め、民主制のもとにおいて他人を動かすために非常に重要でありいわば民主制と表裏一体の関係にある。それを内容あるものにする知る権利、事実報道の自由も非常に重要なものと言うことになる。


 ところで、日本の裁判では裁判所が必要と認める限り、強制的にほとんど誰でも召喚して、証言をさせる義務を負わせることができる。刑事裁判でも民事裁判でもだ。
 刑事被告人のように「黙秘します」なんてことはできない。法律に銘記されている場合のほかは、証言拒否は処罰の対象になる。(刑事訴訟法160条民事訴訟法200条など)と言って嘘をついたら偽証罪(刑法169条)で重い処罰が待っている。
 裁判は国民にとっては自己の権利を守ってもらう最後の砦。裁判の大ボス最高裁判所は憲法の番人だ。裁判を適正に行うというのも非常に重大なものだ。


 きちんとした証言をしてもらうことは、国民の権利を守るための適正な裁判を行うために極めて重要である
 他方、証言させると、国民の知る権利や事実を報道する自由、ひいては民主制の適正な機能が損なわれるおそれがある。


 この二つが衝突すると、厄介なことになる。

 刑事裁判の場合は、国家が特定の人物を犯罪者として訴追するものである。国家全体の秩序を維持しつつ人権保障もする必要があり、公益的な要請が大きい。そうなると、証言しなさい、と言う要求のほうが強まることになると思われる。「国民全体で起訴しておきながら、国民全体の利益を盾に証言を拒絶するのを認めるのは背理である」と言う考え方もできる、と言うようなことを弁護士の先生に聞いたこともあり、なかなか感心させられた。

 他方、民事裁判では、どちらかと言えば当事者の紛争解決を目的としている。従って、証言によって真実を発見する要請は相対的に低くなっている
そうすると、証言をさせる必要性は下がる。そこで、民事訴訟法は「技術・職業上の秘密」を証言拒絶の理由と認めた(民事訴訟法193条3号)。刑事訴訟法ではごく一定の職業について、それも他人の秘密にかかわる場合しか認めていないのだが、民事訴訟法は広く認めている。



 さて、今回の事件は民事事件。証言拒絶となると、争点は、「職業上の秘密」に「取材源の秘匿」が入るか、さらに「その取材源が公務員で、しかも守秘義務違反を強く疑われる場合も含むか」ということになる。

 守秘義務を犯した公務員を守るために秘匿なんかしなくてもいい、というのが証言拒絶否定説の根拠である。
 他方、公務員の守秘義務は守秘義務、マスメディアの職務は職務で両者をつなげて考えることはできない。守秘義務違反であっても情報を得ることには必要性が認められるというのが証言拒絶肯定説の根拠だ。

実は裁判例(最判昭和53・5・31、外務省秘密伝聞漏洩事件)があり、守秘義務違反を唆したりする行動であっても、法秩序全体の見地から見て社会観念上正当な行動となる場合がある、と認めている。(その事件自体では、情報を得るために肉体関係を使うという事件で正当とは認められなかったのだが)この場合、刑法35条の「正当な業務行為」として彼の行為は適法になるのだ。特別法律の条文は要らない。スポーツとか、被害者がOKを出した場合のように、法律の条文になくとも社会的に妥当な行為は正当な業務行為として無罪になる。
 つまり、守秘義務違反をする、と言うことと、守秘義務違反をさせるために説得をするというのは同列に適法性を論じられない、と言うのが最高裁判所の考え方なのである。守秘義務だけを安易に強調すると、特に重要性が高い公務員に対する知る権利が損なわれてしまう、という意識がそこにはある。


 今回の事件で証言拒絶を認めるべきかどうかは正直なところ言及はできない。ただ、守秘義務に違反することが強く疑われるとか、守秘義務違反を唆したという一事を持って直ちにこれらを不適法などと断じるのは、日本の裁判所は採っていない考え方だということなのである。
 そして、そこにある考え方の由来はひとえにきちんと機能する民主制を守ろうということにあるということを理解して欲しい。





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最終更新日  2006年03月17日 19時16分46秒
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