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碁法の谷の庵にて

2006年04月19日
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 なぬ?と思われるかもしれないが、実際にそんな事件があった。東京地判昭和38年11月29日の民事裁判例である。
 死刑囚が弁護士を裁判に訴えたら、勝ったのは死刑囚だったのである。

 実を言えばこの記事は後日の2つの記事への布石なのだが、まあ今日のところはそんなことは気にしないで読み物にしてね。


 この死刑囚、殺害した人数は4人。しかも考えるのもおぞましいことをやってのけている。18禁級なのでどうしても読みたい方だけ反転してね。

 戸籍上の母(実際には実母の義母だったらしい)とその夫を殺して逃亡し、さらになりすましをするべく他人に戸籍を出させて殺害、ばれないように遺体を燃やし、更にその後一応マジメに暮らしていたのだが酔ったはずみの住居侵入で警察に指紋をとられたためにまたしても人を殺してなりすましたというのだ。最後の遺体は全裸にした上、鼻・指・ペニスなどを全部切り、更に顔に濃硫酸までかけたという。

 もちろん判決は死刑だった。よほど酌量の余地があったならともかく、そうでもなければ死刑制度がある限り死刑はやむを得ない事件だろう。
 誰だってこんな人間の弁護などしたくないのが本音だろう。彼についた弁護士は、そのことをよりにもよって実行に移してしまった



 被告人は第一審で死刑判決を受けた。彼は死刑が不満だといって控訴した。

 ところで、実は、刑事の弁護士と言うのは、本来一審二審と、裁判が進んでいくごとに選任しなおすのが建前である。別にずっと同じ人がやってもよいのだけども、その場合はわざわざ一審ごとに選任しなおす。一審で弁護をしたら自動的に最高裁までお付き合いということはないのだ。

 さて、この件でも彼が控訴するということで、控訴審からついた弁護士がいた。
 ところが、彼は被告人に「控訴趣意書よろしく」と言われて「こちらで控訴趣意書を提出しますよ」と言ったのに、事件の記録九冊を閲覧しただけで、彼は被告人と会うこともなく、他の調査もしないで、

「被告人の行為は戦慄を覚えるもので一審の死刑適用は当然だと思う」


 などと言う控訴趣意書を提出した。もちろん原告に了解など一切取っていないし、それどころか公判のときまでその趣意書の通りにしゃべったと来たものである。


 結局控訴は退けられた。事実上控訴が握りつぶされてしまったのと同じである、と裁判所は断定している。被告人が自分の事件がそうやって審理されたと知ったのはその後だった。



 怒った彼は弁護士を訴えた。そして、裁判所は死刑囚の言い分の方を認めたのだ。

 もちろんその弁護士は黙っていなかった。
 日本の刑事裁判で一番大事なのは第一審である。二審以降は、純粋に一度裁判をリセットして裁判をやり直すのではなく「本当に一審でいいのですか?」と言う確認を求める手続である。だから、控訴・上告をするのにも、それに「見合った理由」が必要とされている。量刑が不当である・事実誤認をしている・法令適用にミスがあるなどだ。
 その上で、この弁護士は、いくら裁判の記録を読んでも事実誤認も量刑不当もない、と判断して「死刑は妥当である」と言ったのである。


 だが、裁判所は、この弁護士の言い分を打ち砕いてしまった。この死刑囚の請求に対し認めた慰謝料は3万円。もりそば1杯50円、銭湯入浴料23円の時代とはいっても安い。しかもこの判決から2年立つかたたないかで彼の死刑は執行されている。使い道もなかっただろう。

 さて、この裁判で裁判所は箇条書きにするとこのように言った。

一、弁護人は一審の記録を読むだけではダメ。例外的とはいえ二審になってから証拠も出せるし、量刑判断は一審判決の後の事情も考慮できるのだから、裁判記録でおかしい点が見つけられなくても、もっと調査すべきだ。
二、記録を読んだり、調査をするときは、自分の主観的見解を避けて、被告人に最も有利な観点から観察・判断すべきだ。
三、それでも理由が見つからないなら、被告人の言い分を聞いてどうにもならなくても最低限被告人自身で何とか善処してくれと言う義務がある。

 それ以上を要求するのは両親や公共的責務に反することを要求することになるとしているが、逆に言うと最低限度ここまでやることは、刑事弁護人の公共的責務である、と言っていると私は読んでいる。


 

 ここであれっ?と思った人は筋がいいかもしれない。
 被告人の死刑判決は正当である。この判決を下した裁判官は、死刑になるべきじゃなかった人が死刑になったなどとは一言も言っていない。
 だったら身から出たさび、どうして慰謝料なんか取れるのだろうか?あの弁護士がいてもいなくても同じじゃん、ということになる。

 裁判所はこういっている。
 被告人が上訴できるのは誤った判決を直してもらうためだけじゃない。判決がおかしいと考える被告人に上の裁判所の審理を仰ぐ機会を与えるもの。例え被告人の言い分が認められなくても、それを審理してもらうという利益は法的保護が必要なんだ、ということなのだ。
 この考え方、今日の文章ではちょっとしか触れてないけど、実はとても重要な考え方なんですよ。





 さて、今日の話は、暗記していただかなくても、なんとなくふーんで十分。
 また、この辺に関連した記事を書いたときに思い出してもらえれば十二分。



 ※※追記※※


 地裁の判決文を用意しました。興味のある方はこちらからどうぞ。






最終更新日  2006年06月19日 15時21分52秒
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