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碁法の谷の庵にて

2006年03月20日
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カテゴリ:その他雑考
 表題を読んで、法律家希望がなんてことをいうんだ、と思われるあなた。安心していい。あなたの感覚は正常である。
 私が言いたいのは、多くの人は被害者の切実な問題などテレビの向こうの自分には関係ない世界だと思っている、ということなのである。
 例えインターネット上で被害者がかわいそうだ、加害者は死刑にすべき、と叫んでいる人たちでも、それは同様である。


 一昨日弁護活動について論じた山口県光市の、少年による殺人事件。
 この事件で、無残にも妻弥生さんとまだ赤ん坊の子を殺害された本村洋氏。当時私は高校生だったが、同情すると同時に、ちょっと言っていることが荒っぽすぎないかな・・・と思ったものである。
 今はそうではない。あの頃からすれば、法的な素養と言う意味では何百倍にも育った私なのに、今の彼がもっている哲学は私の思考など一刀両断にするだけの力を秘めている。法廷への遺影持込とか、今回の弁護人の欠席と言うような各論ならばまだしも、本来の刑法の姿について日本で彼ほど密度濃く考えた人物はいないのではないかと思う。
 当時の私は(今でもだが)未熟過ぎた。しかし彼自身についても、「初期と比べて感情は厳粛な怒りに昇華してきているようにみえる」という意見があることは事実。両者があいまってそう見えているのかもしれない。

 しかし、せっかくそのように被害者の方々がその品格を持って意見を言ったところで、その周辺で被害者の味方であると言う顔をしている方々は本当に被害者のことを考えているのだろうか?



 ここで、そもそも被害者には「とりたてて」どのような権利を認める必要があるだろうかを考えてみる。犯罪被害者の会「あすの会」で訴えられている被害者の窮状を基礎にまとめるとこんな感じである。

(1)被害を癒してもらう権利。金銭的に算出できる損害はもちろん、犯罪被害そのものやPTSDを中心とする精神的・肉体的な損害についても国などが責任を持ってケアに当たることがそれに含まれる。
(2)守られる権利も必要だ。お礼参りやマスコミの無遠慮な取材、心無い偏見・誹謗中傷から守られ、静謐な環境の中で生活を守ってもらうことが挙げられる。
(3)刑事法上の権利である。適正な刑事裁判の実現には被害者の意見も必要、と言うのは今日広く理解されている。そうした刑事法の中で、真犯人を「適正に」処分してもらい、またそのために自らが参加する権利、と言うのも考えられる。


 では、この中で一番社会的に問題視されているのはなにか?

 解答は圧倒的に(3)である。(1)や(2)は取り上げられるのに、結論は刑罰が軽いという方向に持っていかれることも少なくない。しかも、その中では刑事裁判において加害者を適切に裁いてもらうということ、それも重罰に処してもらうということばかりが、なぜか非常に重視される。
 ハムラビ法典を持ち出して「目には目を」と言う人のなんと多いこと。そんな大昔・外国の、身分差別がある法しか根拠がないのか?と思うが、そこまでしてなんとかしたい、という感情の表れであるのは間違いない


 だが、被害者のニーズにどれほどそれが合致するのかは疑問である。もちろん人によっては賠償金もいらない、人生なげうって加害者を死刑にしたいという人だっているだろうし、そういう人に空虚な道徳・幸福論を説くことはできない。刑事裁判における適切な裁きが何にせよ永遠の課題であることもまた間違いない。
 一方、軽い犯罪はもちろん、重大な事件でも処罰感情より被害の回復を目指そうという被害者だっている。そういう人たちにとって必要なのは損害からの回復や、守られること。また、加害者が厳正に処罰されたとしても、別個に必要な領域だ
 金銭的・精神的損害から回復させるための体制は、法改正もあって進んではいるもののまだまだ十分に整っているとはいえない。被害者などにはごくわずかな給付金しかなく、犯人からの賠償金も取るのに大量の手間がかかる上に取れる保証さえない。(この話も参照)

 整っていなかったのが刑事裁判における裁きだけなら、被害者を支援する人たちの関心が刑罰にしか行かない現象も得心が行くが、現実はそうではない
 それどころか、そういう加害者の刑が軽い、と言う声を上げるマスメディアの中には、被害者を中傷するような記事を書いたり、集団で取材を行って被害者のプライバシーを暴き、社会復帰を阻害するようなものもある。


 事件へ一般国民の関心は、犯人への判決が確定してほどなく終了してしまう。被害者のその後や、例え死刑でも刑が執行されることが話題になるのはまれだ。幾多の有名な殺人事件への判決が過去に出こそすれ、被害者を救済する立法は近年に至るまでほとんど整備されなかったのはそのためだろう。
 本村氏とて、まだ判決が確定しておらず、しかも高裁まで無期懲役の判決が維持されているから、今なおスポットが当てられている。死刑判決が下って、国民の刑罰感情が満足されたら最後、今までほどにスポットが当てられるとは思えない。
 
 また、日本全体の殺人件数は年間1000件強。遺族はどんなに少なく見てもこれと同人数はいるだろう。本村氏自身を否定する気はないが、なぜ本村氏ばかりが取り上げられるか。マスメディアに出てきて必死に意見表明しようとするのが本村氏一人、とは思えない。取材に応じたり、被害者の会に加わって活動している人たちは何人もいるのだ。
 私は、彼がとにかく重罰化を是とする人たちにとっては扱いやすく影響力のある人だからだ、と思う。
 地下鉄サリン事件の遺族として有名な高橋シズヱ氏は、厳罰化の他にも多方面にわたって活動しているのにwikipediaに項目がない(本村氏はある)ましてや、松本サリン事件の被害者で、自分が犯人と間違われた経験から裁判をきちんとやることを重視する立場の河野義行氏など、近年ほとんど出てこなくなった。



 結局、重罰化と言う世論の流れやマスメディアの意見に、被害者は旗印として担ぎ上げられているだけではないか。
 その価値がなくなれば、彼についてきてくれるのはわずかな支援者の人たちだけである。そのわずかな支援者が人権派弁護士と呼んで軽蔑・非難してきた弁護士たちの方が、むしろそういう活動に乗ってきてくれるのではないか、と思うほどだ。
 1、2年のとき私に刑法を教えていた教授は、死刑廃止論者。それでも、犯罪被害者の会「あすの会」に事務局がおかれる「犯罪被害者と刑事司法研究会」に加わり被害者問題についてはかなり有力な学者となっている。


 被害者のために凶悪犯罪者は許せないと思っている人たち。その怒りはとても大事なことだと思うし、どんどん人を説得させる理屈を作って、意見を表明してもらいたい。そうした怒りに応える形で、立法も司法もある程度改革が進められてきたのだから。
 だが、その前に一度、「自分はただ単に重罰に賛成したいがために被害者の立場を利用していないか」と自省することを勧めたい。
 手前勝手な利用者が旗印にしていいほど、彼らの投げかけている問いは軽くない。






最終更新日  2006年03月20日 16時34分15秒
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